5. アナフィラキシーショック
絶体絶命の窮地から脱するために放たれたその炎は、広範囲に勢いよく飛び散りながら燃え盛る火の粉の嵐。倒せるギリギリにまで威力を落として攻撃範囲に全振りしたそれは、瞬く間に広がって行って群れを成す蜂たちを次々と焼いていく。
「……わぁ、綺麗」
「綺麗? ……ハハハ、そうかも。火の粉だけ見ればね」
だがそんな火に呑まれる敵の大群という光景を前にしてのこの姪の感性。火の粉に焼かれる蜂たちの姿は果たして、姪には見えているのかいないのか。
……いや、討伐エフェクトの光になって淡く霧散していく様子も相まって綺麗だと言えなくもないかもしれない。やはり僕の自慢の姪は着眼点が素晴らしいな。流石である。
ともかくファニービーの群れは撃退できたので一安心だ。いくらデフォルメタッチとはいえ、あんな大量の虫に追いかけられるという恐ろしい光景ともこれでようやくおさらばだ。
「ふぅ……なんとかなったか。ワシはもうダメかと思ったぞ」
「やってやったにゃ! ミィたちの勝利にゃ!」
緊張の糸が切れたのか、ケントさんは一気に疲れたような表情をしていた。実際僕も精神的に色々と来るものがあったし気持ちは分かる。ミィは元気だが。
「あ、生き残りが何匹かいるにゃ。気を付けとくのにゃ」
「構わん、このぐらいの数なら問題ねぇ。≪ファイアボム≫!」
「くらえにゃ!」
だがどうやら撃ち漏らしがいたらしく、範囲外に逃げたり物陰に隠れてやり過ごしていたらしき個体が飛び出してきたが、ミィたちは難なく迎撃していた。姪も襲いかかってきた蜂をあっさり切り払っている。
まぁあと数匹だ、範囲攻撃など無くとも物理で余裕で勝てる。それに羽音は結構うるさいので、近付いてくれば普通の人間の耳でもすぐに気付くのだ。追い回すのも面倒だし、焦らずに向こうから来るのを待ってよう。……と、思っていたのだが。
――達成感に包まれていた僕は気付かなかった。いつの間にか『あるモノ』を持って背後から忍び寄ってきていたミィが、とんでもなく悪巧みの表情をしていたことに。
「えいにゃっ」
「あああああああああああ!!」
「あんちゃん!?」
不意に腰の辺りに何かを刺されたかと思うと、全身が痛くない程度に激しく痺れて立っていられなくなった。思わず声を上げながらその場に膝から崩れ落ちてしまう。
「なっ……ミィ!? なにこれ!? あっちょっやめあああああっ!?」
「えっ? えっ……? なに、どうしたの……!?」
「にゃははは! 大成功にゃ!」
謎の痺れで地面にのた打ち回りながらも、ミィに爪先でつつかれる度に触覚の神経がバグったような強烈な感覚が走ってしまってビクンビクンと身体を跳ねさせてしまう。この感覚は……アレだ! 正座のあとの足の痺れ……あれを30倍にしたようなやつだ!
何が起きているのかほとんど状況は理解できていなかったが、転がったまま見上げればミィはその手に弱った1体のファニービーを捕まえていた。ゲームの中のダメージでしかないとはいえ想像するだけで恐ろしいが、どうやら僕はあの太い針で刺されたらしい。
「状態異常『アナフィラキシーショック』にゃ。その名の通り神経が過敏になる麻痺系の状態異常だにゃ」
「いやその名の通りではなくない? あっ反論してすみませんやめてくださいあっあっあっ」
「るぅも触ってみるといいにゃ、反応が面白いのにゃ」
「じゃ、じゃあ遠慮なく……」
「んはぁっ!?」
つん、と姪の細い指先で軽く触られただけで身体が跳ねる。いや待って、よりにもよってそんなところ――
「あびゃああああああっ!? うひょあああっ!?」
「み、ミィちゃん? ホントにこれ大丈夫なんだよね? なんか触る度にすごいことになってるけど……」
「やっ……!? あぁあっ!? だめぇっ、待っ……あがぁっ!?」
「うわぁ……るぅ容赦ないにゃ。流石のミィもドン引きにゃ。よりにもよって神経が集中してる耳を触るなんて鬼畜の所業なのにゃ」
「ミィちゃん!?」
いくら目に入れても痛くない可愛い姪っ子だとはいえ、全身が激しく痺れている状態で狐耳を掴んでこねくり回されるのは流石に来るものがあった。痺れている身体をつつかれるのはビリビリとした僅かな痛みと強烈なくすぐったさを合わせたような変な感触だが、頭についてる敏感な耳をガッツリ触られるのはヤバい。脳に近い位置から痺れるような感触が走るのは、まるで頭に電極をブッ刺されているかのような感覚だった。
つまりどういうことかというとおほおおおおおおっ♡ 姪にケモ耳こねられたら脳みそ弄られてるみたいで頭おかしくなりゅうううううっ♡
「はっ、んぁぁ……あひぃ……」
「ご、ごめんあんちゃん! しっかりして!」
「あっ待つにゃるぅ、今そんなに強く肩をゆすったりしたら」
「お゛っ、お゛おっ、おんっ!?」
「あっやばっ、つい――」
と、そこで僕の視界は真っ暗になった。同時に姪たちの声も聞こえなくなる。目を開いてみれば、そこは自室のベッドの上だった。
「はーっ、はーっ……かひゅっ……けほっけほっ!」
いつの間にか荒くなっていた息をなんとか整え、働かない頭で状況を整理しようと試みる。詳しいことは分からないが、どうやらゲーム機の安全装置か何かで強制ログアウトさせられたらしい。
恐らくただでさえ敏感な耳が更に過敏になったところを触られすぎて脳への感覚フィードバック値が許容量を越えたのだろう。そこに激しく頭を揺さぶられてトドメになったと。
普通なら痛みには自動でフィルターがかかるのだが、痺れや触られただけの感覚にはそれが適用外だったのだろうか。
「し、死ぬかと思った……うぅ、頭がぁ……」
痺れたのが耳だけならばまだよかったのだが……爪先を触られると膝ぐらいまでが痺れるように、耳を触られたらその付近も痺れるというのがマズかった。頭の内側のヤバい部分まで痙攣してたのだ。
まだ脳が震えているような錯覚を覚える。それに体もなんだか動きがぎこちない。気のせいなのだろうけど、僅かに麻痺が残っているみたいだ。
そんなわけで一旦落ち着こうと深呼吸をしていたら、枕元に置いていたスマホが振動しだした。画面には姪の名前と顔写真。
どうやら急にログアウトしてしまった僕を心配して通話をかけてきてくれたようである。僕はそんな心優しい姪を待たせるのも忍びないので、まだ完全には復活しきっていない脳などに頼らず脊髄反射でスマホを手に取って応答ボタンを押した。正確にはもう押していた。姪からの着信を認識した後コンマ1秒以内にはもう癖で体が動いていたからだ。
『あんちゃん!? 急に落ちたけど無事!? 生きてる!?』
「うん、大丈夫だよ。まだちょっと変な感じはするけど」
『よかったぁ……』
安堵はしたようだが、姪は今にも泣き出しそうな声色だった。もしかすると自分の手でやってしまったことだと気にしていたのかもしれない。僕があの程度の麻痺責めにも耐えられなかったばかりに……不甲斐ない限りである。
「そんなに心配しないで、僕は大丈夫だから」
『ホント……?』
「うん、ゲームにもすぐ戻るよ。今はまだバイタルとか脳波の乱れで接続弾かれそうだから、何分かして落ち着いたらだけど」
『ん、わかった。待ってるね。でも無理しないでいいから』
「問題ないよ、るぅちゃんと話してる間にも落ち着いて来たし。じゃあ、またあとで」
すぐ戻る、そう告げて僕は通話を終了した。実際姪の声を聴いていたら徐々に体調が回復してきたのでもうすぐ復帰できるだろう。叔父なんてそんなもんである。
……それにしても無意識にスマホのスピーカーを人耳の位置に合わせていたけど、普通に使えたな。普段は髪に隠れているこの人耳が見た目だけでなく実際に機能しているのか、あるいは感度の高い狐耳がその距離でも音を拾っていたのか。
「……まぁ、そんなこと今は別にいいか」
とりあえず引き続き症状の確認のために恐る恐る狐耳に触れてみると、意識を集中しすぎていたせいで一瞬ビクッとなったが、もう痺れは全く無かった。やはりあれはゲーム機に再現された擬似的な感覚でしかなかったということだ。
もうだいぶ落ち着いてきたのでそろそろ戻っても大丈夫だろうと判断したが、折角ログアウトしたついでなので念のためトイレを済ませておく。まだゲーム開始前にトイレに行ってからそれほど時間は経ってなかったとはいえ、さっきあの状況で漏らさなかったのは奇跡といって相違ないだろう。
「……ふぅ、行くか」
まだこの女の子の身体で用を足すのは慣れてないし、特に終わった後に拭いたからといってそのままで居るのも落ち着かないが……まぁいずれ慣れるのだろう。いやパンツを穿けば結構変わるのだろうか。やはり下着も含めた衣類の入手は急務……だが今は姪と遊ぶことの方が優先度が高いので、僕はノーパン彼シャツ姿のまま再びゲームの世界へと舞い戻った。
するとログインする際、フィールドが読み込まれる前の暗転中に、目の前にメッセージウィンドウが表示された。
【不具合修正のお詫び】
【獣人系種族で状態異常『アナフィラキシーショック』中に耳を触ると想定外の部位に感覚フィードバックが発生する不具合を修正しました。】
【この度は本不具合によりご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。】
それはさっきの僕に起きた出来事をバグとして修正したという内容だった。まだ発生から5分ほどしか経っていないが、なんと仕事が早いのか。
まぁ最近では設計や開発はともかく、ちょっとした間に合わせ的な不具合の修正ぐらいならばAIで可能だというしそれを活用したのだろう。いずれにせよ膨大なシステムログから1人のプレイヤーの身に起きたたった1度の事象を不具合だと判断したのは人間の管理者だと思うので、その人物の仕事熱心さには感謝するべきだとは思うが。
もっとも姪やミィももうあんなことはしてこないと思うのでこの迅速な対応に僕自身が恩恵を受けることがあるかどうかは分からないが、不安要素は少ない方がいい。これで僕も安心して冒険が再開できるというものだ。
そう考えながらウィンドウを閉じると周りの風景が徐々に形作られていき、僕は森の中へと戻っていた。
「おうアン、戻ったか! 心配したぞ」
「ごめんなさい」
「ごめんにゃ」
そんな僕を出迎えてくれたのは、厳つい顔で爽やかに笑いながら軽快に言葉をかけてくれたケントさんと、土下座して詫びる2人の少女の姿だった。
「え、ちょっ……なんで?」
「ワシからもスマン、ミィの管理不行き届きにはワシの責任もある。強制ログアウトまで行くような危険な目に遭わせて申し訳ねぇ」
そして自身も土下座とまで行かなくても頭を下げて誤ってくるケントさん。いやでも今時、いくらなんでも幼い少女たちにここまでさせる必要は……まさかこの男、そういう趣味でも持っているのか?
僕は怪訝な顔でケントさんを見つつ、すぐに姪の方へと歩み寄った。
「顔を上げて、るぅちゃん。知らずにやったんだから仕方ないよ、僕だって怒ってないから」
「……でも、あたしのせいであんちゃんが苦しい目に……」
「反省してくれたならそれでいいよ。るぅちゃんは失敗した、それを反省して謝った。じゃあこの話はもうおしまい。それでいいじゃない」
「でもぉ……」
「謝ってもまだ気が済まないっていうのなら、じゃああとでまた耳を撫でて貰っていいかな? 今度は麻痺してない状態で、優しくね。このことはそれでチャラでいいよ」
「あんちゃん……!」
パァッと表情が明るくなって顔を上げたその目には、余程負い目を感じていたのか涙が薄っすらと浮かんでいた。かわいい顔が台無し……とは思わないしどんな表情でもかわいいものだが、しかし愛する姪には常に笑顔でいてほしいと思うものだ。そんな表情をさせてしまった自身の罪深さに対する申し訳なさとそこまで想ってくれていることへの愛おしさから、僕は姪をギュッと抱きしめて頭を撫でた。
「愛を持って謝り、愛を持って許す関係……いい話だにゃぁ!」
「あ、ミィは土下座続行で」
「にゃっ!?」
いつの間にか許されたような態度で頭を上げていた元凶のミィには再び頭を下げさせて、このあと僕とケントさんによるお説教タイムがいくばくか続いたのだった。




