第1話「向けられた銃口」
そよ風が優しく肌を撫でる、四月。
デパートの屋上に設置されているベンチに、ゆったりと腰を掛けていた俺は気がつけば長い間、青い空を見上げていたようだ。
屋上の貴公子の如くイケメン臭漂わせる俺がどうして今日このデパートに来たのかと問われれば、子供の頃好きだったヒーローショウが十年ぶりに再開したからだった。何を隠そう、俺はそのヒーローショウを見る為だけにデパートに来ていたわけだ。
俺は大勢のちびっ子達の中に紛れて、懐かしさを噛み締めながら、ヒーローショウに夢中になった。
ちびっ子達と同じように、悪の手下が現れた時はハラハラして、ヒーローと悪役の戦闘シーンは手に汗を握った。
ちびっ子達に紛れてヒーローショウを見る事に少し恥じらいがあってか、悪と戦うヒーローに声援を送るようなことはしなかったが、心の中では応援しまくっていた。
そして、最後にはヒーローが必ず勝つという様式美が大好きだった。
そんなこんなでヒーローショウを見終えた後、俺はベンチに腰を掛けて感傷に浸り、今の状態に至っているわけである。
時計を確認してみれば、ヒーローショウが終わってから二時間が経っていた。どうやら二時間もの間、感傷に浸り続けていたらしい。
とは言え、久しぶりに子供の頃好きだったヒーローショウを見たわけで、感傷に浸るのに二時間という時間は、たいして長くもないはずだ。
偶にはアニメや小説の英雄、ヒーローだけでなく、ヒーローショウを見るのも悪くない。
今だって目を閉じればヒーローショウが始まって、かっこいいヒーローの姿が瞼の裏に、脳裏に焼きついて離れてくれない。
……ああ、そうだとも。
俺は英雄って奴に、憧れている。
アニメや小説に出てくる、窮地からヒロインや人々を救いだす英雄、歴史上の英雄的存在、それら全ての英雄に心が惹かれ、憧れている。
いや、この気持ちを憧れという言葉だけで表すには、少し適切でないかもしれない。なにより、俺が気にくわない。
さて、訂正しよう。
俺は英雄に成りたい。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
結局、もう一時間ほどベンチで感傷に浸り、その後で俺は本屋に訪れていた。当初の計画とは違うが、わざわざそう近くもないデパートにまできて手ぶらで帰るのは、いささか勿体無いような気がして、折角だから小説の新刊でも買おうと思った次第だ。
小説コーナーの一角で足を止め、新刊をチェックする。
「あの作者の新しい小説か…………。買っておいて損はないな」
丁度、好きな作者の新シリーズが今日発売だったようで、上から二番目のものを手に取った。
他には自分の集めているシリーズの新刊が出ているわけでもなく、好きな作者の新シリーズが出ているわけでもなかった為、この小説だけをレジに持っていく。
「六百円になります。カバーはおつけしますか?」
「はい。お願いします」
「千円からお預かりいたします。四百円のお返しになります」
「どうも」
手早く会計を済ませ、本屋をあとにする。
……時刻は午後三時。まだ外は明るい。
それなら今買ったばかりの小説を、屋上のベンチにでも座って読むとしよう。そよ風に吹かれながらの読書というのも、なかなかにオシャンティーで悪くない。
「……なんだ?」
早速、屋上に向かおうとした時だった。
ソレは唐突に現れた。
目の前から歩いてくる一人の少女に、俺は視線を奪われていた。何もおかしな所がない、普通の少女。なのに、少女から目が離せないでいた。
俺がロリコンだとか犯罪者予備軍だとか、そう言ったことではなく、その少女があまりにも普通すぎて目が離せなかった。
本来なら、普通な人間なんて存在しない。
誰しもが自分だけの個性を持っているこの世界において、普通という言葉が人間に当てはまる筈がない。もし、自分こそは普通な人間だと公言する人間がいるとしたら、その人間は普通であるという言葉の魅力に酔ってしまっている、ただの変態だ。
というアホ丸出し理論を展開する俺だが、目の前から歩いてくる少女だけには、普通という言葉しか見つからなかった。
例えて言うのなら、全世界の少女の個性を全部足し合わせて、全世界の少女の人数で割ったぐらいに、個性というものが感じ取れなかった。不自然な程に、普通すぎる。
脳裏に焼きついていたヒーローが、少しづつ、普通すぎるその少女の姿によって塗り替えられていく。
俺は呆然と立ち尽くしたまま、少女が横を通りすぎていくのを、じっと待つことしか出来なかった。
「……と、とりあえず、屋上だな」
気を取り直して、屋上に向けて足を進める。足を進めている間もあの少女のことが忘れられず、形容できない不安が押し寄せ、いつしか小走りで屋上に向かっていた。
あの少女は、いったい何なのか。
何も考えないようにしても、その疑問だけが頭から離れない。
頭を悩ませながらも、なんとか屋上まで辿り着いた俺は真っ先にベンチに腰をかけていた。
「……はぁ、はぁ……!」
呼吸が荒れ、冷や汗が流れる。
屋上に設けられている遊園地の陽気な音楽が、不安を掻き消してくれると思ったが、そんなことはなかった。
未だに形容できない不安は、胸を締め付けてくる。
屋上という開放的な空間だというのに、息苦しい。
「……少し、休もう」
自分でも今の自分の体調がよろしくないことは、嫌という程に分かった。こんな時は睡眠にかぎる。そんなわけで、俺は夢の世界に迷いなく飛び込んでいった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「…………っあ⁈」
何か大きな音が鳴った気がして、目を覚ました。いったいどれ程の時間眠っていたのか、既に日は落ち、空は闇に覆われている。時計を見れば、短針は七時を指していた。どうやら四時間もの間、眠っていたらしい。
この時間帯になると、さすがに屋上の遊園地ではしゃぎ回っていた子供達の姿は見る影もなく、そもそも遊園地はすでに営業終了時間だ。
ここで子供の遊び声でも聞こえてみろ。
ホラーすぎて漏らす自信がある。少なくとも悲鳴をあげて、一目散に階段を駆け下りることだろう。
そんなことはさて置いて。
「まあ、帰るか」
そう思ってベンチから立ち上がると、まるで見計らったように、バンッ! と銃声にも似た大きな音が鳴り響いた。心臓が勢いよく、ドクンと跳ねる。
「な、なんだ⁉︎」
気になって、小走りで下の階に続く階段へと向かった。階段を下りる最中またもや、バンッ! と大きな音がなり、心臓が跳ねる。
ようやく四階に繋がっている階段を降りきった先でまず目に入ったのは、
赤黒い絵の具をこぼしたような痕、すなわち血痕だった。
その血痕は奥へ奥へと続いている。
視線だけでその血痕を追っていくと、一人の人間が赤黒い血溜まりの中で倒れている姿が視界に入った。
「……あ? あ? あ? は? 」
意味が、わからない。
なんなんだよ、このB級映画みたいな展開は。デパートで人が死んでる? 冗談も大概にしてくれ。
「おいおい、冗談だろ? なあ、誰か冗談って言えよ! …………ああ、そうか! これはドッキリなんだろ。あれは作り物の死体で、俺を仰天させる為の仕掛けなんだろ。もういいよ! 十分驚いたから、早く誰か出てきて種明かししろよッ!」
声を張り上げて訴えかけたが、誰も何も出てこない。当然、ドッキリ成功と書かれたプレートも。どうやら、精肉店のサプライズじゃなさそうだ。
そもそも種明かし云々の前に、人だった肉塊を除いて、このフロアに人間はいなかった。時刻は七時。デパート自体の閉店にはまだ早い。それともなんだ。今日に限って、七時閉店だとでも言うのか?
「意味が、わかんねえっ…………! くそッ! くそッ!」
ひとしきり叫び終えると、階段にへたり込んで俯く。無闇に動きたくなかった。なにより吐き気がして、血を見ていられなかった。
…………なんで俺なんだ。
その言葉だけが永遠に頭の中で反芻される。
そんな時。
今の俺の内心には不釣り合いな、『ピンポンパンポーン』と陽気な音を連れた館内アナウンスが流れ始めた。
『……さ、最後のアナウンスとなります! ただいま館内で射殺事件が発生しました。まだ館内におられる方は、至急お逃げください! お逃げくださいッ!』
スタッフは相当焦っているようで、アナウンスはもはや早口言葉と化していた。
それよりもだ、最後のアナウンスということは……眠りこけていた俺が、たんに聞き逃していただけだったのか。
それにしたって、どうして誰も起こしてくれなかったのか。それぐらいしてくれたっていいだろ。
いや、俺が起きなかっただけで、起こそうと努力した人がいるかもしれない。
まあ、どちらにせよ過去を悔やんでも現状は変わらない。
「ああっ! くそっ! なんで俺なんだよ!」
気がつけば、荒々しく叫んでいた。誰もいない閑散としたデパートだと、よく響く。怒りに任せて叫んだおかげか、少しだけ頭が冷静になった。とりあえず今は、この状況を嘆いている場合ではない。最善手は、すぐにこのデパートから脱出することだけだ。
大丈夫、安心しろ。階段を使って一気に駆け下りれば、問題なく逃げられる筈だ。
そう決めつけて、俺は一目散に階段を駆け下りる。
何度も足を踏み外しそうになりながらも、階段を駆け下りる。
「大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫」
呪文よろしく、そう言葉にしながら階段を駆け下りる。一段飛ばして階段を駆け下り、三階から二階に続く階段の一歩目を踏み出した時。
バンッ! と耳を劈く本日三度目の銃声を聞いた。
その銃声を聞いた瞬間、俺の他にまだ残された人がいたのかと思って、言ってはなんだが不思議な安堵感に包まれた。
と、出来ることなら一生そう思っていたかった。
実際はそうでないことに、否が応でも気づかされる。
俺のすぐ左横の壁に、弾痕があった。
俺はゆっくりと右を向いた。
視界に捉えた覆面男。
眼前に突きつけられた、
…………銃口。




