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第13話「知らない」

 

 今まで聞くに聞けなかったが、ようやく聞いてやったぞ。

 ミスラはなんと言うのだろうか。俺は特に変なことはしてないと思うが。そう思いたいが……。


「…………別に、してない」


「……え?」


「だから、……嫌われるようなことしてないって言ってるの」


 俺自身はそう思っていたが、まさかミスラの口からその言葉が出てくるとは思っていなかった。てっきり俺は、知らぬ間にミスラに嫌われるようなことをしていたのかと。


「な、なら、どうしてあんな態度ばっかとるんだよ」


「…………し、知らない」


 ミスラが目を逸らした。


「知らないって、そんなわけな」


 いだろ! と続くばすだった。


「もういいでしょ! ……寝る」


 俺の言葉を引き裂くように遮るように、ミスラは声を荒げ、間髪入れずに踵を返す。明らかに何かを隠している様子に見えた。隠している何かを聞こうと思って、俺はもう一度ミスラを引き止めようと思ったが、これ以上引き止めるのは悪いと思って伸ばしかけた右手を引っ込める。リビングから去っていくミスラの背を見届けた後、俺はテーブルの椅子に腰を降ろした。


 椅子の背もたれにだらしなく体を預けて、天井を見上げる。

 別に汚れるような場所ではなかったが、天井は普通に綺麗だった。なんとなくそう思っただけだった。


「……ゔああああ……なにもわかんねえー」


 今まで出したことがない声が、喉を震わせて出てきた。

 昨夜を振り返ってみれば、女神のやつも俺に何かを隠しているようだった。そして、今夜はミスラが明らかに何かを隠していた。俺を遠ざけようとする理由を、隠していた気がする。


「……俺はなにも知らない」


 無理矢理にでも、人様の心の内に秘めた何かを知りたがるような悪趣味は持ち合わせていないが、自分がなに一つ知らないことは酷く居心地が悪かった。胸がムカムカしてモヤモヤして、気分は最悪だった。


「……そういや、夕飯食ってねえや」


 今の最悪の気分のまま食事をするのは、折角作った料理がまずく感じてしまいそうで遠慮したかったが、腹が減って仕方ないから黙って食べることにする。


 テーブルに並べられているのは、シアから教えてもらった家庭料理だった。どんな料理かと言うと、鳥の素揚げをコンソメみたいな味のスープにぶち込んだ感じの料理。ぶち込むとか表現が多少汚くなってしまったが、実際ぶち込んだから間違ってない。

 味の方は文句なしに最高にうまい、はずだ。

 フォークで鳥の素揚げを突き刺して、口に運んだ。


「うん、うまいな」


 最高にうまかった。

 今の残念なテンションじゃなければ、飛び跳ねて体全体を使って美味しさを表現していたと言っても過言ではないくらい、最高に美味しかった。

 コンソメスープがいい感じに仕事して、鳥の素揚げの美味しさを引き立てる。鳥の素揚げ自体はコンソメスープがなけりゃ、仕事をしていなさそうなニートな味だった。

 言ってしまえば、コンソメみたいな味のスープが美味しかった。

 この料理の作り方はめちゃくちゃ簡単で、コンソメみたいな味のスープは、お湯に変な粉を混ぜてかき混ぜれば簡単に作れる。あとは、そのスープに素揚げした鳥をぶち込めば料理の完成だ。

 ほら、簡単。


「次はどんな料理を教えてもらおうか」


 今回のようなお手軽な家庭料理もいいし、少し凝った料理も教わってみたい。


「まあ、教わってばかりもなんだし、機会を見て『オムライス』の作り方でも教えるとしよう」


 シアは俺よりも料理がうまい。手際がいいというのもあるが、何より作る料理が最高に美味しい。目の前の、コンソメみたいな味のスープに鳥の素揚げをぶち込んだ料理も、シアが作ったもの程美味しくは作れなかった。「うん、うまいな」と微妙な反応になってしまったのは、テンションだけの所為ではなく、心のどこかでシアの料理と比べていた所為なのかもしれない。


「シアが『オムライス』を作ったら最高にうまいだろうな」


 オムライスは俺の一番の好物だ。二番手はハンバーグ。

 オムライスの中でも好きな種類は、デミグラスソースオムライス。無難にケチャップだけかけたオムライスも好きなのだが、そこにデミグラスソースを追加でかけることで味に革命が起きる。


「まぁ問題は、デミグラスソースを再現できるかどうかだが……」


 俺が味見役につけば、シアならなんとかしてくれるだろう。

 期待で胸が膨らむ。

 と、大好きなオムライスについて考えるのだが、依然としてテンションは上がってくれなかった。


「……くははは。アホくせ」


 別にテンションを上げる為にオムライスについて考えていたわけではないが、こんな状況でオムライスのことを考える自分がアホらしくて、無性に笑えた。

 もっと他に考えなければならないことがある筈なのに、オムライスってどうなのよ。いや、好きだから別にいいけどさ。ただ、笑える。


「ほんと、俺は何も知らないままだ。くはははは!」


 考えるも何も、俺は何も知らない。

 知っているのは、まさにデミグラスソースオムライスの美味しさくらいだ。

 女神のこと、ミスラのことは俺は何一つとして知らない。

 出会いと関係性からして、一番優先して知っておかなければならないはずなのに、俺は何も知らない。


 向こうが教えてくれないから、俺が何も知らないのは仕方がない。本当にその通りだが、そんな受け身な考え方には吐き気がする。

 だから俺は決めた。

 身内に探りを入れるのは少々気がひけるが、教えてもらえないのなら、俺は俺なりにあいつらのことを調べるだけだ。


 女神とミスラは、俺の知らない俺を知っている。

 なら俺だって、女神とミスラを知ってやる。




  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 ソーマがデミグラスソースオムライスに思いを馳せていた頃、ミスラ・クラムレージュは自室のベッドの上で薄布にくるまり、泣いていた。

 誰の耳にも届かないよう、声を押し殺して泣いていた。

 別に、泣きたくなるようなことがあったからミスラは泣いているわけではなかった。これは毎晩の儀式のようなもので、一日たりとも欠かせないというだけで、特になんでもなかった。


 ただ最近は、泣いている時間が長くなっていたかもしれない。

 ソーマが目の前に現れ、急に幻覚のような何かが聞こえ始めてからだ。ソーマを見るたびに、頭の中に声が響いてくる。

 ソーマを求める、自分でない自分の声が頭の中に響いてくる。


「私は何も知らない」


 あいつのことを何も知らない。

 私の知らない私が、あいつのことを知っているだけだ。

 それが酷く気持ち悪く、ソーマを嫌いになれないのが、その声の所為だと勝手に決めつける自分に嫌気が差す。


「やめて……ッ! やめて…………ッ!」


 ソーマのことを考えるだけで、頭に自分が知らない自分の声が響く。

 ソーマから遠ざかろうとするたびに、その声は大きく頭の中で響く。

 それでもミスラは、ソーマから遠ざからなければならない。

 自分の為に、なによりもソーマの為に。

 ……くるるるる。

 不意に、腹の音が鳴った。


「うぅ……お腹すいた」


 思い返してみれば、最近はパンしか食べていない。それも、朝昼晩一個ずつ。勇者としての自分の仕事量を考えれば、腹が空くのは当たり前だった。

 勇者として鍛えているおかげで常人よりも身体が丈夫であるとは言え、こんな生活を続けていてはいずれ倒れる。それがわかっていながらも、ミスラはソーマの作った料理を口にするわけにはいかなかった。一口でも口にすれば、何かを与えられてしまえば、遠ざかることができなくなる気がするから。


「私は何も知らない」


 ソーマのことを何一つとして知らない。

 だが、それでいい。

 その方が辛くない。

 その方が、ソーマから遠ざかりやすい。

 声が聞こえなくなるほど遠くに離れれば、きっと辛くなくなる。

 ソーマから遠ざかり続けて、自分の知らない自分の声を置き去って、自分は独りなのだと再確認して、それで全てが解決する。

 誰も不幸にならない。


「……それでいい」


 自分は近しい人を不幸にしてしまう、誰かをを不幸にするのはもう御免だ。だから、自分は誰かと近しくなってはいけない。

 繰り返し自身そうに言い聞かせ、泣き疲れるまで泣いて、やがてミスラは眠りについた。

 こんな儀式を、ミスラはかれこれ十年は続けてきた。






「…………うっぷ」


 どうやら、またやけ食いをしてしまったらしい。

 気がついたときには、鍋に沢山入っていたスープと鳥の素揚げは綺麗さっぱり消えていた。

 俺ってこんなに大食いだったけか?

 ああ、やけ食いのなんて恐ろしいことよ。

 ただでさえ体を動かしていないのに、このままじゃでっぷり太ってしまいそうだ。まあ、もともと太らない体質だから大丈夫か。


「おえっ……。やばい食べ過ぎた、吐きそう」


 食べ過ぎて気分が悪くなった俺は、重たくなった腹を抱えて玄関から外に出て、玄関先に腰を落ち着かせて夜風に当たる。

 この世界に四季があるかは知らないが、今夜は春の夜のような心地良い風が吹いている。

 ふと、空を見上げた。


「…………うぉおおおッ⁉︎ こんなんなってたんだな……」


 視界がとらえたのは、満天の星。

 幾千の星が煌びやかに夜空を彩る幻想的な美しさに、いつしか俺は気分の悪さを忘れて、何かに取り憑かれるように魅入っていた。


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