第17話「助けて」
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『ソーマさん! 起きてくださいソーマさん! ソーマさんってば! おーきーてー、ソーマさーんッ!』
起きてます。二十秒くらい前から起きてます。
ただ、俺を起こそうと必死になっているシアが可愛くて、もう少し、あと一分ぐらい寝たふりを続けようと思います。えへへへ。
「とっとと起きろ、アホですか? 馬鹿ですか? いえ、それ以上に変態であると補足します」
……は? ちんちくりんのラブコールなんて求めてないんだが?
それに変態はやめろよ。可愛い女の子を可愛いって思うことの何が変態だって言うんだよ。
とにかく今は、寝たふり寝たふり。
「ちょ、ちょっと⁉︎ ラトラちゃんそれは駄目だよぉ……」
「大丈夫だよ、シアちゃん」
大丈夫って何がだ? 一体何をしようとして……。
「おぶっふっ!」
鼻っ柱にいい感じの衝撃が走って、思わず目を開けてしまう。それを見たシアは、俺の目の前で「あっ、やっと起きてくれたー」と声を上げる。その前に俺の身を案じて欲しいのですが⁈
「ちんちくりん、お前またやりやがったな。というか、そのゴムボール猫用だろ⁈ 猫ちゃんの遊び道具奪ってんじゃねえよ!」
「飼い猫に買い与えたゴムボールを飼い主がどう使おうが飼い主の勝手です」
「だからって人に向けて投げちゃ駄目だよ、ラトラちゃん。ソーマさんを起こすためとはいえ、やっぱりよくないよ」
「……シアちゃんは気づいてなかったようだけど、この変態はずっと寝たふりをして、シアちゃんの声を聞いて顔をニヤけさせてたんだよ」
「ふえ⁈ …………ソーマさん、本当ですか? 」
シアは顔を真っ赤にして、俺の顔を一直線に見つめてきた。
俺自身としては、できることならシアに嘘をつきたくない。だが、ここで嘘をつかなければ、きっとシアの中での俺の株は下がってしまうだろう。
ほんの数秒、されど数秒考えた末に俺は。
「……ま、惑わされるなシア! 俺がそんなことをする人間じゃないということは、シアが一番よく知っているはずだ!」
ほっとした表情を浮かべるシア。
だが、俺の話は終わってなどいなかった。
「……って言いたかった。残念ながら、そのちんちくりんが言うように俺は寝たふりをして、困ってるシアの声を聞きながら密かに顔をニヤけさていたんだ」
瞬間。シアはぼっと顔を赤面させ、慌てて両手で顔を隠した。正義の味方である俺が、嘘などつけるはずもないのだ。
時と場合にもよるが。
「…………そ、ソーマさんには勇者様がいるんですよ! 他の女の子で顔をニヤけるなんて浮気です! 浮気ですからね!」
「……いやぁ。そしたら、シアが俺の浮気相手ってことになるんだけど……?」
「ち、ちち違います! そういう意味で言ったんじゃなくて! じゃなくてですね!」
俺の指摘に、シアは慌てたように手をブンブンブンブン顔の前で振り回して否定する。とっても、癒されますね。
「冗談だよ。シアの言いたいことはわかってるから、そう慌て…………」
「そ、そそソーマさんみたいな人は好みじゃないですし、それにそれに! 勇者様と対立するなんてとんでもないですよ!」
「うぐッ!」
あれ、おかしいなー。言葉ってこんなに心にくるものだったんだね。目から水が、よくわからない水が垂れてくるぞぉ。
「……あっ! いや、そうじゃなくて! 好みじゃないと言うのは、う、嘘です! 本当は凄く好みで……って、こ、これも違くて! と、とにかくソーマさんは、その……あ、アレです! 私のお兄さんみたいな人で! だから、兄妹でなんてダメってことが言いたくて! ですから、ですからぁッ!」
要するに『ソーマさんは男として見れません』というわけで、俺としては悲しさが込み上げてくるばかりだった。
「……もう落ち着け。言いたいことは分かったから……。な?」
「す、すいません……」
言いたいことを言いたいだけ言って、シアはようやく少しずつ落ち着きを取り戻してきた。あと、さっきから俺のことを、ふふふと笑ってるラトラのちんちくりんは絶対に許さないからな。元はと言えば、あいつが余計なことを言わなければの話なんだ。
絶対に脳天にチョップ入れてやる。
「あの……。お見苦しい姿をお見せして、すみません。そ、それからソーマさんには、好みじゃないとか酷いことを……」
責任感がやけに強いシアは、真っ赤だった顔から一転して青ざめて、しゅんと肩を落とす。
「シアはあれだな。いろんなことを気にしすぎなんだよ。もっと、楽に生きようぜ」
ぽむっとさり気なくシアの頭に手を乗せて、ぽんぽん軽く叩いてやると、シアはこそばゆそうな表情をした後、可愛らしく破顔した。
「ソーマさんが色んなこと気にしなさ過ぎなんですよ」
「……そうかもなー。っと、そういえば、おいチンチクリン。この本借りていってもいいか?」
「それは……。まあ、構いませんが。というかチンチクリンと呼ばないでくださいと……補足します」
なんだ? 今回は何かに適当に理由つけて馬鹿って言ってこないな。まあ、馬鹿って言われたいマゾ体質じゃないことですし、俺としては嬉しい限りなのですが。
「はえー、ソーマさん随分と厚い本を借りるんですね」
「ん? まあ、そうだな。そういうシアは何借りるんだ?」
「私が借りるのは算術の本です!」
本の両端を持って、シアは本をバッと目の前に突き出す。
「……『出来る女の算術本』?」
「はい! 将来は町の外に出て働きたいんです!」
「……そうか。頑張れよっ!」
「わわっ⁉︎ 頭をくしゃくしゃするのはやめてくださいー! 髪型が変になっちゃうじゃないですか!」
「さてと、ナナが待っているだろうし帰るとするか。また来るからな、チンチクリン」
「……だから、チンチクリンと呼ばないでください。一回の注意で止めれないとはやっぱ馬鹿だと補足します……」
ラトラのチンチクリンが何か言ってるが気にせず、俺とシアは図書館をあとにした。地下空間にこもってるラトラの奴には、本を借りるついでに定期的に顔を見せに行ってやろう。帰り際に、何気なく寂しい顔をしていたことだし。まあ、その寂し気な表情は俺ではなくシアに向けられたものなのだろうけど。
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「【勇者秘技】」
ミスラの手によって振るわれた光剣が、一匹のゴブリンを肉片一つ残すことなく消し飛ばした。その光景を見ていた二匹のゴブリンは、光剣の間合いから遠ざかるように、じりじりと足を後方に滑らせる。
「とっとと死になさいよ!」
ミスラはもう一度、上段に構えた光剣を目の前のゴブリン達に向けて振り下ろす。光剣から放たれた光の刃が、空気を焦がし地を焦がし、眼前のゴブリンに向かって一直線に飛んでいく。ゴブリン達はすんでの所でそれを避けるが、その行動がミスラをさらに逆上させた。
「早く死になさいって言ってんでしょうがああああああ!」
ミスラは怒りのままに、縦に横に斜めに、目の前のゴブリン達に向かって光剣を振るう。
「ああああああああああああああああああッ!」
光剣から無数に解き放たれる光の刃。その異様な光景に、ゴブリン達はミスラに背中を向けて逃げ始める。だが、ミスラがそんなことを許すはずがない。
「……逃げないでよ。つまんないでしょう? ねぇ? ねぇ!」
ミスラがおもむろに突き出した光剣から放たれた光線が、一匹のゴブリンの胴を貫いた。その瞬間。仲間のゴブリンの死に一瞬だけ気を取られ足を止めた、他より圧倒的に頭がキレるであろうとミスラが評したゴブリンの足が、背後から迫り来る光の刃によって切断される。
苦痛に喘いでいるのか、「ギィッ! ギィッ!」と不快な鳴き声を漏らし、足を失ったゴブリンは地を這いずる。
草木を、土を掴んで重い胴を前に押し上げ、ゴブリンは必死にもがく。背後から迫り来る足音から逃げるように、我武者羅に腕を回して前へ前へと逃げ進む。
しかし、どんなに必死に逃げようとしても、足を失ったゴブリンがミスラから逃げることなど不可能だった。
ドンッと、ミスラはゴブリンの胴を踏みつける。
「ギィアァァアアッ!」
不快な鳴き声で喚きながら、ぐるぐるぐる腕を回転させるゴブリンをだったが、胴をミスラに押さえつけられては逃げることなど出来ない。
「……もう死んで」
ミスラは右手に持った光剣を、ゴブリンの首筋目掛けて突き立てる。もう不快な鳴き声を出すこともなく、あっさりとゴブリンは絶命した。
「終わっ…………てない。早く町に行かないと……」
今すぐにでも町に向かった二匹のゴブリンを止めなければ、町から死者が出る可能性が高い。ただ、幸いなことに今の時間帯は人の出歩きが少なくなる黄昏時。アホなゴブリンは、人々がいない町を見て、何もないと勘違いして帰ってくれるかもしれない。そうでなくとも、町の人々がゴブリン見つけてパニックになる前に、ゴブリンを仕留めることもできる。
「……早く、いかないと」
そう声に出してミスラが足を前に進めようとした、その時だった。ぐにゃりと、ミスラの視界が歪む。
「……やば……い。すこし、力を使いすぎ……たかなぁ……」
歪んだ視界の中、足がもつれてミスラは地面に倒れる。
体を押し上げようしても、うまく両腕に力が入らない。左腕が痛むとなれば尚の事だった。
「早く行かないと、いけないのに……いけないのに……ッ!」
右腕だけで、地を這いずってでも前に進もうとするが、それもうまくいかない。どう足掻いても前に進めない。
「……いやだ。……私の所為で、誰かが不幸になるのは……もう、いやなのに、いやなのに……ッ! 動いてよ! 動いてよ……ッ!」
どんなに足掻いても、願っても、頬を涙で濡らそうと現実は変わらなかった。手足は動かず、更にはこんな時に限って、いやこんな時だからこそなのか、またもや自分が知らない自分の声が頭に響く。
『助けて』
やがて力を使い過ぎたミスラは、次第に頭がぼんやりとしていき、最終的に気絶した。
何かに縋るように前へと伸ばした右手は、虚しく地に落ちるのみだった。




