2. 自宅待機命令
僕の職場はこのビルの6階にある。そのフロアの一角をテナントとして借りている、小さな会社なのだ。
エレベーターで6階に降り立った僕は、自分の会社の事務所となっている部屋の方へと廊下を歩く。
その途中、男子トイレの入り口の前を通ろうとした時だった。
「ん?」
「あっ」
入り口の扉が開き、中から出てきた男と遭遇してしまった。事務所の扉の前でもう一度深呼吸しようとした計画が台無しである。
運が悪いことにその男は、何事もなかったかのように無視してすれ違うことが出来ない相手。
顔見知りというか、親友であり幼馴染であり上司であり。黒いビジネススーツに身を包んだその男こそが――
「社長、ちーっす」
「……司なのか? その姿は一体、どういうことだ……?」
僕は随分と身長差ができてしまったその男を見上げながらも、それ以外はこれまで通りに挨拶した。
多少の戸惑いはあれどロリ巨乳狐娘を見ても僕だと判別できる、違いの分かる男。それは最近この姿で一緒にゲームをして遊んだ社長、本堂弘治であった。
「この姿がどういうことかって? ああ、いいだろこのパーカー。サラさんが作ってくれたんだよ」
「違うそうじゃない。身体のことだ身体の」
姿について言及されたのでとりあえず僕は自然な流れで女性から貰ったプレゼントを自慢してみたが、イケメン高収入なこの男には通用しなかった。真面目なトーンでスルーされてしまう。仮に自慢されたのが僕や後輩の小杉だったら嫉妬で血の涙を流してるとこだぞ。
「なんだよコージお前、僕の身体が気になるのか?」
「最悪な言い方をすればそうなるな。少なくとも雇用主である俺に対しての説明責任は果たして貰おうか」
「うげっ。やめろよ責任とかそういう難しい言葉持ち出すの……僕今、見ての通り小学生なんだが」
「身体は子供でも頭脳は大人だろうが」
からかおうとしたら責任だとか嫌な言葉で手痛いカウンターを返されたが、どうしてもこの女児ボディの謎が気になるようなので事情を分かる範囲で説明することにした。正直なところ、僕もあまり分かっていないので説明のしようも無い部分もあるが。
「身体なぁ。まぁ話せば長いんだが、朝起きたらこうなってた。以上」
「全然長くないが。しかしこんなことが科学の時代にあり得るのか……? 質量が全く変わってしまってるぞ……? というかゲームのアバターと同じ見た目に見えるんだが、現実が先なのか? それともゲームが先なのか?」
僕がここまでのあらすじを手短に説明すると、コージは湧きあがった疑問をブツブツと口にしながら困惑していた。姪やサラさんには無かった新鮮なリアクションである。まぁコイツ頭固いからな。
「果たしてどっちが……おっと、マズいな人が来た。ちょっと来い」
「ん? うわっ!?」
などと考えていたら、唐突に事務所の方からドアの開く音が聞こえる。そしてその音を聞きつけたコージに腕を掴んで引っ張られ、近くの会議室に勢いよく連れ込まれた。
あまりに急な出来事だったので驚いてしまい、それに急に引っ張られたせいでバランスを崩してそのままコージの体によりかかってしまう。
「なにすんだよ急に」
「……ッ! ス、スマン。わざとじゃないんだ」
「ん?」
どうしてこんなことをしたのかと疑問に思ったのだが、すぐさまもう1つ追加で疑問ができた。
なんで今コイツ謝りながら僕から慌てて離れたんだ?
「……俺の今の行動が理解できていないような顔をしてるな」
「おう、よく分かってんじゃねぇか。流石は親友、そのまま説明頼むわ」
「その……バランスを崩したお前を受け止めた時に、当たってだな」
「当たった? 当たったって何が……ああ、そういう」
コージの返答は歯切れが悪かったが、僕は自分の体で当たるようなものと考えてすぐさま理解した。なるほど、前面から受け止めたせいで胸が体に押し当てられることになったのか。まぁこの特大サイズだし、前から受け止めたら当然そうなるわな。
しかしコージのこの反応は正直予想外だった。コイツ独身だけど結構モテるし、女体への耐性ぐらいあるだろうと勝手に思ってたんだけど、ここまで焦るとは思いもしなかった。こんなに童貞みたいなリアクションするんだな。今のとこだけ見たらまるで僕みたいだったぞ。言ってて悲しくなってきたわ。
「司、お前今かなり失礼なことを考えてないか?」
「気のせいだろ。お前のこと童貞みたいだなって思って仲間意識を感じてただけだ」
「充分失礼なこと考えてるじゃないか。あとそれは違うぞ、今のはあくまでセクハラになってしまうのを恐れただけだ。俺とお前は一応雇用関係にあるわけだからな」
「セクハラって……」
それは一見苦しい言い訳にも思えたが、納得できなくもない理由であった。今の僕が社会的にどちらの性別で扱われるのかは分からないが、近頃じゃ同性間でもセクハラが成立した例もあるっていうし。
とはいえ僕自身はまだ男気分が抜けてないので、このぐらいの接触は男の時からなんとも思ってなかったから今も特に気にしないが。流石にやらしい手つきで胸を揉まれたなら、身体が男だった頃でもセクハラで訴えただろうけど。
「事故で胸が当たったぐらいでどうこう言わねぇよ、年頃の乙女じゃあるまいし。なんなら中身は男だぞ」
「ならいいが。しかし今のその身体であまり無防備になるのも問題だ、適度に気を付けるんだぞ」
「問題ねーよ、今の自分の身体が性的すぎるのは童貞の僕が一番よく理解ってる」
「理由が悲しいな……」
「うるせぇ」
もう少しからかおうとも思ったが、気付けばコージはいつの間にか冷静さを取り戻していた。相変わらず切り替えの早い奴だ。
仕方が無いので少し不満げに睨みつけ、さっきから気になっていたことを聞いてみることにした。
「ところでなんで僕、会議室に隠れさせられてんの?」
そのことに対する不満も込みで強く睨みつけたつもりだったが、目の前の……もとい、見上げた先の男は一切動じない。30cm以上というか、どちらかといえば40cm近いと言った方がいいほどの身長差のせいもあってどうしてもこの身体は迫力に欠けてしまうのだ。決して元から僕には他人を動じさせるほどの迫力は無かったなどと言ってはいけない。
「あのな……理由を言われないと分からないか? いきなりそんな姿で出社してみろ、大騒ぎになって仕事にならないぞ」
「そんなことなるか? るぅちゃんとサラさんはすげー自然に受け入れてたんだけど」
「その2人は特殊だ、基準にして考えるんじゃない」
「それもそうか」
コージの言葉に半分は納得したが、もう半分は納得できていなかった。いい歳した大人たちが、ちょっと同僚の男がロリ巨乳になって出社してきたぐらいで本当に大騒ぎになんてなるだろうか。とりあえずウチの職場の人間を軽く思い出してみよう。
まずは目の前にいる社長、コージ。コイツは現在進行形で既に適応しつつあるが、なかなか素直に受け入れられてないから微妙なところだな。とはいえもう驚きの山場は超えてるからセーフの部類か。
次に昨日も買い物を手伝ってくれたサラさん。あの人はもはや言うまでもなく問題ないな。いや、隙あらば写真を撮ろうとしてきたり執拗にボディタッチとかしてくるかもしれないからその辺だけ要注意か。最終的に一番の危険人物になりかねない。
それから最年長の江戸っ子ノリさん。あの人はちょっとやそっとじゃ動じない渋いオヤジだし大丈夫だな。今の僕なんてあの人の孫より少し上くらいの子供にしか見えないだろうし、難なく対応するだろう。
あと後輩の小杉……は、ダメだな。あいつ巨乳好きでロリコンだから、今の僕なんか見たら興奮のあまり仕事にならないだろう。ダメじゃん。
いやでも小杉の奴は三次元には興味なさそうなタイプだしいけるか……? しかしそんなの勝手なイメージによる憶測でしかないし、仮にそうだとしても僕が可愛すぎて次元の壁を乗り越えさせてしまう可能性もある。やはり奴は危険だな。
「小杉がダメだな」
「ああ、俺もそう思う」
ひとまずその場は満場一致で、小杉がいるだけでアウトという結論に至った。他にも職場には何人かいるが、もうこれ以上検討する必要もないだろう。
「でもなぁ、だったら仕事どうすんだよって話なんだが。辞めるわけにもいかないし、遅かれ早かれ大騒ぎされながら仕事することになるんじゃねぇの?」
「だとしても今すぐに何の準備もせずにというのは判断を焦りすぎだ。どういう理由でそんな身体になったのかは分からんが、まずは現状を把握するために色々と調べるのが先だろう。最終的に元に戻れなければそのまま出てくることになるが、それでも可能な限りは状況を説明できた方が職場に持ち込む不安や混乱は少ない」
「なるほどな。確かに何も分からないまま出勤するよりはそっちの方がよさそうだな……」
「ああ。俺には身体がいきなり変化していたなど全く仕組みが想像できないが、仮に元の身体に戻れることがあるとすれば元に戻ってから何事も無く職場復帰するのが最善ではあるだろう」
コージの言い分はもっともだった。確かに事情を聞かれたら答えられる程度には状況を把握しておくべきだ。今はまだ、分からないことが多すぎる。
というわけで僕は、不本意ながらしばらくの間は休職することとなった。ウチの会社はコンプライアンスだとか情報漏洩とかの対策で、在宅ワークの類はやってないので出社できないなら仕方ない。
「医療機関で調べれば何か分かるだろうか。司、元に戻るための手がかりか何かは無いのか?」
「戻る手がかりなぁ。犯人っぽい奴は、もう元には戻れないって言ってたけど」
「犯人? 謎の超常現象かと思っていたが、誰か人の意思によって起こった現象なのか?」
「あー、犯人っていうか……犯狐?」
「狐……?」
今後をどうするか話し合う過程で原因の一端について触れたので、僕は夢に出てきた化け狐のことを迷わず話した。
姪とサラさんには心配かけまいと黙っていたが、コージは僕の親友で幼馴染で社長なのだ。この男ほど頼りになる人物を僕は知らない。むしろ黙っていたら黙っていたで、もっと俺に頼れと言ってくるような奴だということもよく知ってる。
――それに、コイツならなんとかできるんじゃないか。そんな期待も僅かながらあったのだ。
「なるほど、夢に巨大な化け狐が出てきて……聞けば聞くほど非現実的な話だな。それにその耳と尻尾もまさか現実でも付いてたとは……」
「なんだよ信じてねーのか? 現に僕はこんなことになってるんだが」
「信じるさ。司が俺に嘘をつくメリットは無いからな。それにお前は嘘をつくとき顔に出やすいから、嘘であればすぐに分かる」
「げっ。お前もそれ分かるのかよぉ……」
「当然だ、もう随分と長い付き合いになるからな」
コージはなんとも胡散臭い話を聞くかのように僕の説明に耳を傾けていたが、その様子はどちらかと言えば僕の話の真偽を疑うのではなく、僕が会ったという化け狐そのものを怪しんでいる様子だった。
言われてみれば、何を言ってるのか僕はほとんど理解できなかったが、向こうはまるでこちらが事情を知っているだろうという想定で話をしていたのもおかしな話なのだ。
「そうなるとやはり考えられるのは……いや、今の話が本当なら原因の方は特殊すぎるから考えるだけ無駄か。これからのことを考える方が有意義だろうな。なんにせよまずは病院で検査だ」
「やっぱとりあえず病院か。こういう場合って何科に行けばいいんだ? 内科? 小児科? 帰りにでも行ってみるわ」
「いや、事情が事情だ。普通の町医者では対応できるかどうか怪しい。病院は俺が手配しておこう。日時が決まったら後日連絡するから、それまでは自宅待機で頼む」
「そりゃそうか。わかった、自宅待機だな! それって自宅で待機してればいいんだよな?」
「まあ……そうなるが」
僕は社長の口から出たのが自宅待機命令であることを、念を押して確認した。そしてそれが指し示すところの意味も。そこから理解した、僕の見解は――
「つまり家でゲームし放題ってわけか!」
「そうだが……そうだが。ああ、そういうことなんだがな。しかしこう面と向かって言われると、なんだか思うところがあるな」
「気にすんなよ。安心しろ、僕はこれでも自宅で待機するのは得意なんだ。ゲームがありゃ何日でも待機してやるぜ」
「気にするなっていうその態度が一番気になるんだが」
つまりこれは、社長直々の自宅待機命令という大義名分を得ることができたわけだ。
別に今の仕事が嫌なわけではないが、休んでいいと言われたらなんとなくテンションが上がる。それは子供の頃、台風の日なんかに感じた感情であった。
「かぁーしばらく仕事休むなんて忍びねぇ! 本当は休みたくないんだけどなー自宅待機命令なら仕方ないよなー!」
「司、今からでも特別に在宅ワーク用の端末を手配しようか?」
「調子に乗ってすみませんでした」
「次は無いぞ」
「はい」
テンションが上がりすぎたあまり調子に乗りすぎてお仕置きを喰らいそうになった僕は、瞬時にそう反省したお陰でなんとか事なきを得た。危ないところだった、目の前にチラつかされた餌を取り下げられるのは辛すぎるからな。別に元々仕事する予定だったんだから損するわけじゃないんだけど。
とにかく僕は、かくして暫く合法的に仕事をサボれる権利を手に入れたのだった。




