第三十三話 南信濃侵攻
「新地殿、羽柴殿。応援に感謝する、おかげで命拾いしたよ」
秋山信友率いる武田軍に東美濃を攻められ岩村城に篭城していた一益は、光輝と秀吉に頭を下げた。
秀吉に対しても、昔は格下であったが今は同輩の身なので口調も丁寧であった。
一益は先に落とされた明智城も奪還し、残敵の掃討と武田軍兵士の遺体埋葬を行っている。
もっとも明智城は、信友の討ち死にで動揺した武田軍守備隊が放棄したので、本当にただ取り戻しただけだ。
「東美濃は守れましたが、問題はこれからですね」
信長が援軍を出している遠江では、惨敗した徳川・織田連合軍と武田軍による睨み合いが続いている。
急ぎ応援に行きたいところであるが、東美濃から浜松城までの距離を考えると間に合わない可能性が高い。
「新地殿、大殿から文ですぞ」
一益から渡された手紙を見ると、既に尾張から織田信張を大将とする軍勢が浜松に応援に向かっていて、後続で丹羽長秀にも援軍を指揮させて送り出したと書かれていた。
「『ミツは、南信濃、奥三河で暴れて信玄の動揺を誘うように』と書かれています」
さすがは信長、相変わらずの無茶ぶりだと光輝は思った。
「大丈夫でしょうか? 一益殿」
光輝は、この中で一番軍事に優れていそうな一益に、成功の目があるかどうか聞いてみる。
「そうですな、南信濃の要衝飯田城城代の秋山信友を討った。あの男が討ち死にしたのですから、その動揺も大きかろうと思うのです。案外、最初は上手くいくかもしれませぬ」
「最初は?」
「新地殿、それは武田家の逆襲があるのだと、一益殿は考えているのでしょう」
「あの信玄が黙っているとも思えないから……」
信友の死で南信濃の動揺が大きいので、最初の奪取は容易いかもしれない。
だが、武田家も領地を奪われたままのはずがなく、再奪還を目指して攻めてくる可能性があると秀吉は分析していた。
「大殿は暴れろとは言っておりますが、南信濃や奥三河を併合せよとは言っておりませぬ。信玄への牽制で一時的に占拠して、駄目なら撤退でも構わないと思うのです」
さすがは、知恵が回る秀吉である。
信長からの命令の真意を掴むのが上手かった。
「それなら何とかなるかな? では、準備が整ったら行きますか」
「我らもお供しましょう」
方針は決まり、新地、羽柴、滝川連合軍は、東美濃から南信濃に逆侵攻した。
まずは、秋山信友が改築を終えたばかりの飯田城に襲いかかる。
「あまり抵抗がありませぬな」
秀吉は苦戦を予想していたが、飯田城の守りは少なかった。
城代秋山信友討ち死にの衝撃が予想以上に大きく、光輝達の軍勢を見ると甲斐から来た兵達が逃げ出してしまったのだ。
ほとんど抵抗もなく、飯田城は落ちてしまう。
「落としたのはいいが、道が……」
三州街道と遠州街道があるのだが、道が狭くて不便であった。
そこで、道を広げる工事をしながら飯田城以南の地域を平定していく。
別働隊として、一益が指揮する軍勢が飯田城の北部にある大島城を落とした。
ここも、信友討ち死にの混乱で大した抵抗もなく落とされている。
「日当を出すので、工事に参加すべし!」
新地家得意の、あり余る永楽通宝を使った地元住民の慰撫作戦である。
農作業を女子供年寄りに任せた多くの地元住民達が集まり、新地軍指揮の下で二つの街道を広げる工事を行う。
続けて、東美濃笛木城から出陣した羽柴軍が中山道から福島城を陥落させ、更にこの三城と三軍とが連絡を取る事に成功、同じく街道工事を地元住民に金を出して行わせた。
「高遠城は欲張り過ぎかな?」
「信玄坊主の四男諏訪勝頼の居城です。抵抗は激しいかもしれませぬ」
光輝の問いに、本多正信が答える。
「ならば、落とした三城の守りを固めるか」
以後は、福島城にいる秀吉が東美濃からの補給に責任を持ち、落とした地域の連絡をよくするために道路工事を始める。
新地から輸送されたツルハシ、スコップ、モッコ、ネコ車、コンクリートに、一部兵士達も作業に参加して汗を流した。
大量の銅銭も輸送され、それらは工事に参加する地元住民達への日当となり、連合軍が必要とする物資や食料の購入にも充てられた。
「税など取ったら反乱になりかねん。今年は免除だと伝えておけ」
光輝の命令で『今年は戦で迷惑をかけたから税は免除、賦役は日当を出すので参加自由』という立札が立った。
南信濃の住民達はこぞって道路工事に参加し、一部反抗的な地侍達は連合軍の武将達によって討たれていく。
次第に道が広がると、今度は東美濃から珍しい食料や便利な生活用品などが入ってくるようになった。
工事で日当を得ていた住民達は、それらを購入して楽しんだ。
塩や海の干し魚、新地産の農機具や、工事で使ったスコップやネコ車なども生活に便利だと飛ぶように売れていく。
光輝は稼いだ銭を、また住民達の日当に回した。
「赤字だが仕方がない。安全を金で買えると思えば安い」
「そんな事が言えるのは殿だけですがね……」
正信も、工事の監督や押さえた領地の管理で忙しい。
最近では、工事の日当を求めて近隣からも人夫が集まるようになったが、間諜の類も増えている。
伊賀者を使っての排除になるが、これの担当も正信であった。
武田家には『三ツ者』と呼ばれる諜報組織が存在している。
僧侶や商人に変装して情報収集を行うので、入り込まれても捕まえにくい。
正信も苦労しているようだ。
それでも順調に工事が進んでいき、飯田城、大島城、福島城とその周辺地域の経済は東美濃と深く繋がりつつあった。
「信玄坊主は、こちらに来ないな」
幸いにも信長が追加で送った援軍が間に合って、現在の徳川・織田連合軍は浜松城付近で防衛ラインの形成に成功している。
調略で三河設楽郡長篠城を有する菅沼氏が武田方に降っていたが、菅沼氏は光輝達の南下を恐れて兵を出さずに守りを固めていた。
徳川・織田連合軍が後背を突かれる可能性は低いとみていい。
「しかし、よく踏ん張ったな」
「大殿が、新地殿を真似て製造した青銅製大筒が間に合ったそうだ」
これを武田軍に放つ事で、どうにか浜松城の陥落を防げたのだと一益は説明した。
できる男丹羽長秀が運用を行い、攻め寄せた武田軍に少なからぬ損害が出たようだ。
だが、武田信玄がその程度の事で崩れるはずもない。
落とした二俣城、掛川城、高天神城のラインを保持し、駿河、東遠江の領国化を進めながら機会を伺っている。
「膠着状態になってしまったらしいが、徳川殿も信玄坊主も辛かろうな」
一益の言うとおりに、徳川家も武田家でも兵の大半が招集された農民でしかない。
戦が長引くと、食料が不足するだけではなく、来年の収穫量にも影響してしまうのだ。
「信玄坊主としては、何とか浜松城を抜いて南信濃奪還を狙いたいところであろう」
だが、浜松に籠る徳川・織田連合軍は野戦を避けて防衛に徹している。
数の多い敵から城を奪うのは、いくら武田軍でも難しいはずだ。
「長引けば、こちらが有利になるな」
光輝達が三城を押さえてから二か月、北信濃で動きがあった。
木曽谷に本拠を持つ木曾義康、義昌親子が、光輝達に占領された地域の奪還を目指して兵をあげたのだ。
木曽軍が秀吉の守る福島城に押し寄せ、双方の間に激しい戦闘が発生する。
すぐに一益と光輝が援軍として向かい、木曽軍を種子島と青銅大筒で撃ち払った。
多くの犠牲を出した木曽軍は高遠城に撤退し、この戦いで負傷した木曾義康は病状が悪化して直後に戦病死する。
「やはり、信玄坊主の元に主力がいるのでそこまで強くないのか? いや、飢えた武田軍は無駄に精強だからな。油断はできない」
光輝の脳裏に、秋山信友が指揮していた武田軍敢闘ぶりが浮かんでくる。
地元の住民達を慰撫するために街道工事を続けていると、周囲の地侍、国人衆が挨拶に来た。
木曽家のように反抗的な者も多かったが、小領の領主などは織田家の支配に従順であった。
逆らっても無駄という理由もあるのだが、武田家の軍役、賦役、税の負担が酷く、守ってくれるのならその下についても構わないというのだ。
「人気がないんだな。信玄坊主」
光輝の印象としては、武闘派ヤクザとプロの山賊が精強な兵を率いているイメージであった。
あまり関わり合いになりたいとは思わない。
「武田家が強いからみんな嫌々従っているだけで、逆らえば容赦なく皆殺しか奴隷ですからな」
これからの事を決めるために秀吉と一益を呼んで意見を聞いたのだが、信濃北部の情報を探っていた秀吉からの報告は酷かった。
「甲斐を食わせるために、信濃から搾取していますので。まあ、信濃もそこまで余裕がないですし、山地ですから移動や交易にも支障が多いわけでして」
「新地殿の街道工事が、信濃国人達の支持を得ているわけだな」
武田家でも開発はしてなくもないが、それは甲斐が常に優先されるらしい。
信濃は搾取されるばかりだと、住民達がボヤいていた。
「特に佐久の連中は、武田家を恨んでいますからな」
平定の過程で、逆らった男子は虐殺、奴隷として鉱山送り、女子は鉱山夫の慰安婦にされてしまったらしい。
武田家が強いから仕方なしに従っているが、出来れば武田家からの支配を脱したいと願っている信濃の住民は多かった。
「木曽家はどうなのです?」
「あそこは、武田家と縁戚関係にありますからな。一門衆の扱いですが、人質を取られて逆らうわけにもいかないでしょう」
「悪逆非道だな、武田家」
この時代の大名なんてみんなそんなものかもしれないが、光輝はある意味武田家には感心していた。
人と違う事をしないと、二国を一代で領有するなんて出来ないのだなと。
「従属を誓った国人達から、木曽谷と高遠城の攻略要請が出ていますが……」
「嫌な要求だな。だが、確かにここを押さえると南信濃の安全性が増すんだよな……」
どうやら、彼らはこのまま織田家の統治下に入りたいようだ。
攻略するのであれば、道案内と援軍は任せてほしいと言ってくる。
「現状で、取れなくもないので断り辛いですな」
「高遠城を最前線にして、持久体勢の準備を始めるか……」
なし崩し的ではあるが、羽柴軍・新地軍共同で高遠城攻略作戦が始まった。
だが、ここも意外と早く落城した。
「我ら諏訪党、御家再興のために、新地様と羽柴様の旗を仰ぎましょうぞ!」
事前に、竹中半兵衛が調略に動いていたようだ。
武田家に吸収される事をよしとしない諏訪家の残党が蜂起して城兵を攻撃、彼らを追放して光輝達を招き入れたのだ。
「あれ? 信玄の四男は諏訪勝頼だよな?」
「武田の傀儡と化した勝頼の小僧など、諏訪家の当主に相応しくない! この頼郷様こそが正当な諏訪家の当主なのです」
新当主がどんな血筋や経歴なのかは知らなかったが、そこはあえて問わない事にして高遠を重要な防衛拠点にするべく諏訪党を受け入れた。
「藤吉郎殿、一益殿の応援に向かいます」
「わかりました。高遠城はお任せあれ」
秀吉は福島城を弟の小一郎に任せ、自分は高遠城に入った。
半兵衛の補佐と分裂した諏訪党の助力も得て、防衛体制を固めていく。
続けて光輝は、当主を失ったばかりの木曽家に止めを刺すべく、討伐作戦を進行中の一益の救援に向かった。
木曽家は福島城を失っても飯田城に攻め寄せて来ていて、非常に厄介な存在でもあった。
「木曾義昌を討つぞ!」
滝川軍と共同して木曽軍の捕捉を行い、容赦のない攻撃でようやく木曾義昌を討つ事に成功した。
「我ら木曽家は、織田家に従います」
父と兄を失いながらも、運よく生き残った義昌の弟上松義豊が降伏してくる。
降伏を認めると、義豊は姓を木曽に戻して木曽家の当主となった。
これに反発したのは、義昌の正妻で信玄の娘である真理姫だ。
「必ずや、木曽家の正当を正して見せます!」
真理姫は、産まれたばかりの嫡男千太郎と、五歳の岩姫を連れて甲斐へと落ち延びていく。
続けて福与城周辺を拠点とする藤沢氏も降り、連合軍は南信濃の過半以上を押さえる事に成功した。
今は、秀吉、半兵衛、小一郎、正信、方泰が、街道工事、商業政策を行いながら懸命に支配の安定化を行っている。
特に高遠城は、現在急ピッチで改築工事を進めていた。
来る武田軍侵攻に備えて、防御力を増す必要があったからだ。
それでも、信玄と主力の武田軍がいないので、今のところは防衛にあまり不安はなかった。
浜松にいる信玄は動こうにも動けない状態だ。
ここで兵を退くと、せっかく奪った東遠江どころか駿河にも侵攻されかねない。
織田家の後背を突こうにも、石山本願寺は講和を結んだばかりで、信長以下の主力がそのまま残っているので十分に対応は可能であろう。
四国の三好家は、三度目の畿内上陸を果たすには戦力が不足している。
丹波の赤井家も、明智光秀に抑えられている。
肝心の将軍義昭であったが、既に二度も信長に反抗しているので厳重な監視下にあった。
その前に、どうも義昭の謀が信長に漏れているようだ。
犯人は幕臣の誰かであろうが、信長は知らぬフリをして情報を入手し、その度に的確に対処して織田家の勢力を拡大している。
それがわかり、動こうにも動けない信玄は焦っていた。
そして、南信濃を秀吉と一益に任せた光輝が遂に南下する。
家康の許可を得てから一万五千人の軍勢で南下、途中武田方に降った国人衆を討伐・降伏させながら長篠城へと殺到する。
「かかれ!」
この城の本来の持ち主である菅沼定盈は武田軍によって捕えられており、城代は秋山信友の討ち死にを知って士気が落ちている。
新地軍から青銅大筒を撃ち込まれると、彼らは城を捨てて逃げ出した。
「討ち取れ!」
逃がすとまた攻撃してくる可能性があったので、城代以下の武田軍は一豊の追撃を受けて大半が討たれた。
「長篠城は改修しておくか……」
光輝は奥三河一帯を占領下に置き、長篠城を改修しながら信玄に備える事にした。
また金がかかるが、もうこれは今さらだ。
「バカな……あの新地とは何者なのだ」
南信濃に続いて奥三河の失陥を聞き、信玄は大きなショックを受ける。
せっかく駿河と東遠江と奥三河を得て徳川家に打撃を与えたのに、南信濃と奥三河をあっけなく奪われてしまったからだ。
特に痛かったのは目をかけていた秋山信友の討ち死にであり、有能な方面司令官を失ってしまった信玄の動揺は大きかった。
「ごほっ! ごほっ!」
「御館様!」
ショックのせいか、信玄は家臣達の前で血を吐いて倒れてしまい、武田軍は更に身動きが取れなくなってしまうのであった。




