1. 忍び寄る影
突然だが、今日はいい天気である。
まさに洗濯日和とでも言えばいいのか。真夏の日差しはまだ朝なのに暑く、この分なら洗濯物もすぐ乾くに違いない。そう思いながら僕は、ベランダにシーツとパジャマを手早く干した。
「これでよし、っと」
暑さで汗だくになる前に、なにより近隣住民にこの姿を見られる前にと素早く部屋に戻った僕は、替えのシーツをベッドに敷きなおした。
これで環境の準備は万端。頭にゲーム機を装着し、再びベッドに寝転がった。
つい先日ショッピングモールで購入した新しいシーツを早速洗う羽目になるとは思わなかったが、備えあれば憂いなしだ。何を隠そうこの新シーツ、裏地が撥水加工されておりマットレスへの浸水を防いでくれるのだ。通称おねしょシーツ。いい年して使っていることを認めたくないドストレートなネーミングである。
僕としてはこんなものに頼ろうとすること自体がおねしょします宣言に等しいと思っているので、女性の同僚と姪の前で買うわけにもいかなかったのだが。そんな僕のプライドや葛藤などは完全に無視して、サラさんに無理矢理2枚セットで買わされたのである。解せぬ。
結果的にはそれが大いに役立ったお陰で今こうしてベッドを使えているので、もうそのことに文句を言うわけにもいかないのだが。
しかしながら用途が用途なだけに、役だったことを手放しに喜べるものでもないので、何とも言えない微妙な心持ちでゲーム機のスイッチを入れたのだった。
そして今日もやってきたリンクリアルオンラインの世界。如何にもファンタジー世界が現実になったかのような街並み、それを見渡せる街の外。昨夜ログアウトした場所である『北の平原』と『始まりの街プリミス』の中間地点の辺りに僕は降り立った。
「えーっとフレンドリストを開いて……よし、るぅちゃん居るな」
すかさず僕はフレンドリストを開いて、もはやログイン後の習慣と化した姪の所在チェックを行う。
現在地は……クエストボード前か。これから出発する前か、あるいは帰ってきて報告するところか。いずれにせよフィールドに出ているよりはちょうどいいタイミングだ。
僕は個人会話を姪に飛ばして、参戦を表明することにした。
『おはよう、るぅちゃん。これからクエスト?』
『ん、おはよ。うん、今から行くとこ。あんちゃんも来る?』
『もちろん』
『やった! クエスト探して待ってるね!』
手短に用件を伝えた僕は、足早に姪の元へと向かうことにした。正直かわいい姪とはずっと話していたいところだったが、どうせならば通話のような個人会話機能ではなく顔を合わせて直接話す方がいい。例えそれがゲームのアバターだったとしてもだ。なので今は我慢するべきところである、その方が早く姪に会えるのだから。
「ふんふんふーんフンボルトペンギン~」
と、今日も最愛の姪と遊べることを神に感謝しつつ、ウキウキしながら鼻歌混じりに路地裏を進んでいたのだが。そんな良い気分を邪魔する妙な気配を察知した。
間違いない、尾行られている。
さっきから数メートル後ろに、ピッタリとついてくる気配があるのだ。マップを見るフリをして立ち止まれば向こうも同じように立ち止まるし、さりげなく周りを見渡すような動きで後ろを確認しようとすれば素早く物陰に隠れられる。流石に勘違いなどでは無いだろう。
目的は分からないが、見た目だけなら小学生女子にしか見えない今の僕を尾行するなどロクな奴ではないことは確かだ。このまま姪のところに引き連れていく訳にはいかないし、撒いたとしてもあとで再開される恐れもある。僕1人で動いている今の内に、ここで処理していくべきだろう。
「よーし、近道しよっと」
そうと決まれば行動あるのみだ。僕は敢えて相手に伝わるように、これから特別な道に進むことを宣言した。敵は隠れているようだが、だからといって見失われては困るのだ。
「よっ、と」
そして少しの助走をつけて、ちょうどいいところにあったレンガの塀を駆け上ってそのまま乗り越えた。
軽く高さ2メートル以上あるその塀は、今の僕にとっては尚更高く感じられる。本来ならば到底こんな真似できないだろう。だがゲームであるが故のステータスによる補正と妖力による身体強化、それが不可能を可能にしたのだ。VRゲームは基本的にリアリティ重視の面が強いが、こういう動きができるとゲームやってる感が高まってくるな。
そんな感じで僕は、その後も問題なく塀の向こう側へと身軽に着地した。胸こそ重いが全体的な体重は以前の6割程度なのだ、落下の衝撃も当然軽いのである。このゲームで体重が影響してくるのかは分からないが、まぁ気分的には身軽な着地だ。
「あとはこの道まっすぐだな!」
最後にダメ押しとばかりに、これから進むのだと大き目の声で言う。すると壁の向こう、さっきまで僕が居た場所付近に慌てた様子の足音が近付いてきた。
恐らく尾行対象が予想外の高難度ルートを通るという想定外の展開に、どうするべきかとパニックになっているのだろう。さっきまでは狐耳の聴力でギリギリ聞こえる程度にまで小さな足音だったのに、今なら集中していれば普通の人間でも聞き取れるのではないだろうか。
癖になってないのか、音を殺して歩くのが。フッ、とんだ素人だな。
ともかく、これで準備は整った。タイミングも今がベスト。向こうからこちらの姿は見えないが、こちらは音で位置を把握しているのだ。その距離、壁を挟んで2メートル。
僕はここで仕留めるという決意を込めて全力で妖力を身体中に回し、軽く息を整えて集中し。相手が勘付く前に、壁に背を向けて腰を低く構え――
「オラァッ!!」
「なっ!?」
勢いよく後ろ蹴りを繰り出して、レンガの塀を打ち砕いた。
僕は壁が無くなって開けた視界の中で、ストーカーの男が降りかかる瓦礫に怯んでいる隙に、次の攻撃を繰り出すため向き直って思い切り踏み込む。
とはいえ街中でいきなりプレイヤーを攻撃するのは、相手が何であれマナーやルールに違反する可能性がある。いきなり殴りかかったりした場合、下手をすれば街の治安を守る衛兵NPCに捕まってしまう恐れがあるのだ。
そうなればペナルティとして地下の強制労働施設に連行され、柱に付いた棒を押してグルグル回す例のアレをやらされる羽目になるらしい。なんと重いペナルティなのか。決してそんな刑を言い渡されるわけにはいかなかった。
なぜならそんな時間のかかる刑罰を喰らってしまったら、姪と遊ぶ時間が減ってしまうからである。しかも今はクエストに行くところに声をかけた状態なので、僕を待っているはずなのだ。姪との待ち合わせに遅れるなど言語道断、叔父として人間として許されることではない。姪との約束を破るというのは無差別破壊活動の次ぐらいに重い罪だ、例え姪が許してくれても僕自身が許せない。
なので僕が取る次の行動は、打撃ではなくタックルだ。低身長故の重心の低さを利用して、思い切り地面を蹴っての突撃。攻撃ではなくあくまでも拘束。どうせ力比べになれば常識外れに強力な身体強化スキルである≪剛体≫を持っているこちらに分があるのだ、何も問題はありはしない。
「うおっ!?」
そんな僕の目論見通り、腰の辺りにタックルが決まって地面へと押し倒すことに成功した。そのまま抵抗できないよう、胴体の上に乗って体重をかけながら手首を掴んで地面に押さえつけ、完全にマウントポジションを取る。お互いに両手が塞がっているとはいえ、その気になればこちらは尻尾で攻撃できるのだ。もはや揺るぎなき完全勝利である。
「捕まえたぞ変態ストーカー野郎、観念しやがれ! 何が目的だ! どこの組のモンだ!」
「ちょ、タンマタンマ! 俺だよ俺! 悪かったって、ちょっと驚かせようとしただけなんだよ!」
「……ん?」
そして拘束したそのままの勢いで詰問してみたが、しかし返ってきたリアクションは想像していたようなものではなかった。もっと「何しやがるこのガキ!」みたいな悪人然としたセリフが飛んでくると思っていたのだが、なんというかまるでイタズラに失敗した知り合いみたいな……
まさかと思ってよくよく顔を見てみれば。そこにあったのは、知らない顔だった。
「いや誰だよ!?」
「俺だよ俺、覚えてねぇか? ほら、正式リリース初日に会っただろ? 色々教えたじゃないか」
「んん……? そういえば……ああ! 思い出した!」
ゲームの中で初日に会ったとか言われても、十代後半だろうということしか分からない没個性的な整った顔だけではピンと来なかったのだが。しかしその他の情報と、頭に巻いたバンダナからぼんやりと思い出した。
そうだ、確かこの人は僕に『二刀流』を教えてくれた――
「疾風の……疾風の人?」
「疾風のシュン、な。いやぁなんだか勘違いさせちまったな、悪りィ悪りィ」
名前は完全には思い出せなかったが、だいたい思い出せた。確か短剣使いのβテスターだったか。
「久しぶりだな狐のお嬢ちゃん、まだ短剣愛用してくれてるようで嬉しいぜ」
「それはまぁ」
さっき壁壊す時とか思いっきり蹴りだったけど、この人的には短剣使ってる判定なのだろうか。実際戦闘になれば使ってはいるが、目の前では一切使ってないぞ。いや、腰に装備してるから使ってるだろうという判断か?
ていうかこの人、通りすがりに短剣のこと教えてくれはしたけど、マジで関わったのあの一瞬だけだろ? こっちからは名前すら教えてないし。よく知り合い面して接してこようとしたな、コミュ力お化けかよ。
「で、誤解も解けたところでそろそろ降りてもらってもいいか? 積極的なアプローチは嬉しいが、押し倒されるのは趣味じゃないんでね」
そんなほとんど関わりのない相手ではあったが、今の背筋がゾっとするような気障なセリフで思い出した。
いたわこんな奴、良い奴だけど態度が生理的に無理だから記憶から消してたんだわ。多分この会話が終わったらまた記憶から消えて貰うことになるだろう。
しかしそれにしても、悪気は無いのだろうが随分と嫌な表現を使ってきたものだ。こっちだって男を押し倒す趣味なんてねーよ。捕まえる必要があったからこうしただけだが。
仮に普通に男同士でそんなやり取りをしたのならただのホモネタで済むのだが、今の僕はロリ巨乳狐娘である。つまり見た目だけなら女の子。口では否定しているが、子供とはいえ異性に押し倒されて、あながち満更でもなさそうなのが余計に腹立たしい。
なんで僕が男にそんな目で見られる必要があるんだ、反吐が出るわ。
と、苛立ちを込めた視線で非難しながらではあるものの、押さえつけていた手を離した。相手が誰なのかはもう分かったので、拘束する必要は無くなったのだ。何かあったらコイツを運営に通報するだけである。
ついでに自分を女として見てくる相手の身体の上に座っているのもなんだか嫌だったので、舌打ち混じりに立ち上がった。
「あー悪りィ、機嫌悪くさせちまったな。とはいえ流石にその態度は女の子としてどうかと思うが」
「知らねーよ。じゃあ僕急いでるから」
「おっと待ってくれ、流石にこのまま行かせたんじゃ俺の面目が立たねぇ! せめてコイツを受け取ってくれ、お詫びの品だ!」
「……え、これって」
当たり前のように徹底して女の子扱いされるのが嫌だったこともあり、僕はそのまま少しでも早く姪の元に行くため立ち去ろうとしたのだが、そこを強く疾風の人に引き留められた。
言葉だけで引き留められたのなら無視していたのだろうが、しかしその手に握られた品物が僕の脚を留まらせたのだ。
「コイツは『アイアンダガー』。お嬢ちゃんの装備してるそれ、両方とも初期武器の『ビギナーダガー』だろ? ワンランク上の武器だぜ」
「で、でも流石にそんな高価な武器を貰うわけには」
「なぁに気にしないでくれ、実はこれより強い武器が作れたから1本余ってんだ」
「むむむ……いやしかし……あ、でも……うーん……じゃあ、遠慮なく」
それは非常に魅力的なプレゼントであった。二刀流で運用する都合上、武器にかかる費用が倍なのだから片方でも負担してもらえるだけでだいぶ変わるのだ。
とはいえ自力で揃えた方が達成感があるのではないか、姪より先に武器を新調するのは如何なものか、貰いものって捨てにくいしなぁ、などと色々思案する要素はあったのだが。結局僕は、熟考の末にそれを受け取ることに決めた。ただ単にくれると言っているのだから貰っておこうという結論に落ち着いたのである。
それに僕としても、このまま不機嫌な状態で姪に会いに行くのは不本意なところである。一応自分がチョロいことは理解しているので、これを受け取れば多少は機嫌も直るだろうという打算もあった。なので他に受け取りたくない理由があったとしても、姪のためにもここは貰っておくのが最適解なのだ。最悪転売して姪の武器代に充てられるし。
「ま、あんまり良い武器でもない店売り品だし適当に使い捨ててくれていいぜ」
「そんなわけには……一応貰い物だし、大切に使いますね。この件についてはありがとうございます」
「いいのさ、後輩の短剣使いの成長の糧になるわけだからな。これからも頑張ってくれよ! ……おっと、迎えが来たようだぜ?」
「迎え? ……あっ」
迎えが来たと言われて、一瞬なんのことか分からなかったがすぐに理解した。僕は姪を待たせていたのだ、そしてそんな僕がなかなか到着しなければどうなるか。
心優しい姪のことだ、迎えに来てくれたに違いない。無駄に姪を待たせてしまったことは申し訳ないが、わざわざ僕のことを心配して迎えに来てくれたのだと思うと心が幸福で満たされていくのを感じた。姪の優しさが身に染みる。嫌な出来事も頭の中から吹っ飛ぶようだった。僕は今、幸せの絶頂にいた。
そしてそのまま、幸せ気分に緩み切った表情で、近付いてくる気配の方へと振り返った。
「るぅちゃ……」
「お前が塀を破壊した犯人だな?」
「連行しろ!」
「ラジャー!」
「……あれ?」
だがそこに居たのは、姪ではなく数人のNPCであった。数人の姪だったらよかったのに。
そして僕の記憶が正しければ、彼らは衛兵。主な仕事は街で迷惑行為をするプレイヤーを取り締まったりしているはずだが……んん? もしかして……
「あ、シュンさんのこと捕まえに来たんじゃないですか? ストーカーじみたことしてたし。逃げた方がいいですよ」
「いやー多分……俺じゃないと思うぜ?」
違うだって? ロリ巨乳狐娘を尾行していた変態ストーカー野郎は取り締まり対象ではないのか? それなら一体何の目的でこんな人通りの少ないところに……待てよ? アイツさっき塀を破壊って言ったか?
僕は嫌な予感を感じながら、周りを見渡してみる。辺りにあるのは足元に散らばるレンガの破片、それと大きく崩れて大穴が開通した塀……だったもの。いずれも僕が、奇襲のために蹴りで破壊したモノである。
「犯罪者め!」
「大人しくしろ!」
「御用改めでござる!」
「地下の強制労働施設にぶち込んでやる!」
「ちょっ待っ、すいません! マジすいませんでした! これには事情がぁああ!」
「ゴメンで済んだら衛兵いらねーんだよ!」
「さっさと歩け!」
「柱に付いた棒を押してグルグル回す例のアレをやらせてやるからな! 覚悟しておけ!」
「ああああああ!! チクショォォオオ!!!」
どこで間違ってしまったのか。
僕は姪の元に辿り着くことすら出来ず、犯罪者として衛兵たちに連行されて行ったのだった。




