モブ令嬢は、ヒロインから逃げたい王子に頼られる 2
前作への評価・ブクマなどありがとうございました!
更新が活動報告のお知らせより遅れてしまって申し訳ないです・・・
前作・コミカライズと合わせて楽しんでいただけると嬉しいです!
※コミカライズに関しては、活動報告に詳細を乗せています。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1405098/blogkey/3237304/
卒業式の日から、私の生活は一変した。変な意味ではない。
領地に帰ってきたからだ。
「お爺様、今月分の収支がでました」
「おお、ありがとう。後で見るから、置いておいてくれ」
領地に戻ってきてから、私は領主であるお爺様の手伝いをする日々を送っていた。
我が家の当主はお父様だが、お父様は王都にいる。なので、王都から遠く離れた領地はお爺様が管理されていた。
ちなみに、領地にいるのはお爺様と私の二人だけだ。しかもお爺様は足が悪く、普段は車いす生活をしている。必然的に、暇な私が領地運営を手伝うしかないともいう。
とはいえ。王都から離れたかった私にとっては好都合。それも我が家は男爵家。領地運営といっても大したことはない。いくつかの村の様子を見るだけなので、大貴族に比べれば問題も少ない。のんびりと村の人たちとの日々を過ごすのは、私の性に合っていた。
「クリス」
呼ばれて、お茶を淹れようとしていた手を止める。顔を上げれば、お爺様が書類を見ながら口を開いた。
「今度、王太子殿下が視察にくるそうだ」
「殿下がですか?」
王太子殿下とは、エスメラルダ殿下の事だ。なんでまた? と声にしなかった疑問はお爺様には届いたようだ。
「数年に一度の定期視察だから、特別なことではない。今年がこの辺りに決まったのだろう。例年は陛下が自ら回られていたが、徐々に仕事を引き継がれるおつもりなのだろうな」
そうなんだ。まぁ、元気な時に引き継いでもらうほうがいいに決まってるよね。
定期的に行われることであれば、お爺様も慣れているのだろう。悪いこともしてないし、慌てるようなこともない。平然としている理由がわかって、私がまたお茶を淹れようとした時だった。
「お前も殿下に会うのは久々だろう。ゆっくり話せる時間があるとよいな」
「ぅぐ」
やばい。変な声が出た。
卒業式の出来事をお爺様が知っているかどうかは知らない。少なくても私は話していない。まぁ、まだ学園にいる弟経由で聞いている可能性はあるけど、直接確認されたことはなかった。
まぁ、知ってても知らなくても、毎月のように殿下から手紙が届くのだ。文通するほどの仲であることは、当然知っている。
「変な気は回さないでくださいね!?」
「わっはっは!」
答えてない! 答えてないよ、お爺様!!
笑うお爺様に対し、私は睨み付けることしかできない。けれどもちろんお爺様には痛くも痒くもないのだろう。
どんな視察になるんだろう・・・もう今から怖くて痛む頭を、私は抑えることしかできなかった。
それからは、視察の準備に追われて忙しい日々が待っていた。
普段の我が家は、最低限の使用人しかいない。が、視察の間は殿下やお付きの人が泊まることになっている。人手が圧倒的に足りないため、まずは近くの村の人に声をかけて掃除や当日の手伝いなどをお願いした。
並行して、食料などの調達をしたり、視察用の資料をそろえたり。ばたばたと視察の準備に追われていたら、あっという間にその日がやってきた。
「クリスティーナ嬢!!」
開口一番そう叫んだ殿下の笑顔の、なんと眩しいことか。殿下の誕生パーティー以来の再会とはいえ、それはそれは嬉しそうな笑顔の威力は抜群だった。
とはいえ。とはいえである。ある意味予想通りだったため、ちゃんと耐えた私を誰か褒めてほしい。
「お久しぶりでございます、殿下。ようこそお越しくださいました」
ドレスをつまんでぺこりとお辞儀。お爺様の代わりに貴族の出迎えの挨拶をした私を見て、殿下も自分の立場を思い出したのだろう。
わざとらしく咳ばらいを一つして、姿勢を正した。
「出迎え感謝する。クリスティーナ嬢一人か?」
急変した態度に、後ろの騎士や文官の人たちが目を丸くしている。彼らが普段見ている殿下は、ゲームで描かれたような由緒正しい殿下だろうしなぁ。私が知っている現実の殿下とは大きく違うのだから、驚くのも無理はないだろう。
心の中で納得しながら、私は小さく頷いた。
「はい。祖父は足が悪いため、迎えに出れない非礼をお詫びいたします」
「ああ、そうだった。わかった、私が行こう」
「ありがとうございます」
本当は当主であるお爺様が迎えるべきなのだけど、車椅子だと不便もある。家の中は段差のない構造になっているけれど、流石に玄関の階段はどうしようもできない。さらに今日の殿下は査察にきているのだ。どちらにしろ執務室に向かうのだから、最初からそちらで準備して待っていてもらう方が移動の手間が省ける。日程調整の時に予告しておいたお陰もあり、殿下も気分を害した様子はなさそうで、安心した。
あらかじめ側にいた使用人たちに騎士や文官達の案内を頼み、私自身は殿下と共にお爺様の待つ執務室に移動する。とはいえ我が家は男爵家。さして広くない屋敷なので、あっという間にお爺様の部屋の前に辿り着いた。その扉を開けようとして、ふと気が付いた。
「そういえば、ラインハルト様はいらっしゃらないのですね?」
「うん。かさばるから置いてきた」
・・・・・・なんという言い方。ラインハルト様、お疲れ様です・・・笑顔の殿下に押し切られる様子が目に浮かぶようだわ・・・
心の中で合掌しながら、気持ちを持ち直して。コンコンと扉を2回ノックする。
「お爺様、殿下をお連れしました」
「お入りください」
中から声がするのを待って、扉を開ける。殿下が入ったのを待って扉を閉め、顔を上げれば。
そこにはこの国の「皇太子」と「領主」がいた。
「息災で何よりだ」
「ありがとうございます。このような姿でのご挨拶となり、申し訳ございません」
「気にするな。事情は理解している」
普段見ている二人と同じ人のはずなのに、どこか違うように見える。何が違うのかはわからないけれど、なぜか見ているだけのこちらまで背筋が伸びた。
お爺様が促して、殿下がソファに腰を下ろす。その正面にお爺様が車いすのまま移動したのを見て、私は慌ててお茶の準備を始めた。
二人のほうからは、すぐに仕事の話が聞こえてくる。
「早速ですが、今回のスケジュールを再確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「当初知らせたとおりだ。滞在期間は1週間。書類確認と現地確認は手分けする。書類は文官たちに任せ、私は現地確認をするつもりだ」
「承知いたしました。生憎狭い屋敷でして、何人かは村に泊まっていただきますが、問題ありませんか?」
「ない。押しかけているのはこちらなのだ。迷惑をかける」
「そう言っていただけて感謝します。文官殿たちは私が、現地の見回りには孫を立ち会わせる予定です」
「え?」
二人とも仕事モードだとこうなるんだなぁ、と。呑気に思ってたら、まさかのこっちに飛び火した。お茶を注ぐ前でよかった。途中だったら絶対に零してた。
手にしていたティーポットをテーブルに置き、二人のほうを振り返る。そして、二人とばっちり目があった。
「・・・私ですか?」
「お前以外の孫は王都にいるからのぅ」
いや、それはそうだけど。そうなんだけど! 何も聞いていませんけど!?
「殿下、これでも普段は領地の運営を手伝ってくれている孫です。案内役には十分でしょう」
私が反論するより前に、お爺様が殿下に言い切ってしまう。そして、殿下もまた。
「わかった。ぜひお願いしよう」
なんて気軽に了承してしまったものだから。私にはもう、断るという道は残されてなかった。
お爺様に殿下の案内を任されて数日。私は毎日違う村を移動する生活を送っていた。
目的はもちろん、殿下の視察だ。領地の様子は定期的に国に報告する義務がある。その報告と現状に差がないかを確認するのが、今回の視察の主な目的だった。
なので、私からどこに行こうとは言わない。殿下が行きたい場所を選び、そこに連れていく。そしてそこで働く人との会話する場を作る、ということを何度か繰り返した。
例えば、市場だったり、工房だったり、小さな農村だったり。
いろんな場所を見たけれど、我が領地は小さいから1週間もかからなかった。もちろん、移動は馬だ。私が馬に乗れると知った時の殿下の反応は見ものだったなぁ。
目的だった場所をすべて回り終えた帰り道。あの時の事を思い出して笑ってしまった私に、殿下が話しかけてきた。
「君はちゃんと領主の仕事ができるんだな」
「はい?」
「いや、学生の頃は思いもしなかったから、驚いた」
殿下は心底驚いているような口ぶりだけど、私は何を言われたのかすぐには理解できなかった。ぱちぱちと何度か瞬きするくらいには、逆に驚いた。
「誰だって仕事はちゃんとするでしょう?」
学生時代だって、学業をサボったつもりはなかった。この王子様には私がサボっているように見えていたのだろうか?
純粋な疑問は口にはしなかったけれど。殿下はすぐに否定するように言葉を補った。
「でも目立つことは嫌いだろう? ここの人たちはみんな君を知ってたから」
ああ、なるほど、そういう意味か。確かにそれはそうですね。
「目立ったつもりはありませんよ。ただ、ここの人たちは私が生まれた頃から知ってますから」
学校とは、入学以降に交友関係を築く場所だ。お互いに意識して、初めて友人になれる。少なくても、前世の学校はそうだった。
だが貴族階級が入ると話が変わる。身分が上の貴族たちに気に入られようと、下の者たちは頑張ってアピールする。付き従う。集団の先頭に経つ上の貴族は自然と目立つものだし、その取り巻きたちも同様だ。そうやって、貴族の弱肉強食の世界が出来上がっていくのだ。
逆に言えば、である。その中に入らなければ目立つことはない。付き従わなくても逆らわなければ、目に付けられることさえない。これが私がモブたれた所以だ。殿下とは不可抗力によって関わってしまったけれど、他の貴族たちとの関わりはほとんどない。お陰で貴族の弱肉強食に巻き込まれることなく、モブのまま卒業することができた。
けれど、ここは違う。ここは私が生まれた場所だ。私の意志に関わりなく、私が生まれた時から私を知ってる人たちがたくさんいる場所。それが故郷というものだ。
しかも今は領主であるお爺様は滅多に屋敷を出ることはない。その分、私がみんなの話を聞いているのだから、いろんなところで声を掛けられるのも当然の事だった。
私の返答に、なぜか殿下は満足そうだ。
「そうだね。民に慕われる良い領主に見えた。この領は安泰だ」
「殿下のお墨付きがもらえたのならよかったです」
にこにことご機嫌な殿下に釣られて、私も笑う。よかった。これなら視察の結果も問題無さそう。お爺様の顔を潰さなくて済みそうね。
肩の荷が下りたからか、自然と全身から力が抜けた。それが伝わったのだろうか。殿下の笑顔もどこかふわふわしているように見えた。
「仕事の目途が立ったところで、友人としての会話をしてもいい?」
「どうぞ」
何の断りだろう?と思っていたら、私が頷くのを待ってから護衛の人たちが前後に分かれて距離をとった。なるほど。人に聞かれては困る友人の会話ってことね。
少しだけ構えてしまった私に、殿下の静かな声が聞こえてくる。
「あのね、クリス」
殿下の誕生日でそう呼ばれてから。殿下は手紙でもその呼び方を使うようになった。
でも、今までは仕事だったから。王子と貴族令嬢の立場だったから。ずっと学生の頃と同じ「クリスティーナ嬢」と呼ばれていた。
つまり。
殿下の声で、この響きを聞くのは久しぶりだった。
「な、んでしょう」
動揺は声に出た。少し裏返ってしまった返事も、殿下は気にする様子はない。
ただまっすぐにこちらを見て、
「王都に、戻ってこない?」
いつか言われるだろうと思っていた言葉を、口にした。
ああ・・・やはり、言われてしまったか。素直にそう思った。
最初に殿下が来ると聞いた時から、こうなるのはわかっていた。殿下はずっと、私の返事を待っている。卒業式のあの日から、ずっと。
そして私は、いつも同じ返事を返してきた。
「目立つのは嫌です」
殿下の婚約者になる、ということは、未来の王妃陛下になる、ということだ。この二つはどうしても切り離せない。殿下は国王陛下になるべく育てられた人だし、国王となることに不満を持つ者もいないだろう。
けれど私は違う。先ほど言ったように、貴族社会に入る度胸さえもない。できるならば、この田舎で一生のんびりと暮らしていけたらいいと、そう本気で思っている。
そしてそれは、殿下も知っていることだった。
何度も何度も手紙を交わした。何でもない日常から、ちょっとした政治の話や、お互いの想いまで。何度も何度も、殿下には手紙で伝えてきた。
お互いに、お互いの想いはわかっていて。それでも譲れない思いがあるのだ。
「わかってる。極力表舞台にはでなくていい」
「『極力』なんですね」
「うっ・・・全部はどうしても・・・」
でしょうね。表舞台に一切出てこない王妃陛下なんて、私でも信用できないだろう。
想像通りの殿下の返事に、思わずため息が零れる。とはいえ殿下も素直に話してくれたのだ。私も話さなくては不公平だろう。
一度だけ深く深呼吸して、心を落ち着けて。ゆっくりと口を開いた。
「少しだけ、期待してたんです」
「・・・何を?」
「私が働く姿を見て、貴方が諦めてくれないかな、って」
ここでの私は、殿下の目から見ても信じられないくらいにちゃんと領主の孫として働いていただろう。そう自負できるくらいには頑張ったつもりだし、現に殿下もそう仰っていた。
残酷なことを言っている自覚はある。現に殿下は、見たことがないほど表情を歪めた。
私の予想通りに。
「私はここで働くのが楽しい。小さな範囲でいい。顔と名前が一致するみんなのために働いて、一緒に笑いあえればそれで幸せなんです」
大きすぎる権力も、富も、私はいらない。殿下がくれるものは、どれも私の身に余るだろう。殿下もきっと、今回の視察でそれを理解してくれたはずだ。
「それでも、まだ同じことを言うんですね」
殿下の表情を見る勇気はない。気付けば二人そろって馬の脚を止めていたことも気付けないくらい、周りの事がわからなくなっていた。
静寂が私たちの間に落ちる。どれくらいの時間が経ったのだろう。数秒だったようにも思うし、数分経ったようにも思う。これ以上言葉を紡げばもっと酷いことを口にしてしまいそうだから、私は何も言えない。かといって殿下を見る勇気もないまま、時間だけが静かに流れていった。
静寂を破ったのは、殿下の静かな声だ。
「・・・そうだよ」
それは、ともすれば聞き逃しそうなほどに小さな声だったけれど。静寂の中では、はっきりと耳に届いた。
ぐいっと何かに引かれて、体が傾いた。驚く暇もなく、今まで馬に乗っていた体は地面の上に移動する。
そして目の前には、殿下の真摯な瞳があった。
「それでも私は、君を王都に連れていく」
もはや訪ねてすらいない。拒否権すらない言い回しに、本当ならば怒るべきなのだろうけど。
殿下があまりにもまっすぐに、私を見るものだから。そんな熱い瞳で見られたら、私は――――もう、ギブアップするしかないじゃない。
「・・・1年半」
「え?」
「1年半、待ってください。弟が卒業して、お爺様の手伝いができるようになるまで」
使用人がいるとはいえ、足の悪いお爺様を一人残していくことはできない。1年半あれば、弟が戻ってきてある程度の引き継ぎを終えるの期間としては十分だろう。
私の言葉を、殿下はしばらく理解できなかったみたいだ。あまりにも呆けた顔をしているものだから、
「もちろん、そんなに待てないというのなら、この話はなかったこt」
「待つ待つ待つ!! それくらいいくらでも待つよ!!!!」
「きゃあ!?」
私の言葉を遮ったかと思えば、ふわりと体が宙に浮く。抱き上げられてる、と気付くと同時に、今度はぎゅうと強く抱きしめられた。
「よかったぁ・・・」
それは心からの言葉だろう。深く息を吐くと同時に紡がれた言葉に、私はつい、殿下の頭を撫でてしまった。
「待たせてすみません」
「ううん。無茶を言っているのは私のほうだ。私はいつだって、君の優しさに甘えてる」
無茶を言われた自覚はあるけれど、甘えられているのはあまりよくわからない。いつ甘えられたんだろう、と思ってる間に、
「・・・でも、こんな私を知ってるのは君だけだ。だからどうか、私を捨てないで」
絞りだすように、縋るように紡がれた言葉は、あまりにも弱々しくて。ゲームでだって聞いたことがない殿下らしからぬ声音に、だけど私は・・・
なんだか嬉しくなってしまうのだから、もう負けたようなものだ。
「はい。殿下も私を捨てないでくださいね」
言葉での返事はない。ただ、何度も首を縦に振る感覚が伝わって来るだけ。
それだけで十分だった。
約束の1年半が経った後。
数ヶ月も経たずに婚約者どころか王太子妃の座まで駆け上がることになるのだが――それはまた別の話である。
~オマケなその後(会話のみ)~
「本当によかった・・・断られたら実力行使にでるしかない、って思ってたんだ」
「・・・・・・実力行使?」
「1年半待つけど、その前に王都に一回来ない? 陛下たちに紹介させてほしいんだ」
「待って、実力行使ってなんですか!? 殿下!!」
「ああ、君のご両親にも挨拶をしなきゃね」
「今はそんな話をしてません!」
「挨拶は大事だよ。これから家族になるだから」
「・・・・・・なんかちょっと背筋が寒いんですが」
「それはいけない。早く帰ろうか。風邪を引いては旅行に堪える」
「え、まさか陛下への挨拶って今すぐですか!?」
「善は急げ、っていうだろう?」
「急すぎます!」
「父上も母上も君に会うのを楽しみにしてるんだ。早く会わせてあげたいな。魔法で帰るのも有りだけど、君はどっちがいい?」
「・・・は、早まったかもしれない・・・!」
「ふふ、ただ私に愛させて欲しいだけだよ。君を愛すのは私だけで充分だ」
「っ!!」
「私の愛情は重いかもしれないけど・・・ちゃんと毎日分散して伝えるから安心してね。一生かけても伝えきれないかもしれないけど」
「・・・・・・こ、これだから乙女ゲーは怖いんだ!!」
「おと・・・? 何?」
「何でもないです!!!!」




