31. 化け狐
結局あのあと、普段の大人一人前の夕飯は少し多かったが案外食べきれた。元々僕は成人男性にしてはやや小食気味なのだが、逆に今の身体は大食いだったりするのだろうか。流石にデザートのプリンは食べられなかったが。
いや、一部を除き同じぐらいの体格の姪だって結構よく食べるし、単純に育ち盛りなのかもしれない。30歳を過ぎて育ち盛りというのもなんだか変な感じはするが。
「よしっ、これで終わりっと」
そして今僕は洗濯物を干し終えたところである。シャツの残り枚数が心許なかったので洗濯して補充するためだ。
尚これらは無論のこと部屋干しである。この姿でベランダに出る勇気は無いので、昼でも夜でも変わらないだろうという判断だ。
「ちょっと早いけど……まぁ寝るか」
時刻は日付を跨ごうかというところ。いつもは週末になるとここぞとばかりに夜更かししてゲームでもするので、普段の就寝時刻よりは少し早いのだが、明日は午前から姪とゲーム内で待ち合わせをしているのでちょうどいいだろう。
姪とゲーム、その前夜の気分はさながら遠足の前日。日がな一日中ゲームでベッドに寝てたのもあって寝られるか不安だったが、見た目は寝ていても脳はフル稼働しているのがVRゲームである。目を閉じていれば意外とすぐに意識が溶けていく。
今日は色々と初めての経験が多かったが、睡眠は普通だ。胸と尻尾で少し寝づらいものの、あくまでその行為自体は日常――そう思っていた。
その夜、僕は夢を見た。
暗い霧の中で、目の前には大きな檻があって、その中には――いや違う。この檻は、内側だ。中にいるのは……僕の方だ。
『ようやく隙を見せたのう』
「……ッ!?」
僕は頭に響く声に思わず身震いする。
いや、声だけではない。第六感で感じるその圧倒的な威圧感は、存在としての格の違いを魂に突きつけられているようだった。
同時にその感覚は、これがただの夢ではないと自覚させるのに充分な説得力を持っていた。ゲームの中の仮想現実の世界にはなかった、目前の命の危機を本能が感じ取る。これは夢であって現実だ……そんな危機感を嫌でも持たされる。
『昼寝の際には妾からの干渉を防ぐほどの術具を着けておったのに、それを外すとは油断したのう』
昼寝? 術具? いきなり何の話かと少し混乱したが、今日は1日中ゲームしかやっていなかったのですぐにそこに思い当たる。
そうか、この声はゲーム中の様子を昼寝だと思っていて……術具とはゲーム機のヘッドギアのことだろうか。干渉がどうとかはよく分からないが、今外しているものといえばそれぐらいだ。
それにしても、僕は今ゲーム機をつけていないはずだ。にもかかわらずこんな夢を通して語りかけてくるとは……声の主は一体何者なんだ?
正直なところ超常現象すぎて訳が分からないので恐怖しか無いが、意を決して僕は霧の中に居るのであろう相手に対話を試みることにした。
「だ……誰、ですか?」
『ん? おぉそうかそうか、そうじゃな。お主と妾では会うのは初めてじゃったな』
まずは恐る恐る誰なのかと聞いてみれば、声の主は忘れていたと言わんばかりに姿を現していく。徐々に霧が晴れて行って露わになったその姿は、今の僕ぐらいならば丸呑みにできてしまいそうな巨大な狐だった。ここからでは全容が見えず数は把握できないが、尻尾だって何本もあるので体の大きさも相まって確実にヤバい狐だろう。
僕は早速バケモノに出くわしてしまった緊張から思わず表情が更に固くなり、若干後ずさる。
『そう固くならずともよい。妾はカナメという。どうじゃ? 心当たりがあるじゃろう?』
「えっ……カナメ……?」
カナメと名乗ったその化け狐は、その名をもって僕に問いかける。カナメだと……? マズい、僕はどうすればいいんだ……? 心当たりが全くないぞ……!?
だが内心でそんな焦りを浮かべる僕の表情から何か勝手に勘違いをしたのか、カナメは話を続けた。
『理解したようじゃのう、飯綱の一族の末裔よ。そうじゃ、妾はかつて600年前にお主の先祖に封印された妖狐じゃよ』
「なっ……なんだってー!?」
なんということだ! 今明かされる衝撃の新事実! なんかご先祖様のせいで僕のところにしわ寄せが来ていたッ……! くそっ余計なことしやがって!
……ってあれ? 飯綱……? 飯塚じゃなくて? 飯塚なら僕の苗字だけど……まさかとは思うけど人違いじゃないよな?
まぁ一応飯綱は確かジョブ的な扱いだったと思うので飯塚と兼用できないこともないし、飯綱から転じて飯塚と呼ばれるようになったとかはあるかもしれないが……
そう疑問に思ったので聞いてみようかと思ったが、カナメが僕の驚きの声に反応して話し出したので区切りの良さそうなところまで待つことにした。このサイズの獣を怒らせる度胸は僕にはない。
『まさか妾のことが子孫に伝わっていなかったとはのう……じゃが関係ないことじゃ、妾はかつての恨みを果たすまでよ。彼奴の最後の末裔であるお主を妾の眷属として召し抱えてやることによってな』
「……最後の末裔?」
だが、ふと気になる言葉に引っかかった。末裔とは子孫とかその辺の意味だと分かるのだが、最後のとはどういうことだ? まさか……僕以外の一族の末裔は既に始末したとでもいうのか?
そう問いただそうと思っていたところ、ちょうどカナメが補足してくれた。
『何かおかしなことでも言ったかのう? 齢30歳にもなって子を成しとらんし、見たところ妻もおらん。お主で家系が断絶するのは確実、つまり末裔の一番最後じゃ。妾の手で一族を断絶させるのは気が引けるのでな、一族の最後となった者をとせめてのも慈悲じゃよ』
「は?」
あっヤベ、思わずキレ気味に返してしまった。いやだってほら、今は歳とか関係ないじゃん?
『ぬ……? だってお主、確か今の時代で言うところの童貞とかいうやつじゃろう? 30年も童貞の人間がこの先これ以上待ったところで子をなせるわけがないじゃろう』
「はああああ? そんなこと全然ありませんけどおおお!?」
『なっなんじゃこやつさっきまで怯えていたというのに……というか妾は何か間違ったことを言ったか? 全て事実ではないか、怒鳴られる理由がないではないか!』
「うるせぇ! 事実は時に何よりも人を傷つけるんだよ!」
僕の怒りは有頂天だった。もう許せねぇ! こいつ童貞をバカにしやがった!
「他人の童貞を笑うとかお前それ現代社会では許されない系のやつだからな? 毛皮にされてーのか狐テメー」
『なっ……わ、妾すごい妖狐なんじゃぞ! それを毛皮になどと……それに今のお主の体は妾の妖力で作り替えられておる! 言わばもうほとんど妾が主人みたいなものじゃ! 主人に向かってなんという口の利き方じゃ!』
「知るかボケェ! 勝手に人の体作り替えてんじゃねー! こちとらこのまま男に戻れなかったら一生童貞確定なんだぞオラァ! 分かってんのかァァ!?」
僕にはもう恐怖などなかった。怒りが全てを塗りつぶしている。気付けば目の前の、恐らくこの現象の元凶らしい相手にひたすら鬱憤をぶつけていた。
だが返って来た言葉は、沸騰した僕の怒りを一瞬で消し去ってしまうほどの絶望だった。
『ふん、残念じゃったのう。元より戻してやるつもりは無いが、そもそも戻す手段を妾は持っておらぬ。他者の姿を変えるのに使えるのは、永久的に狐に変える術だけじゃ』
「なん、だと……?」
戻れない? そんな……それじゃあこのまま僕は、ロリ巨乳狐娘として一生を過ごさないといけないというのか?
『ようやく現状を理解して大人しくなったか。では眷属として従者にするべく屈服させようとするかのう。この地からは妾の住まいまで遠いが……今の時代ならばすぐに連れていけるじゃろう、毎日妾の毛づくろいをさせてくれるわ』
そこに更なる追い打ちの言葉がかけられる。従者にして連れて行くだと? そんなことされたら……まさか姪と会えなくなるのでは?
そんな最悪の展開を予想してしまった僕は、思わず身構える。
『抵抗しようとしても無駄じゃ。如何に飯綱の一族の末裔といえども、完全に体を作り替えられてしまっては一族秘伝の術ももう使えまい。力負けしないようにこの数百年で回復した妖力のほとんどを使って狐化の術をかけた甲斐があったわい』
待って僕その一族秘伝の術知らない。あと僕の名前は飯塚なんだけど本当にあってるんだよねこれ?
そうだ童貞の件ですっかり聞き逃していた、早くこの件の確認を――
『他者の精神領域では大した力は使えんが……今のお主にはこれで充分じゃろう。ちっとばかし頼りない全力じゃがの』
「ちょ待っ」
だが判断が遅かった。おもむろに巨大な化け狐が口を開けると、その前に大きな火の球が形作られ始めた。巨大な魔力の流れを感じる、あんなものをぶつけられたらひとたまりもないだろう。
……ん? 待て、僕は……今、魔力を感じたのか? いや、話の流れ的に妖力か?
『なぁに心配せずともよい、安心せい。ここは精神領域に過ぎぬ。焼かれたあとは従僕の証を魂に刻まれ、妾の従者として目覚めるだけよ』
そんな全然安心できない言葉の直後、狐の口から直径が数メートルはある火球が発射されて僕へと迫る。この檻は狭くはないが、易々と飲み込まれる程度の大きさなので回避はできない。
……可能性に、賭けてみるしかない。だがやれるのか? いや、やるんだ。やるしかない。いける、大丈夫だ。ここは僕の夢だ、なんとかなる。
咄嗟に覚悟を決めた僕は、右手を檻の外へと差し出して魔力を――いや、妖力を爆発させた。
「≪狐火≫ッ!!」
『なっ……馬鹿な!? 妖術じゃと!?』
それは今日この1日でひたすら使い込んだスキル。覚えたてだがコツを掴んできたという実感のある、狐の炎。
負けるわけにはいかないというイメージを強く持って発動したその火焔は、スキルレベルというシステムに制御されたゲームの中とは出力がまるで違った。それが本来の力だと言わんばかりに巨大な炎の槍となり、火球を貫いて爆散させる。
『練習も無しに慣れない妖力をこれほどにまで使いこなすとは……流石は奴の子孫といったところか。おのれ……だが妾は……この程度で……諦め……』
その炎の余波による陽炎の向こう側から巨大な狐が言葉を紡ぐが、それは徐々に途切れ途切れになっていく。
やがて声が聞こえなくなり、空間が崩れていったかと思うと僕は自室のベッドの上で朝を迎えていた。
「……やっぱり、夢か」
だが夢ではない。それは確かな実感でもあった。寝汗がすごい、今日は漏らしてないのにシャツがビショビショだ。いや別に昨日も寝てる間に漏らしたわけではないけど。
「一応……ボディチェック。ある、ない、ある、ある。うん治ってないな」
ちなみにこれは胸、股、耳、尻尾の順である。枕元に置いた手鏡を手に取って見ればやはり相変わらずのロリ巨乳狐娘だった。
「なんか……思った以上にとんでもないことになってたな」
カナメと名乗った化け狐。先祖への八つ当たりから僕を眷属にするという話。色々と物騒が過ぎる。……それに、炎はなんとか撃ち落としたが、あれで大丈夫だったのか? 夢に出てこられた時点でもう多少なりとも精神支配されててもおかしくないような気もして不安なのだが……服従の証を魂に刻む的なこと言ってたけど本当に大丈夫か?
「あっ」
と、そんなことを堂々巡りに考えていたが、不意にやらなければならないことを思い出して思考を中断する。
それは自らの魂に刻まれた使命。その使命感が体を突き動かし、行動を開始する。
「早くゲームしなきゃ、もうすぐ待ち合わせ時間じゃん」
全ては姪のために。それが叔父としての全てだ。
僕はとりあえず恐ろしい化け狐のことなど一旦忘れて、今日も姪とのゲームを楽しむことにしたのだった。




