1. 天才闇医者ブラックダーク
朝。
僕はコージが運転する黒塗りの高級車で、とある総合病院へと到着した。ここはある事情から僕もよく知る病院である。それ故にコージとしても話を通しやすかったのだろう。
「なるほどな、この病院なら確かに良さそうだ」
「ああ。お前の今の状態はワケアリだからな」
助手席側から降りた僕は、例によって白無垢風ケモ耳パーカーと縦長の赤いリュックサックでバッチリ変装している。フードから僅かに覗く金髪こそ目を引くものの、誰がどう見ても今の僕の姿は普通の人間の美少女にしか見えないことだろう。
運転席側から降りたコージはというと、普段通りの黒いスーツ姿である。別にこれが普段着というわけではないのだが、早く終わったら仕事に顔を出すかもしれないとのことで仕事着なわけだ。
傍から見れば若干妙な組み合わせではあるが、コージの如何にも社会人らしい服装ならば女児を連れ回していても不審者として怪しまれたりもしないだろう。たぶん。
「それじゃあ行くぞ、司」
「ん? 受付あっちじゃね?」
「話は通してあるからな。受付は介さずに直接、今回のようなワケアリ用の特別な診察室に向かう」
「なるほど」
流石はコージと言うべきか、なんとも手回しの良いことだ。まぁ確かにいくら変装していても待合室でフードも取らずにずっと待っていれば流石に目立つからな。診察も通常の診察室から離れて行えば安心ということだろう。
というわけで、僕たちはこの『黒漆総合病院』にやってきた。
「エレベーター使わねぇの?」
「使うのはあっちの職員用エレベーターだ。一般用では行けないフロアに用がある」
「マジかよワクワクしてきた」
事前に道順を把握しているコージについていく僕だが、どうやら普通は通らないようなルートを使っているらしくワクワクが抑えきれない。何度か来たことのある病院なのに見たことの無い道や設備を使うというのは、僕の中の少年のハートが冒険を感じて興奮するのに充分な状況であった。
もっとも僕だってこの病院に詳しいわけではないので、普通に知らない普通の道だってあるにはあるのだが。それはそれ、これはこれである。
「ここだ」
「ここ?」
そうして到着したのは、4階のとある一室。特別な診察室と聞いていたが、見た目だけではとても診察室には見えないというか……入り口付近に「休憩室」と書かれた札がある辺り、ここはもしかするとスタッフ用の休憩室なのではないかと思うのだが。
「その辺はアレだ、入れば分かる」
「お前がそう言うんならまぁ」
とはいえコージが目的地を間違えるとも思えないので、若干理解が及ばないまでも素直に従っておくことにした。
コージがドアをノックをすると、部屋の中から1人の若い女性が出てきた。ナース服を着ているが見た感じ20代前半といったところの、研修生か新人あたりだろうか。
「予約していた本堂です」
「いらっしゃいませ、どうぞこちらへ」
飲食店みたいな確認を入り口で取り、部屋の中に案内されると以外にもそこは診察室であった。
いや、ちゃんとした診察室と比べれば少し殺風景ではあるのだが……少なくともちょっとした診察が行えるぐらいにはキチンとした診察室ではあったのだ。こんなところがあったとは驚きである。
「本堂さんたちがお見えです、先生」
「ふむ、来たかね諸君。ようこそ我が城へ」
そして看護師さんが声をかけると、部屋の奥で背を向けて座っていた白衣の男が芝居がかった言動と共に椅子を回転させてこちらに振り向いた。
「久しぶりじゃあないか。本堂、それに……飯塚」
「今日は司のことよろしく頼むぞ、倉尾」
「おー、やっぱり倉尾じゃん。悪いな僕のためにわざわざこんな所で待っててもらって」
「構わんさ、友が困っているのなら力にならねばな」
その男の名は、倉尾越二。ハードボイルドな渋い声が特徴的な、僕たちの高校時代の同級生である。
如何にも睡眠不足な目の下のクマ、無造作に放置された無精ヒゲ。見るからに忙しそうな医者といったやつれた見た目だが、実際見た目の通りこの病院に勤める医者なのだ。
「それにしても2人とも相変わらず元気そうで何よりだ。最後に会ったのは1年近く前だったか。本堂はあの時より少し上半身を鍛えたか?」
「よく分かったな。実は最近ジムで重点的に鍛えていてな」
「ふむ。健康に気を付けるのは良いことだ、今後も続けたまえ。飯塚の方は……前に会った時と全然変わらんな」
「いや原型すら留めてないんだけど」
なんでコージが微妙に上半身鍛えたとかその程度の誤差が分かるのに、僕の方は成人男性からロリ巨乳狐娘になったって顕著すぎる変化が分からないんだよ。ていうかむしろこれだけの違いで同一人物として認識できることの方が凄いわ。
「フハハハハ! 冗談だ、しかしまさかこれほどにまで様変わりしているとはな」
「あっ……ああ、だよな! よかった、倉尾のことだからマジで違い認識してないかもと思った!」
「お前は私を一体何だと思っているのだ」
倉尾は少し……いやかなり変わった奴なので、下手したら本気かと思ったのだがそんなこともなかったので僕は一安心した。そんな様子の僕を見てか、やれやれと大袈裟なモーションで肩をすくめる。
それから何かを思い出したかのように、握った手をもう片方の手のひらにポンと載せて「そういえば」と続けた。相変わらずコイツ一挙一動がエンターテイメントだな。まぁこういう奴である。
「お前たちは先程から私のことを倉尾と呼んでいるが……私は倉尾ではない」
「え? どういうことだよ倉尾」
「急に何を言い出すんだ倉尾」
「ふむ、倉尾ではない私には自己紹介が必要なようだ! ならばちょうどいい、我が優秀な助手諸共名乗らせて貰おう! 行くぞ!」
「はい!」
そんな風に急に意味不明なことを言い出したかと思えば、倉尾は立ち上がって白衣をバサァと腕で靡かせた。その後ろには看護師の女性が陣取る。
何が起こっているのか分からない僕とコージは、ただ呆然とその光景を眺めることしか出来ないでいる。いやまぁこういう奴だけど。だとしても何これ?
「我が名はブラックダーク! 凄腕だが無免許の闇医者、天才外科医のブラックダークだ!」
「そしてわたしは助手のパナコです!」
「怒られるぞお前ら」
意気揚々と名乗りを上げた倉尾と看護師さん……もといブラックダークとパナコさんは、僕の言葉を気にすることもなくドヤ顔でポーズを決めた。
無免許の天才外科医でブラックダークってなんだよ、助手の名前も含めて完全にアウトじゃねーか。明らかに狙いに行った偽物だよ、医師免許に関係ないとこで訴えられるわ。あとお前内科だろうが。
しかし僕たちからなにやってんだコイツらという視線を浴びた倉尾は、わかってないなと言いたげに腕を組んだ。
「まあそう言うな、飯塚。これにはキチンとした理由があるのだ」
「僕にはちゃんとした理由があっての行動には見えないんだが」
「理由……か。なるほど、分からなくはないが」
「えっコージお前今ので分かったの?」
「なんとなくだがな。恐らく今日の検査を内密に執り行いたいということなんだろう」
「ふむ、その通り! 流石は本堂だな、素晴らしい理解力だ」
「どういうこと?」
僕には2人の言ってることがまるで理解できなかった。医学的に意味不明すぎる僕のことを秘密にするってのはまぁ分かるけど、だからってなんでコイツ闇医者ごっこなんかして遊んでるんだ……?
「よく見ろ司、ブラックダークもパナコさんも名札を付けていないだろう? この病院の医療関係者なら付けていないはずがない。つまりコイツは形式上、この病院の医者である倉尾越二ではなく無関係な一般人のブラックダークとしてここに居るということだ」
「そういうことだ。これならば私から病院側に今日の顛末を報告する必要もあるまい」
「なるほど? ……なるほどか?」
「まあわたしはここのスタッフじゃないんで、元々名札も看護師免許も持ってないんですけどね」
「ん?」
コージの解説で納得しかけた僕だったが、その直後にパナコさんの言葉で再び完全に思考が混乱した。
え、いや普通にナース服だったから看護師さんかと思ってたんだけど……違うのか? つまりどういうことだってばよ?
そう疑問に思ったのだが、僕の様子から察したのかブラックダークが説明した。
「ああ、彼女は私の親戚の子でね。信用できるし役に立つので手伝いに呼んだのだ」
「あ、そうなんだ?」
「ちょうどいい機会だ。パナコ、自己紹介しておきなさい」
「はいっ! わたしは倉尾華子、21歳です。パナコは普段から呼ばれてるアダ名なので、気軽にそう呼んでください。ブラックダーク先生とは従兄妹にあたります。それと実はわたし、大学で獣医学部を専攻してるんですよ!」
「獣医……ああ! そういう?」
いくら信用できる間柄とはいえ、病院のスタッフでもないなら手伝えることなどたかが知れているのではないか。そう思ったのも束の間、彼女のその自己紹介を最後まで聞いたところで僕は理解した。
なるほど獣医か。ただの人間ではなく若干狐気味な今の僕の診察を手伝って貰う分には、下手をすればちゃんとした看護師よりも頼りになりそうである。
さりげなく自分の従兄をブラックダーク先生と呼んでいるあたりの順応性は、流石は倉尾の親戚といったところか。
「今日は何するのかよく分かってないけど検査のお手伝いらしいし、出来る限りがんばりますね。……あと先生は男性だから、言いづらいこととかあったらお姉さんのこと頼りにしてくださいね? 司ちゃん」
「はい、ありがとうございま……す?」
そんなパナコさんの丁寧な自己紹介と意思表明に思わず感謝の言葉を口に出した僕だが、なんだか色々と向こうの認識がおかしい気がする。少なくとも僕の事情を事前に聞いている感じではない。
これは一体どういうことなのか気になった僕だが、しかしすぐにその答えを知ることは出来なかった。
「自己紹介も済んだことだ、そろそろ診察を始めようではないか」
「あ、うん」
倉尾の提案により、早速診断に移ることになったのだ。まぁコイツも忙しいわけだし、あまり無駄話に時間をかけるわけにもいかないしな。
「では飯塚、早速だが隠している患部を見せてくれ」
「患部……患部って言うのか? まぁいいけど」
果たして狐部分は患部と言っていいのか。あるいはこの場合全身がロリ巨乳狐娘化しているので全身が患部なのだろうか、だとすれば全部脱げってことじゃないよな? そんなことを考えながらも僕はフードとリュックを外した。
「えっ!? なにこれかわいい!!」
「『朝起きたらこの姿になっていた』、だったか。医者としてはにわかに信じがたいが、こうも目の当たりにすると信じざるを得ないな。触ってみてもいいか?」
「わ、わたしも! わたしも触ってみたいです!」
「え、い、いいけど……」
「ヒャッホゥ!! わたし尻尾から行きますね!!」
「パナコ、あくまで触診だぞ。お前が動物好きなのは分かるが、あくまで患者と接しているということを忘れてくれるなよ」
「はいっ!!」
そして露わになった僕の狐耳と狐の尻尾。それを見て急にテンションの上がったパナコさんにビビりまくる僕を尻目に、倉尾の診察が始まった。
「ふむ……本当に作り物などでは無いようだな。神経も通っているのか?」
「ん、うん。あんまり変な触り方するなよ」
「元の耳の位置は……む? 人の耳も残っているのか。音はどっちで聞こえるのだ?」
「両方かな。狐耳の方がよく聞こえるけど、人耳も今まで通りには聞こえる」
「ふぅむ……だとすればあくまでも人間の身体に狐耳が付いている状態か。骨格も気になるな、CTでも取ってみたいところだが……」
「あーそっか、そういえばその辺どうなってるんだろ……っ!? ちょ、やめっ、ひゃぁっ!?」
「先生! 司ちゃんは尻尾の付け根が弱点です!」
「うむ、続けたまえ」
「続けたまえじゃなふぁあっ!?」
倉尾は真面目に診察こそしていたが、暴走するパナコさんの舵取りに関して言えば不真面目すぎた。というかこの子は触診でなぜ患者の弱点を探しているのか。そもそも本当にこれは触診なのだろうか。
「はぁ~こんなにおっきくてふわふわな尻尾が好き放題できるなんて……」
「好き放題はしないでくださ……あ、ちょ、抱きしめるのはちょっと」
やはり触診ではなかった、僕はそう確信した。流石に恍惚の表情で尻尾を抱きながら頬ずりするのは触診と言えるはずがないのだ。
というか尻尾を抱きしめるのは本当にやめてほしい。なんというか、その……当たるのだ。パナコさんの、胸が。いくらふわふわの毛に包まれているとはいえ尻尾も芯の部分には感触があるので、女性の身体を押し付けられてしまうと童貞の僕としてはどうしていいのか分からなくなってしまうのだが。
これはまさか誘っているのか? それとも僕を試している? いや違う、恐らく僕の事情を知らないのだ。一体どういうことなのか、早く確認しなければ。でなければ僕の自制心が死んでしまう。そう判断した僕は小声で倉尾に問い詰めた。
「倉尾、ちょっと」
「……」
「……ブラックダーク」
「なにかね?」
くそっ、コイツ意地でもブラックダークって呼ばせる気かよ。仕方ないから呼ぶけど。一刻も早く状況を把握しなければならない緊急事態だから仕方ない。
「お前パナコさんに手伝ってもらうのに、僕の事情どこまで話した?」
「なにも」
「そうかなにも……なにも!? マジで!?」
「状況が特殊すぎて説明するのが面倒だったのでな」
「まぁそれは分からなくはないけど……」
「あと本音を言うと面白そうだったので黙っておいた」
「てめぇぶち転がすぞ」
僕は状況こそ把握したが、どうにもならない状況であることもまた理解した。とりあえず事態が手遅れになる前にパナコさんに事情を説明しなければ。
「パナコさん冷静に聞いてください、僕はわぷっ!?」
「耳も最高にかわいい……まさかリアルにケモ耳美少女がいるなんて。あー夢みたい……」
そう思ったのだが、しかし僕の言葉が最後まで聞き入れられることはなかった。いや、この分だと恐らく一切届いていないのだろう。そんな気がする。
ともかく僕は現在、次は耳だとばかりに尻尾からターゲットを変更したパナコさんに耳を撫で回されていた。しかも最高……もとい最悪なことに、その胸に頭を抱き寄せてしっかりとホールドされているのだ。必然的に僕は顔を谷間に埋めることとなってしまい、女性への免疫の無さも相まってパニックに陥る。
あわわわわヤバいヤバいどうすんだよこれ、もう手遅れだよこれ。ここまでされた後で実は中身は大人の男ですってネタばらししても大丈夫なものなのか? 痴漢行為で訴えられないか? いっそ隠し通すべきなのか?
「あ、そういえば司ちゃんさっき何か言いかけた? なんだったの?」
そんなパニック状況ではあったが、これまで話を聞かなかったパナコさんがこちらの話に耳を傾けた。これはチャンスだ。弁解するならここしかない。ここで僕の事情を打ち明けなければ! 更に大変なことになってしまうかもしれない!
「……な、なんでもないです」
しかしながらこの状況にビビりまくった童貞の僕に、そんなチャンスをモノに出来るはずもなく。
たとえ言い直す機会を与えられても、目を泳がせて適当に誤魔化すことしかできなかったのであった。




