12. 妖狐との決戦(前編)
気が付けば僕は、いつの間にか深い霧の立ち込める野原に佇んでいた。
なんだか幸せな……いや酷い目に遭ったような気がするのだが、姪にスキルを教えようとした辺りからの記憶が無い。果たして僕の身に何が起きたんだったか。なんとか切り抜けて生還したような記憶は朧気にあるが。
『久しぶりじゃのう』
「あっ」
ぼんやりとそんなことを回想していた頭をすぐさま切り替え、緩み切った気を引き締める。
いつの間にやら目の前にいたのは、僕がロリ巨乳狐娘になったその日の夜に夢の中で現れた、確かカナメとかいう名前の巨大な化け狐であったからだ。僕がこんな身体になってしまった元凶でもある。
そんな緊張感に当てられて、朧気だった記憶も少しだけ思い出す。そういえばサラさんの魔の手から逃れてなんとかログアウトしたあと、そのまま泥のように眠ったんだったか。うん思い出さなくていいな。もう1回忘れとこう。
『くははは、そう身構えんでもよい。今宵はお主をどうこうしようというわけではないからのう』
「えっ……マジで?」
そんなどうでもいい記憶を再封印しながら身構えていた僕だが、恐ろしい妖狐の口から出た予想外の言葉に驚かされることとなった。
前回は完全にビバ実力行使みたいな態度だったのに急にどうしたんだ? 今のところ完全に敵だと認識してるのでこっちとしても対応に困るんだが。
とりあえず現状あまり信用できる相手でもないので、警戒は解かずに緊張感だけは少し緩めた。
『マジじゃよ。ほら、今日は体も小さいじゃろう? 先日のお主との戦いで力を使い切ってしまってのう。真正面からやり合えるほどの妖力が残っていないのじゃ』
「そういうもんなのか……」
確かにそう言うカナメの体は随分と縮んでいた。前は目測で20メートルぐらいあったので、それと比べれば遥かに小さい。
とはいえ元が元なので、小さいと言ってもまだまだ全然狐としては巨大なのだが。普通にサイやカバぐらいの大きさはあるし、余裕で僕を噛み殺せるサイズである。尻尾だってこうして落ち着いて数えてみれば9本ぐらいあるし、夢の中では僕にも≪狐火≫が使えるとはいえ、真正面からやり合えば勝てる確証は無い。
それにしても僕は狐歴3日のビギナー妖狐なので妖狐の生態については詳しくないのだが、残ってる妖力でサイズが変わるというのは本当なのだろうか。
僕には動いていない妖力は感じることができないのでその辺の真偽は確かめる術が無い。ゲームで例えるとミィが使う妖力は感じられても、溜め込んでいる残りMPは分からないといった具合である。
もしここで嘘をつかれていたら、油断したところを急に巨大化してパックリと丸呑みにでもされかねない。信じて大丈夫かどうか、判断を間違えられない重要なポイントである。
「ていうか、それなら何しに来たんだよ」
『なぁに、前回は力押しをしようとして失敗したからの。妾の眷属として従者にならぬかと話し合いで勧誘してみることにしたのじゃ』
「順番が逆では?」
いやまぁ実力行使に失敗したから説得するしかないというのは分からないわけではない。実際そうなのだから仕方ないとは思う。
だがしかし、初手で心象を最悪にまで落としてから対話を試みるのはどうかと思う。本当にこの勧誘が成功すると思っているのだろうか。
『くははっ、何事も試みる前から諦めるのは人間の悪い癖じゃよ。成功すれば御の字くらいに思って、とりあえずやってみればよいというものよ』
「うーんそうだけど……そうかなぁ……?」
この辺りは種族間での感性の違いというものなのだろうか。僕には狐の……いや、妖怪の? ともかく人間以外の考えはよく分からないので、あまり納得は出来なかった。言っていること自体は間違っていないのだが、今回に限っては内容が内容なので素直に頷けない。
『というわけでじゃ、妾に仕える気は無いかのう? 妖狐界隈で随一の美しい毛並みを誇る妾の毛づくろいと身の回りの世話が毎日できるのじゃぞ、なかなかの好待遇であろう?』
「それは業務内容であって待遇と言わないのでは?」
そもそも仕えるって言ったって、雇用形態とかどうなってるんだ。給与は出るのか? 福利厚生はあるのか? 福利厚生は? 聞きたいことというか気になることというか、1人の社会人としてツッコミたいことは山ほどあったが敢えて口に出すことはしなかった。この駄狐のここまでの計画性の無さからして、そんなことイチイチ言い出したらキリが無さそうだからである。
だがそんな僕の訝しむような目を向けられた妖狐は、ニヤリと口元に笑みを浮かべて答えた。
『ほう、お主はまだ自分の置かれた状況を理解しておらんようじゃのう』
「何……?」
その言葉と共に、巨大な妖狐は何本もある尻尾の内1本をゆらりと体の前に動かした。そのふわっふわの先端を向けられた僕は思わず身構える。
というのも以前、『アラサートレント』との戦いで拘束された際に尻尾から≪狐火≫を放ったことを咄嗟に思い出したからだ。つまり妖狐の尻尾は先から炎が出せるのだ、言うなればこの状況は狐業界的な意味では銃口を向けられたようなものである。そんな事情に反して絵面は酷く平和的だが。
そして僕に尻尾を向けたカナメはそのまま、勝ち誇ったような表情で口を開いた。
『こんなにモフモフの尻尾を手入れできるのじゃぞ? 最高の仕事じゃと思わんか?』
「はい?」
僕に突き付けられていたのは、銃口ではなく遣り甲斐であった。どうやら尻尾を餌にして籠絡しようという魂胆だったらしい。こんなので誰が釣られるというのか。姪ぐらいだな。
とはいえその丸太のように太いクセして柔らかそうな毛並みの尻尾は、特別モフるのが好きでなくとも触りたくなるような魅力があった。僕の尻尾も触り心地には自信があるが、そもそものサイズ感がまるで違う。大きいというのはそれだけで強みとなるものだ。あれに抱きついたらさぞかし気持ちがいいことだろうと想像せざるを得ない。姪でなくとも、誰だって触れていいなら触れてみたいとは思うことだろう。
『ほれ、どうした? 試しに触ってみてもよいのじゃぞ?』
「……ほう?」
そんな誘惑に抗っている時……いや、だからといってこんな馬鹿げた要求を飲むつもりは無いのだが、ちょうど魅力的な提案を差し出された。なんと今触ってみても良いとのことである。
「触ったら契約成立、とか言わないよな?」
『安心せい、そんな狡い真似はせんよ。妾は尻尾に自信があるからのう、一度この至高の毛並みに触れればたちまち虜になって自主的に仕えたくなるじゃろうとの判断よ。断られればそれまで、触ってみるだけでも一向に構わん。ま、誘惑に抗って断ることが出来ればの話じゃがのう』
ふむ、どうやらカナメは毛並みに圧倒的な自信を持っているらしい。それこそが交渉のカードというわけか。ならばここはひとつ、敢えてその策に乗って触ってみようではないか。例え触る気が無かったとしても、ここまで言われると触りたくなってくるものである。
「では遠慮なく」
というわけで依然として威圧感のある大きな化け狐に少しだけ気圧されながらも、その尻尾に触るべく僕は近くに歩み寄った。恐る恐る、というわけにはいかない。男のプライドがそんな舐められるような真似は許せなかった。
なので僕はなるべく平然と、物怖じしない態度を装いながらも。それでいてどんな手触りなのだろうかと、少しワクワクしながら尻尾に触れようとして――
『かかったな阿呆が!』
「がっ!?」
そこで突然、他の尻尾を勢いよく横薙ぎに叩きつけられた。小柄な今の僕の身体は軽く跳ね飛ばされ、20~30メートルほど先で地面に転がってようやく止まった。
『くははははっ! まんまと騙されおって、いつの世も人間とは狐に騙されるものなのじゃのう! 真正面からの実力行使が出来ないならば、搦め手と小細工を使って実力行使をするまでよ!』
そう言って勝ち誇って高らかに笑うカナメの表情は、まさにドヤ顔と言うべきものであった。狐のドヤ顔ってこんななのかと、どこか冷静に考えながらも僕は怒りを露わに立ち上がった。
「テメーもう許さねーからな?」
『なっ!? 馬鹿な、今の一撃はまともに入ったはず……なぜ立ち上がれるのじゃ!?』
あれだけ期待させておいて、尻尾を触らせる前に不意打ちなど許される行為ではない。せめて触らせてから不意打ちしろ。いや別にそこまでして触りたかったわけではないが。ていうか不意打ちはするな。あのまま続けてればワンチャン説得も行けただろうが。
というか、余裕を見せて立ち上がってはいるものの、僕は内心ではガクブルだった。いきなりそういうのやめろよビックリするだろうが。未だに心臓がメチャクチャ早く動いてる。マジで死ぬかと思った。むしろ自分で自分が無事だったことが信じられない。
ちなみに何故あんな強烈な一撃を喰らって無事だったかと言えば、尻尾を触ろうとした瞬間に殺気と妖力と風を切る音を感じて咄嗟に≪剛体≫で防御したからである。
いくら前回の夢の中で≪狐火≫が使えたからといって、今回もスキルが使えるという保証は無かったのだが、普通に使えてよかった。
『くっ、舐めるでないぞ人間風情が! かくなる上は実力行使に出るまでよ!』
「結局変わってねーじゃねーか!」
『黙れ小僧! 格の違いを思い知らせてくれるわ!』
かくして半ばヤケクソ気味に、化け狐が僕へと襲い掛かってきた。終始舐められていた前回の戦いとは違って油断はしないだろう。本人談では力を使い切っているとのことだが、勝てるかどうかは分からない。
いや、それでも――今後も姪と自由に遊ぶためにも、僕はこんなところで負けるわけにはいかないのだ。
絶対に譲れない戦いが、今幕を開けたのだった。




