第12話「聞きたいこと」
「おはよう」
俺は右手を小さく上げて、眠たげな表情でリビングに入ってきたミスラに声を掛けた。ただ、唇を固く閉ざしたミスラからの返事はない。まぁ、いつものことだから俺は特に気にしない。だが、今日はソレを気にする奴が朝っぱらからリビングにいた。そいつは、自分の分? の朝飯のスープ(いつものやつ)を飲み干してから、ミスラに向き合う。
「ねえ、ミスラ。『おはよう』って言われたら、『おはよう』って返さなきゃ駄目だよ!」
「…………シェスト、なんでいるの」
「その前に『おはよう』は?」
偶に見せるキツイ瞳で睨みつけられ、ミスラは渋々といった表情だったが、俺に向かって小さな声で「……おはよう」と言った。こんな形になってしまったが、初めて挨拶してもらえて少し嬉しかった。
ミスラに朝の挨拶を言わせると、シェストは満足した様子でスープのおかわりを取りに席を立った。朝からどんだけ食べるんだよ、これで四杯目だぞ。俺はまだ手をつけてないってのに。
「…………なんでシェストがいるのよ」
眠たいからかはたまた睨んでいるのか、どっちとも取れるような瞳でミスラが俺の方を見ている。
「うえ⁈ 俺に聞く? ……別に、シェストが朝飯食べるの忘れたって言うから、食べさせてやってるだけだ」
「…………あっそ」
心底興味なさ気な返事をよこすと、いつも通りミスラはテーブルに置かれたパン一つを手にとって、足早にリビングから立ち去ろうとする。こいつ、またパンしか食べないつもりか。
「待てって! スープあるんだから、食ってけよ」
「……いらない、妊娠しそうだから」
「ほ、本気で言ってるのか?」
「……うるさい、少しは黙れないの? シェスト、先に行ってるから」
ミスラはそう言うと、シェストが「はいはーい」と反応したのを確認してから足早にリビングから立ち去っていってしまう。有無を言わさない態度と言葉に、俺は立ち去るミスラの背中を黙って見ていることしかできなかった。
ミスラのやつ、パンそんなに好きなのか。素朴な味のパンと言えば聞こえは良いが、実際味なんて一切しないぞあのパン。味がしないのを、素朴と言ってギリギリ誤魔化せるレベルのパンだぞ。
「スープにつけて食べれば、倍美味しいと思うんだけどな……」
嘆息しつつ、目の前に目をやると……。
「私もこれを食べ終えたらすぐ行かないとね!」
何事もなかったかのように、平然とした顔でシェストは四杯目となるスープを食べ始めていた。いい食べっぷりだ。
「なあ、ミスラって外で何か食べたりしてるか?」
「うーん、私はミスラが外で食べてるとこ見たことないなかなぁ〜」
「……それって大丈夫なのか? 戦闘中にぶっ倒れたらシャレにならないぞ」
最悪な想定として四方をゴブリンに囲まれて、フルボッコにされるミスラの姿が目に浮かんでしまう。
「あっ。でも、昼頃になるとパン食べてたかな?」
「……パンか。まあ、何も食べてないよりかは幾分かマシだな」
「それはそうとミスラって朝、いっつもあんな感じで朝ごはん食べていかないの?」
「あんな感じだな。朝っぱらからパンしか食べない」
「はぁ……、男なら『あたしを食べて♡』ぐらいしないといけないってのに、常識だよ?」
「常識なわけあるか」
男なのに『あたしを食べて♡』って、完全にオカマだろそいつ。
「そんな話は置いといて、シェストからもミスラに朝飯とかちゃんと食べるように言ってくれないか? ミスラのやつ、二言目には『妊娠する』だから会話が成り立たない」
「わかったけど。うーむ、こんなに美味しい朝ごはんがいらないだなんて、まったく素直じゃないなぁミスラは」
シェストは胸を持ち上げるように両腕を組んで、難しい顔を作ってみせる。俺としてはミスラの態度は素直じゃないとか、そういうレベルを軽く超越しているような気がするのだが……。というか、胸を持ち上げて揺らすそうとするな。そもそもシェストの慎ましい胸では、まず揺れない。
「……きゃ! いやらしい目でお姉ちゃんのこと見ないでよ、ソーマちゃん!」
「い、いやらしくねぇよ! むしろ、聖母のような慈愛に満ち溢れた瞳で、シェストの残念な胸に同情の視線を送ってたんだよ!」
「んなっ⁉︎ 酷いよ、ソーマちゃん! そりゃあミスラの方が大きいけれど……ッ! 胸は大きさじゃないって知らないの⁈」
テーブルから身を乗り出して、ずいっと詰め寄ってくると抗議の視線を俺に向け、いつの間にか右手に握られた因縁あるゴリゴリのステッキの頭も、さりげなく俺の顔に向けられている。
動物としての本能というやつだろうか。
俺は少なからず命の危険を感じていた。
言葉を間違えれば、終わる。
「い、いいいい一応、気にしてらしたんですね」
「…………ミスラに言いつけてやる」
「ひっ! それだけは勘弁してくださいお姉様ッ! いや、ほら! お姉様の良い所はですね、足とかすらっとしてて綺麗な所だと思うんですよ!」
「え? ほんとー? お姉ちゃん嬉しい!」
先程までの怒りっぽい顔から一転して、シェストは顔をパッと輝かせた。両の頬も少しだけ赤く染まっている。ふっ、他愛ない。ちょっと褒めてやればこれだよ。ちょろくて助かるぜ。ほんと、チョロイン。
「……まぁ、ミスラに言いつけるのは変わらないけどね! じゃあお姉ちゃん、もう行くね。ばいばーい!」
「……へ? うそ、待って⁉︎ 行かないで! 行かないでくれええええッ!」
そんな俺の悲痛な叫びもむなしく、シェストは俺の目の前から音もなく忽然と姿を消していた。
「ああ、終わりだ……」
ミスラにフルボッコにされる未来が容易に想像できてしまった。
拳で、足で、最終的には鞘に収められたままの大剣で。
想像するだけで身震いものだ。
「……バイト、行かないと」
重い足取りで歩くとこ数分。俺のバイト先である『クレアおばさんの台所』に着いた。中に入ると、エプロン姿のシアがせっせと開店の準備をしている。
「おはよう、シア」
「おはようございます、ソーマさん。……あれ? いつもより元気ないですね」
「……ちょっと疲れてるだけかな、気にしないでくれ」
「でも……」
「ははは……。シアは優しいぃい…………ッ!!」
ズパァアアンッ! という激しい音と同時に、突如として痺れる俺のケツ。痛くはないのだが、ジンジンして熱い。
「なに腐った顔してるんだい、もうすぐ開店するんだからシャキッとしな!」
言って、俺のケツ叩いた張本人であるクレアおばさんはもう一度俺のケツをぶっ叩こうと、右手を振りかぶった。
「ど、どさくさに紛れて俺のケツを触ってくるだなんて! 言っときますけど、クレアおばさんは俺の守備範囲外ですよ」
「気色の悪いこと言ってないで、とっとと自分の仕事の準備しな!」
またもやズパァアアンッ! と盛大にケツを叩かれて、思わず背筋が伸びてしまう。癖になりそう。
「くそぉ、絶対に俺のケツ触りたいだけだろ……ん?」
俺とおばちゃんの一連の流れを見ていたシアが、くふふふっと口に手を当てて上品に笑っていた。笑っているシアを見た所為か俺の口元からも、思わず笑みが零れる。サンキュー、おばちゃん。なんだか元気になった気がする。
まあ、そもそもそこまで元気がなかったわけではないのだが。
ミスラからの暴虐非道な仕打ちなんて、俺にとっちゃただのコミュニケーションみたいなものだしな。
「あっ、ソーマさん。ついでにナナを起こしてきてもらえますか?」
「おし、任せろ!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『クレアおばさんの台所』の営業が終わった午後六時、夕焼け空の下を歩きつつ、いつも通りシアとナナの姉妹を家まで送っていた。
程なくしてシアとナナの家に着き、
「お兄ちゃん、ばいばーい!」
「それではまた明日ですね、ソーマさん」
「おう、じゃあな!」
元気よく両手を振るナナと、小さく手を振るシアを微笑ましく思いながら手を振り返して、ようやく俺は自分の家までの帰路についた。
夕食にはシアに教えてもらった料理を作ろう、そう思うと歩調がだんだんと早くなっていく。
「こっちの世界の料理なら、ミスラのやつも食べてくれるんじゃないか⁈」
今までは安っぽいスープだったから、お気に召さなかったのかもしれない。確かに、連続野菜スープはやりすぎた感がいなめない。だから案外こっちの世界の料理なら簡単に食べてくれるんじゃないだろうか。
「俺は料理はわりと得意な方だからな、匂いにやられてコロッといくだろ!」
「……妊娠しそうだから、いらない」
現実は非常なもので、この通りコロッといきませんでした。
とても残念です。
と、簡単に引き下がるわけにはいかない俺は、夕食には目もくれずパンだけ持ってリビングを去ろうとするミスラを呼び止めた。
「待てよ、いったい何がダメなんだ? 言っとくが、妊娠するってのはなしだからな!」
はぁ、とため息をつくミスラ。
「……そのいやらしい目。シェストから聞いた。今まで私のむ、胸とか……そのいやらしい目で見てたから嫌! ……光を失って闇に幽閉されろ」
最後の言葉に、とても心が篭っていたような気がする。というか、食べたくない理由になってなくないですかね?
「それが勇者が言うことかよ」
「……失明しろって言っただけ」
「それだよ! 勇者が一般人である俺に、そんな言葉言っていいのかってことだ。勇者の品格が落ちるぞ」
「…………ちっ」
「舌打ち⁈」
「兎に角食べない。それじゃあ話は終わ…………離して」
このままじゃ駄目だ。
なぜか急に強くそう思って、俺は立ち去ろうとするミスラの肩を掴んで、強引にミスラを引き止めていた。強引に引き止めた所為か、ミスラが俺に向ける視線は酷く獰猛で怖い。
待て待て待て、いくらなんでも怖すぎだろッ!
こんなの勇者の目じゃないだろ、どちらかと言えば魔王みたいな目をしてますけど⁉︎
それでも、ここで聞かなければこの先も聞けない気がして、満を持して俺は聞いた。
「最後に一つ聞きたい……」
「なに?」
「……俺、お前に嫌われるようなことしたか?」
やっと聞けた。




