第14話「ミスラについて」
翌日、『クレアおばさんの台所』が休みの日ということで、暇だった俺は朝っぱらからシアとナナの家に遊びに来ていた。それに、ナナと遊ぶ約束していたしな。
今は昼過ぎ。昼食はシアとナナの家でご馳走になった。
腹一杯になったナナは、自分の寝室で毛布にくるまってぐっすりお昼寝中。そんなわけで俺とシアはリビングのテーブルで向かい合って、茶でも飲みながら談笑しようとしているところ。
今日俺がシアとナナの家に遊びに来たのは、暇だったという理由もあるが、一番の理由はシアにミスラについての何かしらを聞くためだった。
自分で言うのもなんだが、思いついたら即実行するのは自分の美徳だと思う。
「なあ、シア。ミスラについて何か知ってることってないか? なんでもいいんだ」
「……うーん。それなら前まで勇者様が毎日食べに来てた料理ぐらいしか……。常連さんでしたから、よく覚えてます。お話したりはしていませんが……」
「……………え?」
聞き捨てならないシアの言葉に、思わず耳を疑った。
シアは、あのミスラが『クレアおばさんの台所』の常連だと言っていた。
あのミスラが? 嘘だろ?
パンしか食わない、あのミスラだぞ⁈
「前までは仕事柄なのでしょうけど、毎回閉店ギリギリにやってきて料理を食べてましたね。勇者様が来なくなったのは、ソーマさんと結婚してからじゃないですか? まあ、大体の理由は分かっていますが」
言って、ふふふと笑う。
「家に帰れば、ソーマさんお手製の美味しい料理が待ってるんですから!」
……シアには申し訳ないが、あいつ一度も俺の料理食ったことねえよッ!! 頑張って作ってるけど、『妊娠するから』とかいうアホな理由で食べてくれねえよ!!
「…………どうかしました? 怖い顔してますけど」
言われてハッとして気づくと、シアが怪訝そうな表情で俺の顔を覗き込んでいた。自覚はなかったが、怖い顔をしていたようだ。あわてて俺は軽い笑みを作って誤魔化す。
「……いや、なんでもないよ。……ところで、ミスラが好んで食べた料理ってのはどんな料理なんだ?」
「確か……。少し薄く切って素揚げしたパンを、数種類の香辛料と調味料で味を整えたとろみのあるスープの中に入れた感じの料理ですかね」
「ぶふぁっ! …………いや、悪い悪い。ちょっと面白くてな」
突然吹き出した俺に、シアはビクッと肩を震わせて、またもや怪しい人でも見るような視線を送っていた。
なるほど、パンを使った料理だったのか。それだったら、ミスラが常連として『クレアおばさんの台所』に通っていたことに納得がいくというものだ。
「あのさ、シア。今日教えてもらう料理があったはずだけど、それに加えてミスラが食べてたっていう今の料理の作り方も、よかったら教えてもらえないか?」
その料理を自分の物にできれば、今度こそミスラは俺の料理を口にしてくれる気がした。是が非でもミスラに料理を食べてもらいたい俺は、真剣な表情でシアに頼んだ。
いつもヘラヘラしている俺がいつになく真剣な表情をしているのを見てシアは、
「ふふふ、ソーマさんは勇者様が大好きなんですね。勿論です。任せてください!」
得意げな表情を作った後、何が楽しいのかにっこりと破顔してみせた。
昼頃からナナが起きるまでの間にかけて、俺はシアから料理を教えてもらった。ナナがお昼寝から起きたのは、時計の短針がぴったり午後四時に重なった時だった為、時間にして約四時間もの間シアから料理を教わっていたわけなのだが……。
「結局、ミスラが好きな料理は完全には自分の物に出来なかったわけなのですよ……」
とほほ、と肩を落とす。
なぜ完全に物に出来なかったのかと言えば、なーに話は簡単だ。
香辛料と調味料の配分が完全にシアの気分次第である為、シアの味を再現出来なかったというだけだ。とは言え別にシアの味を再現せず、自分だけの味を開拓すればよい話でもあるのだが、俺の味には戸惑いと迷いがあった。
「こ、こんなもんか?」「ヤベェ入れすぎたか?」などなど。
自信の無さ、思い切りの悪さが味に出てしまっているのかもしれない。いつもならこういうことにはならないのだが、ミスラが好んで食べていた料理となると、いつもと勝手が違う。
手を抜くなんて、許されない。俺が俺を許せない。
それに、ミスラが『クレアおばさんの台所』に通わなくなった理由が『俺が家で夕飯を作っているから』であることが、あながち間違ってないんじゃないかと思う。
俺の料理を食べるこそしないが、ミスラは勇者としての強い誇りを持ち、変なところで律儀な奴だから。
だからこそ、他の誰でもないこの俺が、バカ律儀なあいつの口に夕飯を突っ込んでやらなくてはいけない気がする。
この分だと、まだまだ道は険しいかもしれないが。
「……はぁ」
「お兄ちゃん元気ないの?」
お馬さんゴッコという遊びのもと、俺におんぶされているナナが心配そうな声を上げた。
「あーー。いや、そういうわけじゃないんだ。ごめんな、ため息なんてついて」
今はお馬さんゴッコの最中なのだが、ナナがお馬さんゴッコに飽きてしまったらしく、お馬さんゴッコという名の散歩をしているところだ。おんぶされると、見える景色は激変する。
ナナはその変化をたのしんでいるようだ。
ナナの希望で、ゆっさゆっさ背中のナナを揺さぶってやりながら、俺は俺にとっては何の代わり映えもしない町の中を練り歩く。
そうして一通り町の中を練り歩いたところで、シアとナナの家に戻ってきた。時刻は午後五時。
「おし、着いたぞ家に」
「ありゃ? もうおしまい?」
背中のナナは不服そうに、うーうー唸る。
「ちょっとだけ用事があってな……、今日は早めに帰りたいんだ。ごめんな」
「次は夜ご飯の時間まで遊ぶからね!」
「ああ、約束だ」
おぶっているナナを、腰を折り曲げてゆっくりと地面に降ろす。
「バイバイ、お兄ちゃん」
「じゃあなー」
軽く手を振って、ナナが家に入るのを見送ってからシアとナナの家に背を向けて歩き出す。歩きながら尻ポケットに手を突っ込んで、一枚の折り畳まれた紙を取り出す。
紙には、例の料理の材料名がインクで書かれている。
「まずは材料の調達といきますかね」
俺は種類豊富な食材店が立ち並ぶ一角にむけて足を進める。
例の料理の作り方は完璧に理解している、あとは個人練習による味の向上だ。香辛料と調味料の出費は決して安いものではないが、まあ、他の料理にも使えそうだから買っておいて損はない。
歩くこと数分で、香辛料と調味料を専門に売っている店に到着する。
「おっす、おっさん。このリストに書かれてる奴、全部くれ」
「随分と買うんだなぁ。ちょっと待ってろ」
頭に赤い布を巻いたおっさんは、テキパキとリストに書かれている香辛料と調味料をカウンターの上に置いていく。
これで最後だな、と言っておっさんはものの数秒で注文品を並べ終わった。香辛料と調味料は各五つ。合わせて十個。
おっさんはそれらを一つの手頃な布の袋にまとめ、俺に手渡す。
受け取った俺は全部入っていることを確かめてから、代金をおっさんに手渡した。
「おし、丁度だな。また買いに来てくれよ」
「そのつもりだよ、おっさん。っで、一つ聞きたいことがあるんだが、聞いてもいいか?」
「おう、なんでも聞いてくれや、勇者の旦那さんよぉ」
「えっと、ミスラについて何か知ってることってないか?」
俺がそう聞くと、おっさんは一瞬だけ驚いた素振りを見せ、その後にわははははは、と豪快に笑った。
「嫁さんのことは、旦那のお前が一番よく知ってるだろうに。っまぁ、知ってることっていやぁ……、えれぇ綺麗ってことぐらいだなぁ」
「そうか、ありがとなおっさん。また買いに来るよ」
「おう! いつでも来いや!」
楽しそうなおっさんの声を背中に受けつつ、俺は頭に赤い布巻いたニコニコ笑顔のおっさんの店をあとにする。次は今日の夕食の材料を買いに、おっさんの店の隣の隣にある店に足を運ぶ。
「おっす、おっさん。今日の夕食の材料買いに来たんだけど」
「今いいやつ持ってきてやっから、ちょっと待ってろ」
頭に黄色い布巻いたおっさんは、店奥から肉のような物体を持ってくきた。
「どうよ、最近作った特製の燻製肉だ! 風味とか旨味が、そこらへんの燻製肉なんかとじゃあ、比べもんにならねぇ一品だぜ」
「まじかよおっさん。それいいな、それくれ」
「まぁまぁ慌てなさんな、勇者の旦那さんよぉ。こっちの芋も今が一番うまいぜぇ」
「じゃあそれもくれ」
「まいどあり!」
てきとうな買い物に見えるだろ?
そうだよ、てきとうに買い物してるんだよ。
まあ実際のところは、俺はまだどんな食材がうまいのかよくわからないから、おっさんのオススメを買うようにしているということだ。
これならハズレを引くことはない。
「ところでおっさん。ミスラについて何か知ってることってないか?」
「お? いきなり何言ってんだ。勇者のことを一番知ってるのは、誰でもないお前さんだろ。まあ、知ってることといえば、すんげぇ美しく育ってくれたってことくらいだなぁ」
美しく育ってくれた?
「ちょっと待ってくれ、おっさん。その口ぶりから察するに、おっさんは昔のミスラを知ってるのか?」
「ん? ああ、知ってるが、それがどうかしたか?」
「…………昔のミスラはどんな奴だったんだ? 俺が知ってるのは、今のミスラだけなんだ」
「どんな奴……ねぇ。確か、よく元気に笑う子だったなぁ」
あの仏頂面が、昔はよく元気に笑ってただと?
まっさかー。そんなわけあるかっての。
冗談きついぜおっさん。
「また一つミスラについての知識を深めることができたよ。ありがとな、おっさん」
「おう! また買いに来てくれよ!」
頭に黄色い布巻いたおっさんはニコニコ笑った。
絶対に頭に赤い布巻いたおっさんと血縁関係あるだろ、このおっさん。双子の兄弟か?
「ああ、そうだ! 隣の隣にある香辛料とか売ってる店も寄ってみてくれよ、勇者の旦那さんよぉ」
「もう寄ったよ」
「おお、そうかそうか。そりゃあよかった」
「あっちの店の店主はおっさんの兄か弟か?」
「いや違うぞ。姉だ」
「……………………え?」
じ、冗談きついぜおっさーん。
…………冗談ではないことを物語るおっさんの真顔が、当分は頭から離れてくれなさそうだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「…………妊娠するからいらない」
今日も今日とてミスラは、俺の丹精込めた料理を華麗にスルーしてパンを一つ手に取り、水で喉を潤してから早々に自室へと引き籠ってしまった。
いや、わかってたことだから。
ここまでくると、もうこれが日常な気がして何も思わないから。
もうほんと日常。マジ日常。
「昔、あいつが笑顔が可愛い女の子だったなんて、想像つかねぇなぁ」
あの仏頂面に、固く閉ざされた口。
ナイフのように鋭い眼。
「……いくら想像しても、引き攣った笑みを浮かべてる絵しか思い浮かばねえや」
とりあえず、昔のミスラは年相応で無邪気な女の子だったのだろう。
それがどう育ったら、あんな全身が刃のような女の子になるのか甚だ疑問だが。まあ、そんなのはどうでもよかった。
別に過去は過去、今は今だと割り切ろうというわけじゃない。
過去に何があったとか関係なく、
「あいつの笑顔は、俺が取り戻す」
まだ試作段階だが、俺は例の料理であいつの笑顔を取り戻してみせる。そう心に決めていた。




