第18話「ゴブリン襲来」
地下図書館から出た俺とシアは、走るこそしないが早歩きでシアの家に向かっていた。夜にさしかかろうとしている夕暮れ時、家に残してきてしまったナナが一人で寂しそうにしていなか心配でしょうがない。隣を歩くシアも、心配そうな表情をしている。
ふと、シアが小脇に抱える本に目がいった。
『将来は町の外に出て働きたいんです!』
ミスラがこの町の勇者である以上、その夫である俺が町の外に出るなんてことはそうそうないだろう。夕食作ってやらないといけないことだし。そう考えると、シアとシアについていくだろうナナとは、いつかお別れをする時がやって来る。
悲しいことだけど、応援してやらないとな。
「……算術か。この本に載ってることなら、たぶん俺も力になってやれると思うから。本読んでもわかんない時は相談ぐらい受けるよ」
「え? ソーマさんって実は算術ができる、『できる男』だったんですか⁈」
「……いやぁ、『できる男』ってわけじゃないけど、少なくとも『できない男』ではないと思う」
シアが借りた『できる女の算術本』の内容は、色々と用語が違ったりするものの、俺の故郷の言葉で言うと中学生レベルぐらいだ。それぐらいなら俺だって解ける。きっと解ける。
「なら、今度お暇な時にでも私の家に算術を教えに来てくださいよ! 約束ですからね、ソーマさん!」
「おう、任せろ!」
そんな会話をしながら早歩きを続けていた俺とシアは、北の森とその間に通路を挟んで町に作られた北門の前までやってきた。門と言っても、そこまで立派な代物じゃない。本当に人を通す為だけと言った感じの、割と大きな木の扉が石壁の中に埋まっているだけだ。まあ、簡単に壊れそうでもないから、安全性にはそこまで問題はないのだろうが。
それになんと言っても、北の森にはミスラがいる。
あいつがいれば、ゴブリンだっけか? RPGに出てくるそんな雑魚敵は軽く葬ってくれるだろう。いっそのことゴブリンの巣とやらにミスラが単身で乗り込んで、巣のゴブリン達を軽くひねってもいいんじゃないかと思うまである。
そんなことを考えながら、北門の門番である笑顔が素敵な中年の人に軽く会釈して、北門の前を通り過ぎようとしていた時だった。
ドズンッ! ドズンッ! ドドドドドドドドド!!
と地面を揺るがす爆音が轟いた。
軽くよろめいたシアが『わわわ⁉︎』と可愛らしい声で、俺の腕にしがみついてくる。小脇に抱えていた『できる女の算術本』が地面に落ちた。
「……ッ! なんの音だよ……」
「な、なんの音でしょうか⁈」
俺とシアが二人して驚愕で目をパチクリさせていると、北門の門番である笑顔が素敵な中年の人が、様子を見ようというわけなのか門を開こうとしていた。
「……ま、待ておっさんッ!!」
俺は何か嫌な予感がして、そもそも確認とは言えあんな爆音のあとで門を開けるのは悪手のような気がして、門を開ける手を止めさせる為に呼びかけた。その呼びかけが聞こえたのか、門番のおっさんは門を開けようとするのを止めてくれた。
だが、俺の呼びかけが遅かったのか門番のおっさんが手を止めたのは、門の中腹あたりの金具にはめ込むことで鍵の役割を果たす木の板が抜き取られた後だった。
瞬間。
外側から門が勢いよく開いた。門番のおっさんは、勢いよく開いた扉にぶつかって、その場に尻餅をつく。何があったのかと門番のおっさんは顔をあげたが、その表情は一瞬にして凍りついた。ありえない恐怖と対峙している悲壮な顔のまま、時が止まっているかのように凍りついていた。
門を開けたのは……。
そのまんまRPGゲームに出てきそうな、二匹の醜悪な緑の魔獣、
「……嘘……だろ」
ゴブリンだった。
さっきよりキツく腕にしがみついてくるシアは、今にも叫びだしそうな具合にガチガチ歯を鳴らし「ァァァァァァ」と小さく呻いている。
対して目の前の二匹のゴブリン達は、血走った眼でギョロリギョロリと辺りを伺い、一番近くにいた門番のおっさんに向かっていく。だというのに、おっさんは凍りついたように動かない。
いや、恐怖で動けないでいた。
ちらりと、横目でシアを伺う。シアはガチガチ歯を鳴らし、涙を流していた。せっかくの可愛い顔が涙でぐしゃぐしゃだ。この様子だと、一人じゃ歩けなさそうだな。
だとすれば今この状況でまともに動けるのは、ゴブリンの恐怖を知らない俺だけだ。もとからシアに危険なことをさせるつもりはないが、そう言うことなら俺がやるしかない。
「おっさん!! 死にたくないなら動けぇえええええええ!!」
できるだけ大きな声でおっさんに呼びかけ、ハッと我に返ったおっさんはギリギリで振り下ろされた棍棒を躱した。ゴブリンの振り下ろした棍棒が、おっさんが座っていた地面を穿つ。あの一撃がおっさんの頭に炸裂していたかと思うと、身が震える。最初に思い浮かんだのは、爆ぜたザクロの実。
運良くゴブリンの一撃を躱した門番のおっさんは、我武者羅にこっちに駆けてくる。俺が何もしなかったなら、そのまま俺とシアの横を通り過ぎていきそうな勢いだ。
だから俺は、門番のおっさんの手をひっつかんで無理矢理引き止めた。目の前を向くと、ゴブリン達はニタニタ笑いながらこちらにゆっくりと近づいて来ていた。おそらく、あいつらにとって一般人である俺達は、いつでも殺せる雑魚だ。
こうしてゆっくりと近づいて来るのは、俺達雑魚が背中を向けて逃げる瞬間を心待ちにしているからだろう。あいつらにとっては、これは遊び。逃げる雑魚を追いかけ回す遊びだ。
俺の視線に気づいたのか、ゴブリン一匹が「ゲゲゲゲゲゲ」と笑った。気持ち悪い笑い方してんじゃねえよ。
「な、何をしてるんだ! この状況がわかるだろう! 早く逃げなければいけないんだぞ! は、離せ! 離せェえええ!」
おっさんは俺の手を振りほどこうとして、空いた手で俺の手を引き剥がそうとしてくる。
「おっさんこそわかってねえよ! どんなに早く走ろうと、おそらくゴブリンは追いついてくる。だから、誰かがここでゴブリンを足止めしないといけない」
「はぁ? 馬鹿を言うな! 早く離せ! やつらが来るだろ!」
「まあまあ、安心しろよおっさん、ゴブリンの足止め役は俺がやる。だからおっさんは、俺の腕にひっついてるこいつを連れて逃げてくれ」
おっさんを安心させるように優しい声で、ちょいちょいとシアの頭を指差しながら俺は言った。それを聞いたおっさんは、目を丸くして驚いたような顔をしていた。
「………………お前、本気か?」
「あはは! おいおい、おっさん。俺を誰だ」
「ダメだよ…………ッ!」
俺の言葉を遮ったのは、喉奥から絞り出すような声だった。
「……シア」
「ダメ……ですよ。ソーマさんも一緒に逃げないとダメですよ! 死んじゃうんですよ⁈ 勇者様なら勝てますけど、一般人のソーマさんじゃ絶対に勝てないんですよッ⁉︎ 」
シアの口から吐き出される言葉は、ひとえに俺の身を案じてくれているものだった。本当ならシアの望んでいることを言ってやりたいが、俺はその言葉を無視した。
「………………門番のおっさん。シアを頼んだ」
「……ああ、任せておけ。ガキを前に立たせて逃げだす俺が言うことじゃあねえが、死ぬなよ」
「死なねえよ」
「……なにを言って! ……キャッ!」
門番のおっさんは、強引にシアを持ち上げて肩に担ぐ。それならシアが一人で歩かなくていい為、俺としては安心だ。サンキューおっさん、と心の中で礼を言ってから俺は視界からシアを外し、ゆっくりと近づいて来るゴブリン達に目を向けた。
「……ソーマさん! ソーマさん! ソーマさん…………ッ!」
シアは酷くガラガラした声で、俺の名前を呼んでいる。手を伸ばしたのか、右の肩口が掴まれた。
瞬間。ゴブリンの片割れがこっちに向かって猛烈な勢いで駆けてくる。
「おい! 早く手を離さないか、逃げられんだろ!」
「嫌だ……ッ! ソーマさん! ソーマさ……」
俺は自由な左手で、右の肩口に置かれたシアの手を強引に引き剥がす。シアの口から「あっ……」と声が漏れたのが聞こえてきた。
「……なぁ、シア。確かに俺は一般人だよ。だけどさ、ただの一般人じゃないんだぜ。そういえば、姉の方にはまだ言ってなかったか。安心してくれ……」
俺は左足を一歩前に出し、上体を右に捻り、自由になった右腕を引いて、
「俺は正義の味方だよ」
弾丸のように撃ち出した右の拳は、シアの不安を吹き飛ばすように、襲いかかるゴブリンをぶん殴り飛ばした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「おっさん! 今だ逃げろ!」
「行くぞお嬢ちゃん!」
タッタッタッと、シアを担いだおっさんが駆けていく足音が聞こえ、数秒程でその足音は聞こえなくなる。
「……ふぅ」
なんとか二人を逃すことができた。
あとは、目の前の二匹のゴブリンをどうにかできれば万々歳というわけだが……。
「「ギィギィギギギギギギッ!」」
二匹のゴブリンは鬼の形相で何かを俺に言っている。
ゴブリン語なんて知らない俺には何を言っているのかさっぱりだったが、さしずめ『ぶっ殺す』とかそんな感じだろう。もうゴブリンの顔がそう言ってるからね。鬼が鬼の形相してるからね。
「ギィアァァアアアッ!」
ゴブリンの片割れ(さっき俺が殴り飛ばしたゴブリン)が、棍棒を振り回しながら俺に突撃してくる。近くで見ると、醜悪な姿に似合う黒々とした青い目が特徴的なゴブリンだった。青目のゴブリンは俺の目の前で高く跳躍し、俺の脳天めがけて棍棒を振り下ろしてくる。
「……やべぇ!」
俺は腕を交差してガードしようと思ったが、地面を穿ったゴブリンの一撃を思い出し、バックステップで後ろに下がり紙一重のところでその一撃を躱す。だが、躱した先に棍棒を振り上げるもう一匹のゴブリンがいた。こっちのゴブリンはよく見ると、不気味な赤黒い目をしたゴブリン……なんて観察している暇はないよなぁああああああああっ⁉︎
「イギギギギギギィッ!」
「くっそッ!」
躱すことができないと判断して、赤目のゴブリンが振り下ろした棍棒のヘッドを右手で受け止める。
「ぐぅッ!」
重い一撃に右腕の骨が軋む。
だが、おかげで武器を奪うことができる。
俺は赤目のゴブリンの腹を蹴っ飛ばして無理矢理に棍棒を奪い上げ、その流れに任せて奪った棍棒をフルスイング。棍棒のヘッドは、気を取り直して襲いかかってきた青目のゴブリンの顔面を捉えた。
「ギィァァアアアッ!」
「おっ。この棍棒も貰っとくな」
青目のゴブリンが手から零した棍棒を拾い上げる。その際青目のゴブリンが俺に向かって「ギィアギィアッ!」と鳴いたが、ゴブリン語がわからない俺はウインクするしかなかった。
「ギィアギィアギィギィッ!」
「え? 返せって? 仕方ないなぁ、返してやるよ。……お前らの森になぁッ! どっせぇえええええい!」
両手に持った棍棒を掛け声と共に、北の森に向かって思いっきり投げた。俺の手から離れた棍棒はクルクル回転しながら北門の上を超え、何処かに消え去った。赤目と青目のゴブリンが、ゴブリンらしく鬼の形相で俺を睨んでいる。
「いやぁ、これまた綺麗な流線型を描いて飛んでいったなー。あれ? え? なに怒ってます? もしかして怒っちゃってます?」
「「ギィギィアアアアアアアアアッ!」」
「…………ギィギィうるせえよ。お前らがどんなに怒ってるか知らねえけど、たぶん俺の方が最高に怒ってる。……なぁ、俺の優秀な嫁なら町に向かって行ったゴブリンに気づいて、今頃は此処にいてもおかしくはないんだ。……確かにあいつは勇者で、お前らとは殺す殺される関係だ。だから、あいつがお前らゴブリンに傷つけられても文句は言えない。だけど、めちゃくちゃ不愉快になるのは仕方ないよな」
きっと俺は、今すごく怖い顔をしているのだろう。
まあ、それも仕方がない。そして仕方ないついでに、目の前のゴブリンをぶっ飛ばすことにしよう。さて、ゴブリンが武器を失ったことで、ここからは互いに素手での戦闘になる。
俺は武術なんて習ってないから、素手での戦い方なんて知らない。だが、それはゴブリンも同じことだ。経験値に差があるかもしれないが、大体の状況は互いに同じはず。最高にフェアな戦いだ。まあ、実際は二対一でフェアではないが、そこは根性でカバーしていきましょうということで!
「……こいよゴブリン共。軽く蹴散らしてやるから」
余裕ぶった俺のその言葉を皮切りに、本格的な脳筋バトルが始まった。




