4. 男子禁制、乙女の聖域
着替えが終わって居間に戻ると、案の定待っていた2人にかわいがられた。
「ああー! かわいい! なにこれあんちゃんメチャクチャかわいい!!」
「やっぱり半裸なんていう露骨な格好よりも、ちゃんとした服を着てこそかわいさは際立つわね。それはそうと胸元をそんなに開けて誘ってるのかしら?」
「閉まらないんですよ! そんなこと設計段階で分かってたことでしょう!?」
「分かってはいたけど……まさかここまでとは、想像以上ね」
現状パーカーの前開きファスナーは胸より上に上がらないため、下に着たTシャツだけが胸を隠す唯一の布である。
男時代にはTシャツ1枚なんて当たり前だったのに、今ではなんとも頼りなく感じるのはなぜなのだろうか。多分主張の激しい膨らみの形が浮き出ているせいだろう。
ともかく変装に問題はなかったようなので、僕たちは買い物へと出発した。靴は姪が持ってきたサンダルである。
今回僕たちが行くのは大型のショッピングモールだ。服や靴に食品などまで揃えられるのはそこしかない。だが僕の住む場所からは少し距離があるので、サラさんの車で移動することとなった。まずは近所の駐車場へと向かう。
「2人は……後部座席がいいかしら? それとも助手席乗りたい? どっちでもいいわよ」
「あんちゃんと後ろ乗る!」
「じゃあ僕も後部座席で」
「シートベルトもしっかりね」
「はーい」
ちなみに駐車場への道中で何人かの人とすれ違ったが、もれなく胸を二度見される程度で済んでいる。ゲーム世界で言うならば路地裏を歩いている時ぐらいの感覚だ。しかし耳を隠していなかったらこんなもので済まなかったのだろう。よかったよかった。よくないが。
と、ここまでは通行人からの目線により僕の精神に若干ダメージが入る程度で、特に大きな問題も無かったなと思い返していたのだが。シートベルトを締めた辺りで、突如としてサラさんのスマホのカメラの撮影音が鳴ったことに気付いた。
どうしたのかと見てみれば、どうやらカメラの向きからして僕を撮ったようだった。
「サラさん、勝手に撮るのはできればやめてほしいです」
「できれば、ってことは。できないならばやめなくてもいいのかしら?」
「できなくてもやめてほしいですね」
「仕方ないわね、言ってから撮るようにするわ。はいチーズ」
よくよく考えれば僕はそもそも写真を撮られること自体が好きではないのだが、撮らないでほしいと言うべきだっただろうか。
だがもうサラさん的には声をかけてからなら撮っていいという方針で固まってるし、そもそも暴走気味な状態のこの人に諦めさせるのはなかなかに困難を極める。ここで妥協しておくのが妥当だろうと諦めをつけた。
それにしても、と思う。
なぜサラさんは車に乗るなり急に写真を撮り始めたのだろう。これまでも撮影してはいたが、着替えのお披露目で何枚か撮った程度である。わざわざ車の中で撮る必要性が感じられないのだが何か意味があるのだろうか。
「あんちゃん、すごいことなってるね」
「ん?」
そう思っていたら姪が答えを教えてくれた。いや、本人にとっては純粋に感想を口に出しただけなのだが、僕にはそれが答えとなった。
僕の顔を見ていない姪の視線の先を辿ってみれば、シートベルトが胸の谷間に深く食い込んでいたのだ。当然ながら僕自身の胸元での出来事である。
「……サラさん、シートベルトを外しても?」
「ダメだよあんちゃん、窮屈でも安全のために大切なんだから」
「るなちゃんの言う通りよ。姪の前なんだからお手本になれるようにしなさい」
「ぐぬぬ……はい……」
自分の身体とは言え僕にとっては刺激が強すぎるその光景に耐えきれず、シートベルトを外せないかと打診したものの2人がかりで正論で論破されてしまった。
結局僕はその後、なるべく下を見ないように気を付けながらしばし車に揺られるのであった。
そして窓の外の景色を見ながら15分ほど経ち、車から降りた僕たちは目的地へと到着した。
向かっていたのはショッピングモール。そう思っていた時期が僕にもありました。
「着いたわよ」
「えっ? ここって……」
「おぉー、ここならあんちゃん用のも買えそう」
どうやらリアクションからして、姪はここへ来ることを知っていたようである。僕だけは知らずにまんまと騙されて、このおぞましい場所へと連れてこられたわけだ。
ここはランジェリーショップ。これまでの人生で一切無縁だった、女性用の下着専門店であった。
「サラさん、ショッピングモールじゃなかったんですか?」
「ええ、行くわよ後で。でも司くん色々とワケアリでしょう? 採寸なんてしようと思ったら尻尾を出さないといけないじゃない。だから事情を説明しても大丈夫な、私の知り合いの店に来たのよ」
なるほど、ここはサラさんの知り合いの店だったのか。勝手に事情を説明しようとされてるのは気がかりだが、まぁ誤魔化すにしても知り合いの方が誤魔化しやすい部分はある。何も聞かないでくれと釘を刺しておけば見て見ぬふりをしてくれるだろうし。
ただ、それはそれとしてこの店には入りたくない。なんというか、童貞を退ける結界のようなものを感じるのだ。女性用下着を売るためだけの店舗というのは、なんというか敷居がとてつもなく高い。
そもそも採寸するからここにしたと言っていたが、そんなことさえしなければショッピングモールの下着売り場でも済ませられるのでは? そちらでも僕にはハードルが高いが、こっちよりは遥かにマシだ。
「……別によくないですか、採寸なんてしないでも。適当にそれっぽいサイズを買い物カゴに放り込めばいいでしょう」
「ダメよ! 女の子の下着は身体のサイズにピッタリ合うものでないとダメなのよ! 大いなる乳には大いなる責任が伴うことを肝に銘じなさい!」
「大いなる乳ってなんだよ」
結局僕はサラさんの熱意に押し切られ、未知の聖域へと足を踏み入れることとなった。案内されるがままに裏口へと回り、予め鍵の開けてあるそこから勝手に侵入する。
なんでも定休日のところを無理言って開けて貰ったらしい。そう聞くと小心者の僕としては、さっきまで入りたくないだのと駄々をこねていたことに罪悪感で胸が痛む。定休日なのだから休んでくれていればお互いよかったものを。
そんなことを考えながらバックヤードを抜けて店内エリアに入ると、そこは正に禁断の聖域であった。
どこに目を向けても至る所に女性用下着が並べられており、女体を模したマネキンが下着姿で置いてあったりもする。つくづく童貞には厳しい環境だ。
ただの商品として並べられた新品の布だと分かってはいても、男としての本能が見てはいけないと罪悪感を掻き立てるのだ。場違い感が半端ない。
だからといって落ち着こうとして深呼吸をしようとすれば、この空間の神聖な空気を吸い込むことになってしまう。呼吸すらも満足にできないとは情けない話だが、それもこれも僕自身の経験値の皆無さが招いた事態である。まさに詰みであった。
「くっ……なんだこの空間は。胸が苦しい、動悸もする……やはり僕には無理そうです」
「拒絶反応がすごいわね。でも女の子なんだから、今後は慣れていかないと」
「無理ですよこんなの。世界から異物認定喰らってる気分ですよ今」
「そんなことはないわ、自分に自信を持って。大丈夫、司くんはかわいいから」
「外見と内面は別ですよ。仮にこの身体がかわいいと自覚できたとしても僕は僕です」
「見て見てあんちゃん、メチャクチャおっきいブラジャーみつけた!」
「返してきなさい」
そんなやりとりをしていたら騒ぎに気付いたのか、モップを携えた1人の女性が近付いてきた。恐らく彼女がサラさんの知り合い、この店の店長だか従業員だかなのだろう。どうやら待ち時間で掃除でもしていたらしい。
「あらぁ~、沙羅ちゃんだぁ~。久しぶり~」
「久しぶりね、花ちゃん。今日はごめんなさいね無理言っちゃって」
「いいのいいの~。沙羅ちゃんの頼みだもの~。あっ、この子たちが~?」
「ええ、ちょっとワケアリでね。頼りにしてるわよ」
「はいは~い、まかせてぇ~」
その間延びした口調のおっとり系のお姉さんと言った雰囲気の女性は、花村 春風さんというらしい。サラさんの高校時代の友人だそうだ。僕よりは年下だと思うが、サラさんと同じく年齢は不明である。明らかにしてはいけない。
「おっきい……」
「こらるぅちゃん、女性に対して失礼だよ」
「それもそっか。ごめんね」
「いいのよ~、慣れてるからぁ」
姪が思わず率直な感想を口にしてしまったが、気持ちは分からなくもない。
デカイ。正直なところ、第一印象はその一言に尽きた。
サラさんよりも背が高く、しかも僕をも超えるほどに巨大な胸。童貞の僕にはあれが一体何カップあるのかの想像もつかないほどであった。
「わたしは春風っていうの~、よろしくねぇ~」
「るなです!」
「えっと、飯塚 司です。今日はありがとうございます、花村さん」
「ふふふ、そんなにかしこまらなくてもいいのに~。春風ちゃんでいいよぉ~?」
「……や、初対面の女性に対してそんなわけには」
「ふふ、春風お姉ちゃんでもいいよぉ~?」
目線を合わせるために姿勢を低く屈みこむ花村さんが、あまりにグイグイと来るので僕は思わず目を逸らしてしまう。童貞の僕にはただでさえ女性と目を合わせて話すことも難しいというのに、夏場ゆえの薄着なせいで谷間が見えそうなのもあって直視できない。ましてや場所もこんなアウェイなフィールドである。
そうやって困っていたところを助けてくれたのは、間を取り持ってくれたサラさんだった。
「はいはい、それぐらいにしといてあげなさい。司ちゃんは人見知りなのよ」
「あらぁ~そうなんだぁ~? ごめんねぇ、司ちゃん~」
「いっいえ……お気になさらず」
ひとまず助かったが、しかしその過程で僕には引っかかるものを感じた。なので花村さんが姪と話している隙にサラさんの服の裾をちょんちょんと軽く引っ張り、しゃがんでもらってこっそり耳打ちする。
「ちょっとサラさん、なんでちゃん付けなんですか」
「だって司くんって呼ぶのも変でしょう? 見るからに女の子なんだから」
「そうですけど……なんか慣れてない呼び方だからかムズムズするんです」
「仕方ないわね、それならゲーム内と同じでアンちゃんと呼びましょう」
「……まぁそっちの方がマシか。じゃあそれでお願いします」
かくして僕たちは手早く作戦を決めた。これで多少はマシになるはずである。
その作戦会議の様子を花村さんに、なんだか微笑ましいものでも見るような目で見られていたようにも感じたが、恐らく気のせいだろう。気のせいであってくれ。
正直いける気はしないが、そう願うことしか僕にはできなかったのであった。




