11. 猫耳少女との修行(前編)
冷房の効いた部屋で全裸で髪の匂いを嗅いでいたら流石に寒くなってきたので、あのあと普通にパジャマに着替えた。流石になんとかピンクのハート柄パジャマを買わされるのは阻止できたので、黄色の星柄パジャマである。これでも大概だが。
今は夕飯の片付けも終えて、1日の用事は大方済んだところだ。もうやることもないので、たくさん買ってきた消臭剤を使うことにした。というのも、狐の嗅覚にとっては部屋に染みついた男時代の体臭がどうしても気になってしまうからである。自分の匂いのはずなのになぜなのか。
そんなわけでソファやカーテンに多めに撒いていき、壁紙にも吹き付ける。ベッドとカーペットはとりあえずまだ使うので保留だ。そこには明日の朝、家を出る前に使うつもりである。そうすれば帰ってくる頃には渇いていることだろう。
「よし、っと」
いい感じに部屋が無香料の消臭剤みたいな匂いになったところで、寝るには早い時間だがベッドにダイブする。枕はどうしても匂いが気になったので、昨日カバーを洗ったり日干しした上で消臭剤を全部使ってかなりマシにはなったが、逆にそこで消臭剤が尽きてしまったのでベッドは手つかずであった。
ベッドに染みついた匂いは臭いわけではないのだが、男臭さというか、男っぽさというか。決して臭いわけではないし嫌いなわけでもない。だがしかしこの身体は過敏に反応してしまっている節があり、なんだか落ち着かないのだ。まだ加齢臭とかが出る歳では無いはずなのだが。
「……ま、気にしても仕方ないし。行くか」
しかし今はどうにもならないことなので、諦めて僕はゲームの世界へとやってきた。ゲーム機のヘッドギアが脳波を制御し、外部の感覚の大部分が遮断される。
最後のログアウトからせいぜい1日といったところなのに、ゲームの世界は随分と久しぶりに感じられた。それだけ濃密な1日を過ごしたといったところか。
「えーっと北門、北門っと」
プリミスの街に降り立った僕は、事前に決めていた待ち合わせ場所を目指して目立たないように路地裏を歩く。獣人の村の情報はケントさんに頼んでwikiに流してもらったが、街で獣人が珍しくなくなるのはもう少し先の話だろうから今はまだ仕方ない。
もっとも僕の場合は胸だけでも充分に目立つことが今日分かったので、その後もなんだかんだ路地裏生活になりそうだが。果たして日の当たる道を歩ける日は来るのだろうか。
そんなことを考えながらマップを頼りに進んでいると目的地に到着した。
今回の待ち合わせ相手は、門を出てすぐの芝生の上に寝転がっていたのですぐ見つかった。緑の草地の上に落ちている、全体的に白い毛色の女の子。猫耳少女のミィである。
「お待たせ。待った?」
「普通にメチャクチャ待ったにゃ、1時間ぐらいの遅刻だにゃ」
「えっマジで? もうそんな時間?」
今回は姪との待ち合わせではないので結構雑な時間管理だったのだが、まさかそこまで遅れていたとは。流石に申し訳ないので軽く謝った。
「ごめんごめん。グミいる?」
「グミ? 食べるにゃ!」
僕は姪のご機嫌取りで培ったテクニックで瞬く間に機嫌を直し、アイテムインベントリから取り出したグミを1粒ミィへと向けて軽く放り投げた。つい何も言わずに突然投げてしまったのだが、瞬時に反応して口でキャッチする反射神経は流石である。まるで本物の猫のようだ。
「ま、ミィはどうせこの辺でゴロゴロしてる予定だったから別にいいのにゃ」
「そうなんだ。レベル上げとかしないの?」
「ケントがいない時に1人でやっても仕方ないにゃ」
「それもそっか」
その意見には僕も割と納得できる部分はあった。姪のいない時間に冒険などしないようなものである。まぁ投げナイフの補充とかちょっとしたスキルの練習ぐらいは事前にしておくが。
今回はそのちょっとしたスキルの練習である。姪は今日は帰りが遅いので不参加だが、僕がやってみて習得できるようなら後日姪にも教えようという算段だ。つまり試金石である。
「じゃあ妖力による身体強化のやり方を教えていくのにゃ」
「うん、ありがとう。今日はよろしく」
そう、今宵教わるのはミィの身体強化である。素手で硬いボスモンスターとも殴り合う、ミィの謎スキル。『アラサートレント』戦の際にあとで教えてやると言われたので、使えるかどうかはともかく一応ありがたく教えてもらうことにしたのである。
「ちなみにミィは妖力って言うけどにゃ、このゲームだと魔力に置き換えて理解してくれてもいいにゃ。ミィはこっちの呼び方の方で慣れてるから妖力って言うだけだにゃ」
「なるほど、長いことやってた他ゲーで馴染んだ響きだから使ってるとかそんな感じか」
「そんなところだにゃ」
聞けばどうやら、たまに出てくる猫又ロールプレイ用語は別に意識して使っているわけではないらしかった。むしろ意識していないからこそ出てしまうのだろう。
僕としてはこのゲームでの正式な用語は魔力なので魔力の方を使おうかと思ったが、最近は一身上の都合で自分自身の使える力が妖力でも別に違和感は無いようになってきたのだ。そういうわけで少なくとも今だけは、僕も教えてくれるミィに倣って妖力として覚えることにしたのだった。
「まずは妖力でどれぐらい威力が上がるのかを体験してみるのにゃ。アン、好きに1発殴らせてやるのにゃ。かかってこいにゃ」
「えっ」
だが修行が始まるなり僕は困惑した。構えることもせず無防備に棒立ちするミィは、どこからでも打ち込んできて良いと言うのだ。
しかし大人の男である僕としては、見るからに無防備な女子小学生でしかない相手に殴り掛かるなど良心が痛むなんてものではない。いくらゲームの中とはいえ、それは人間として道徳的に出来ることではなかった。
「そんな顔してどうしたにゃ? 大丈夫にゃ、別にアンのへなちょこパンチなんて喰らっても平気だにゃ。それにミィは大人だからにゃぁ、どんなにか弱くても笑わないでやるから安心していいのにゃ」
「は? 僕はむしろどれぐらい手加減をしてやろうか考えてただけだが?」
「にゃはははは! 見くびられたものだにゃ、アンみたいな弱っちそうなチビが手加減とにゃ? そもそもオマエ素手での戦闘ができるのにゃ? パンチの打ち方を知ってるにゃ?」
「ああ!? うるせー!」
「ぅに゛ゃっ!?」
結果から言えば、僕は殴り、ミィは悶絶した。
しまった、つい挑発に乗って本気で殴ってしまった。いや、正確にはミィ自身に挑発したという自覚は無いのだろう。生意気なところはあるがまだまだ子供なのだ、そこは仕方ない。
それに対して僕は大人げなく拳で応えたことを深く反省しなければならない。僕は見た目相応の子供ではないというのに、今のは大変に大人げなかった。女児の鳩尾に渾身の右ストレートを叩き込むなど、現実世界であれば児童虐待で一発逮捕である。
ちなみにリアクションの割にダメージは意外と低く、クリティカルで2ダメージだった。痛くなくても痛いと言うような、オーバーリアクションはゲーマーの嗜みなのである。
なので感覚フィードバックによる痛みも見た目と違ってほとんど無いに等しいのだが、とはいえ行動が行動なので僕は思わず謝罪した。
「ご、ごめんついやりすぎた」
「ふっ……アンの癖になかなか良いパンチだにゃ。でも、ダメージで見れば全然だにゃ。実戦で使えるほどではないのにゃ」
「確かに。対人の補正を抜きにしても、これでモンスターと戦うのはキツイよね。武器より素手が強いわけはないってことか」
「そこでこうやって妖力によって威力を強化するのにゃ。今からその威力を見せてやるのにゃ! 喰らえにゃーっ!」
「え、ちょっ!? ごふぁあっ!?」
しかしそこは負けず嫌いでやられっぱなしなど許さないミィである。見事にやり返された僕は、頬を思い切り殴られて錐揉み回転しながら地面にぐしゃりと叩きつけられた。
その一撃だけで、満タンだったHPの半分以上が軽く消し飛ぶ。倍返しどころの話ではなかった。
「こんな風に一気に威力が跳ね上がるのにゃ。どうにゃ? すごいにゃ?」
「……うん、すごい」
「それを今から教えてやるのにゃ!」
「わ、わーありがとー。すごい嬉しいー」
僕は大ダメージの影響でよろめきながら立ち上がり、得意げなミィの言葉へと雑に答えた。
ここまでのやりとりだけで既に先行きがかなり不安だったが、僕は文句を胸の内に仕舞い込む。今のは僕の方にも非があったのだ、多少ムカつく要素があっても大人な対応でカバーするべきだろう。
と、そこで僕は不意に疑問に思う。
そういえば名前を聞いていなかったな、と。
「そういえばこれ、なんていうスキルなの?」
「名前は無いにゃ。そもそも妖力を操作してるだけだし、スキルでもなんでもないただの技術だにゃ」
「え、スキルじゃないの? ……ていうか、名前無いと呼ぶ上で不便じゃない?」
「そういうもんなのにゃ? 今までこんなの当たり前に出来ることだから、名前とか気にしたことなかったにゃ」
「でもこのゲームじゃ当たり前のことじゃないし。名前つけようよ名前」
「名前にゃぁ……」
ミィにとってはどうでも良さそうだが、技の名前は重要である。妖力による身体能力の強化と呼ぶより、固有名詞があった方が便利に決まってる。それになにより習得する対象の技名が分かっていた方が、こちらとしても盛り上がるのだ。
「別に特別なことでもないしにゃぁ、『妖力操作』とかその辺でいいんじゃないかにゃ?」
「それだとスキルの『魔力操作』とかぶるし。既存のスキルと似たような名前で全然違う効果なのはダメでしょ」
「うにゃぁ……」
スキルの『魔力操作』は、魔法系スキルを使う上でのコントロールに影響してくるスキルであり、肉体を強化するような効果はない。その辺の関係ないものと紛らわしくなるような名前は極力つけたくないのだが、そこを指摘したら名前にこだわりのないミィはすっかり困ったような表情になってしまった。
「そんなこと言うなら、アンには何か良い案があるのにゃ?」
「えっ僕? うーん……」
こちらから言い出しておいて何だが、僕に振られても困る。というのもまだこの技の全容を把握できていないから、正確に名付けることが不可能なのだ。威力の差を見せられただけでまだ仕組みの概要も聞いていない。
とはいえ大切なのは発動プロセスの過程ではなく結果の事象を分かりやすく単語にすることだ。そこに絞れば、詳しく知らない僕にだって名前を付けることは可能である。僕はこれまでの30年の人生での積み重ねで得た語彙の中から、最適な言葉を探し出して自信をもって提案した。
「じゃあ爆発的に肉体を強化するスキルってことで、≪爆肉剛体≫とかどうだろ」
「なんだか昔の漫画のB級妖怪が使う技みたいなネーミングでイマイチだにゃ」
ミィからの評価は良くなかったが、僕としては分かりやすさもあってなかなか良いと思うのだが。その辺の価値観はジェネレーションギャップなのだろうか。
あと多分B級妖怪というのは恐らく人違いである。
「いや良くない? 強そうでカッコいいし」
「でもにゃあ、ミィたちにとっては呼吸をするように当たり前にできることなのにゃ。何もそんな大袈裟な名前は……にゃっ?」
「ん? どうしたの?」
「……なんかスキルとして習得したのにゃ。≪剛体≫って名前になったにゃ」
「えっマジ? ≪爆肉剛体≫じゃなくて?」
「話聞いてたにゃ? その名前はボツだにゃ」
「そんなぁ」
話を聞くと、これまでただのテクニックとして使われていたものが、名前をつけたことによりスキルとして登録されたようであった。どうやら僕の命名が新たなスキルを生み出してしまったらしい。ゲーム側の判断か何かで短くされたが。
ともあれ名前は付いたのだ。僕も新スキルの名付け親として……いや、名前の半分は却下されたから名付けられたかどうかは微妙なところだけど。
とにかく僕自身も≪剛体≫を習得できるように、気合を入れ直したのだった。




