第10話「勇者とは」
時刻は午後六時。『クレアおばさんの台所』は予定どおり営業終了し、俺とシアは皿洗いに勤しんでいる。皿洗いを俺たちに任せたおばさんは『これから楽になるわねぇ』と早々に家に帰り、ナナは店奥でぐっすりおねむだ。昼寝できなかった分、疲れているのだろう。
俺とシアは黙々と連携して皿を洗っていた。俺が洗剤みたいな液体で皿を洗い、シアがその皿をタオルで拭く。
そんな静寂を破ったのは、俺のふとした疑問だった。
「なぁ、シア。ミスラって毎朝早くから家を出るんだけどさ、あいつ朝早くから何してると思う?」
「…………し、知らないんですか⁉︎」
「まぁ、あまり気にしてこなかったから……」
「自分の妻のことなんですよ。ソーマさんはもっと気にするべきです」
皿を拭く手を止めずに、シアはジトッとした目で俺を見る。
「何も知らないどころか。実は、まともな夫婦の会話さえしたことがない」なんて言ったら、シアに倍怒られそうだから真実はひっそりと隠しておく。
あの驚きぶりを見るに、おそらくシアは朝からミスラが何をしているのか知っている。もしかしたら、立場上ミスラが朝何をしているかは、この町では常識なのかもしれない。
「わかった。シアの言う通り、今度からそうするよ。んで、朝っぱらからミスラは何してるんだ?」
「……勇者様は、魔獣から町を守ってくれているんです」
「ほえ?」
思わず口から変な声が出た。
魔獣? 何それ美味しいの? 字面は食べれそうなんだけど。
「この町は、森と湖で囲まれてるのは知ってますよね。それで、その森なんですが、魔獣が住んでいるんです。そのせいで毎日のように、人の匂いにつられた魔獣が町に侵入しようとします。それを食い止めるのが、勇者様と他の剣士様達の仕事なんです」
「魔獣ってのはどんなやつだ?」
「例えば、ゴブリンです。勇者様は、ゴブリンの巣がある北の森の最前線で、人を襲おうと企むゴブリン達をやっつけてくれるんです。勿論、他の剣士様達も、残りの西と南の森から来る他の魔獣から町を守ってくれています」
「そうだったのか……」
てっきり俺はミスラが朝っぱらから何処かで遊んだり、家で食べない分外で朝食を食べてたりしてるのかと、自分勝手に想像してしいた。
大剣担いで外に出るのも、勇者の威厳を保つ為の正装なのかと勝手に決めつけていた。
なんだよあいつ……。
勇者らしく町の人々を守ってるとか、まさに俺が憧れたヒーローってやつじゃんか。
ああ、くそ。
思わず嫉妬するぐらい、
「俺の嫁って、すげぇかっこいいんだな」
「そうですよ! 勇者様は、凄くかっこよくて綺麗で、私の憧れなんですから!」
シアは自慢気な表情でうんうん頷く。
「なんでお前が自慢気なんだよ。むしろ俺だろ? 自慢気な表情をするのは」
「ソーマさんは自分の妻のこと何も知らなかったじゃないですかー!」
「これからだ! これから少しずつ知ってけばいいんだよ、あいつのことは」
まだ異世界に来てから三日だぞ。そんなんで、何が分かるというのか。人を知るっていうのは、ゆっくりと長い時間をかけることが必須だ。三日なんて、人の上っ面しか見えない。
まあ、その割には一日一日が濃い内容の所為で、俺の体感としては一ヶ月くらいの疲れが溜まっているわけなのだが……。ここ三日間で、けっこう肩凝ったし顔も老けた気がするしな。
「あれ、お姉ちゃんとお兄ちゃん?」
ひょいっと店の奥から顔だけ出して、ナナがこっちを見ている。
「おっ、起きたかナナ。すぐに皿洗い終わるから、少し待っててくれ」
「わかったー!」
またひょいっとナナの頭が店奥に引っ込む。
「あーーそう言えば、ソーマさんは夕食どうします? うちで食べて行きますか?」
シアが最後の皿を拭きながら訪ねてくる。
「あー、悪いな。お前らを家まで送ったら、今日は速攻で家に帰ることにする。そんでもって、ミスラに夕食作ってやらないとな」
なんと! 心優しいおばちゃんが給料を前借りさせてくれ、更に余った食材をくれて、当分はまともな料理を作ることが出来るのだ。
あいつがちゃんと食べてくれるかは別の話だが。
とりあえず、ありがとうおばちゃん、愛してるぜ。
熟女好きとかそういうのではなく。
「ふふっ。あの話の後で、私の家で食べるなんて言ったら、休みの日にナナの『お馬さんゴッコ』に一日中付き合ってもらうつもりでしたよ」
なにそのトラップ、怖すぎだろ。一日中とか死ぬぜ、アレ。
「あっ、そうだそうだ」
ふと、シアに頼み事があるのを思い出した。
「今度、こっちの世界の料理を教えてもらえるか?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「今日はやけに遅いなぁ……。早く帰ってこないとスープが冷めるな。一旦戻して、再加熱するか」
今日も今日とて俺が作ったのは野菜スープ。こっちの食材で故郷の世界の味を再現するのは難しい、よって野菜煮込みスープに落ち着いている。醤油とかマヨネーズなんてモノは当然なくて、あるとしたら塩と砂糖ぐらいだ。
「まぁ、料理に関してはおばちゃんのを見て盗むか、シアに教えてもらえばいいから問題ないな」
昔から手先は器用だった。高校時代の家庭科に関しては、毎年5の評価を貰っていた。『お前には6をやりたいぐらいだ』と家庭科の先生に言われたぐらいだ。料理実習の時は、俺が家庭科の先生の代わりに授業を担当したまである。
そんな昔のことを思い出しながら、俺がスープを鍋の中に戻して再加熱していると、ガチャリとドアが開く音がした。
やけに気だるそうな表情のミスラがリビングにやってくる。
「よお。おかえり」
ミスラの返事はない。
「お姉ちゃんも、いるよッ! チラッチラチラッ!」
壁を盾にして、ひょこひょこっと顔を出したり引いたりする可愛げのある行動をとる翡翠色のキチガイもいた。
「なあ、ミスラ。夕食は食べるのか?」
「なんで無視⁈ ……のわぁッ! 何をする!」
突如として俺とミスラの間に入ってきたシェストを押し退ける。
お前は引っ込んでろ。
「妊娠しそうだからいらない」
「なに? 夕食だと? お姉ちゃんはいただいていこうかなー」
ニョキっと横からシェスト。
「食べたら妊娠する薬入ってるからやめた方がいいよ」
「え? そうなの?」
「どんな料理だよ! そんな危ないもん入れるわけがないだろ!」
そもそも食べただけで妊娠とか、子宝に恵まれない人相手に一商売始めれそうだ。世紀の大発見すぎるだろ。俺の故郷だったらノーベル賞ものだぞ。
「とにかく、いらない」
ミスラはいつも通りパンだけ持つと、逃げるように自室に向かって行ってしまった。
「だから妊娠しねえよアホ」
まあ、ミスラ自身も本気で妊娠すると思っているわけではなかろうが。本当にそう思っているのなら、正規な手続きを今度俺が教えてやらないとな。いや、変な意味じゃなくて。
「……あっ、美味しい。なかなかの腕前だねソーマちゃん」
勝手に席についていたシェストが、勝手にスープを皿に盛って勝手に食べ始めていた。まぁ、いいけどさ。
「美味しくできてるか? 勿論、味見はしてるが」
「うんうん、できてるできてる!」
シェストは満面の笑みを浮かべ、勢いよく首を縦に振る。嘘をつくような性格ではないと思うから、ちゃんと美味しくできているのだろう。やっぱり、美味しそうに食べてくれるのを見ると、いかに相手がシェストとはいえど心が和む。
俺も自分の分のスープを皿によそって、スープを食べ始める。いい感じにしんなりした野菜がうまいのなんの。
「そう言えばソーマちゃん、ミスラと仲悪いんだよね?」
「…………き、急になんだよ。それより、ちゃん付けをやめろ」
「悪いんだよね?」
シェストの声のトーンが低くなる。シェストの奴、このタイミングでクールビューティーを発動してきやがった。普段の外見に似合わない明るい声との落差が酷く、思わず背筋が伸びてしまう。
目つきも鋭利になり、何もかもを見通されているような感覚。
「ま、まあ…………悪いです、はい」
「ミスラと仲良くなりたい?」
「そりゃあ、仲良くなりたいよ」
当たり前だ。美少女と仲良くなりたくない男なんて、救いようがないよっぽどのブス専ぐらいだ。一般的な俺は、当然としてミスラと仲良くなりたい。というか、夫として嫁と仲良くなりたい。
「本当に?」
「本当だ」
「お姉ちゃんとは仲良くなりたい?」
「そうでもない」
「なんでよッ⁉︎ お姉ちゃん悲しい!」
可愛らしく頬を膨らませて怒るシェスト。もう少しクールビューティーであってほしかった。というか一生クールビューティーでよかったのに。残念ながら、背筋がゾクゾクして楽しかった時間も終わってしまったようだ。
「まあ、大体の事情はお姉ちゃんわかるんだよねー。でもこればっかりはソーマちゃんとミスラの問題だから、お姉ちゃんは口出ししません!」
シェストは胸の前でバッテンを作る。
「ヒントぐらいくれよ。夕食代だと思って」
「むむっ! なら…………」
一瞬考えるようなそぶりを見せてからシェストは、
「ソーマちゃんの思ってるほど、ミスラはソーマちゃんのこと嫌いじゃないよ、とだけ言っておこうか。それじゃあ夕食ご馳走様でしたー、じゃねー」
そう言うと逃げるようにして玄関の方に向かう。
「は? ちょっと待てよ! おい、他にも聞きたいことが…………いねえ」
俺がシェストの後を追うようにして玄関に繋がる廊下を視界に入れた時には、すでにシェストの姿は忽然と消えていた。
「…………残ったスープは明日の朝飯だな」
明日のミスラは朝飯を食べてくれるだろうか?




