第24話 ゼリアという人間の話 ~リドリト視点~
「やぁ、まだ寝ないのかい?」
気安く話しかけてくる大人の男の声なんて、かなり久しぶりに聞いたような気がする。
しかし心地いいとは思えずに、思わずジト目になってしまった。
あの女が来てから毎晩離れで寝ていたが、最近ニーケと共に本邸で眠るようになった。
本邸の部屋の方が景色がよく、家具も新しい。
ついでに厨房があるのも本邸なので、今日みたいに眠れない夜に少しだけ何かをつまみ食いするのにはちょうどいい。
今日も何故か目が冴えて眠れず、隣で眠るニーケを起こさないように、そっとベッドを出て厨房に来たのだが――。
「人の屋敷で何してるんだよっ!」
「いやぁ、ちょっと目が冴えちゃってね。よかったら飲む? ホットミルク。寝る前の飲み物だからね、安眠効果のあるものを」
今日着た客人・第五王子だとかいう男が、片手鍋を軽く揺すりながら聞いてくる。
「……飲む」
「じゃあ淹れよう」
そう言って、もう一つカップを出してきて白い液体を注いでくれる。
そして。
「はい、砂糖はお好みで」
「……俺、砂糖じゃなくて蜂蜜がいい」
「あぁ、だから隣にあったのか。じゃあどうぞ」
「どうも」
言って、ミルクに蜂蜜をたくさん入れる。
そういえば、あの女には蜂蜜の話はした事がなかったなと思い出す。
それでも最初から甘味を入れる際に蜂蜜の瓶があって、二回目以降は取りやすいいつも瓶があった。
一度も今みたいな言及はした事がない。
あの女も甘みは蜂蜜で入れるのが好きなのか、そうでなければ――。
「ゼリアはね、何だかんだで人の事をよく見てるんだよ」
あまりにも考えていた事と繋がる言葉すぎて、思わず口に出していたのかと自身を疑った。
しかし、どうやらそんな事はなかったらしい。
「俺が初めて彼女に会ったのは王城での夜会だったんだけど、周りから面と向かって悪口を言われていたところに、割って入ってきてくれて。そいつらを追い払った後に振り返って言ったんだ。『言いたい事があるなら、ハッキリ言いなさいよ!』」
そこまで言うと、彼はフッと小さく微笑む。
「王族に貴族が使っていい言葉遣いじゃあなかった。それでも嬉しかったんだ。俺は、子どもの頃は特に口下手だったんだけど、喋らない理由を『言いたい事が何もないからだ』って勝手に思われる事が多かった。言い返さないのも、相手にする価値がないから敢えて口を開かないんだってね。でも実際にはそうじゃなかった。いつだって、言葉を返したいとは思ってたんだ。その事に、初めて気づいてくれたのが、彼女――八歳の頃のゼリアだった」
俺より一つ、年が下。
その頃のあの女は、どんなだったのか。
話を聞くに、今よりは少し言葉が直球……いや、それは今もあまり変わらないか。
「その頃からよく顔を合わせるようになって、その後すぐに婚約者同士になって。俺は基本的にあまり社交場には顔を出さなかったけど、出る時は決まって彼女と出て。いろんな話をして、彼女についても他人より少しだけ詳しくなった。……ここでの彼女の様子はどう?」
「どうって言われても」
言葉を探してみるが、話せるような事はそんなにはない。
「……俺の弟・ニーケはあれで、人見知りなんだ」
「あぁたしかに。君の後ろに隠れちゃって、結局今日は挨拶の一つもさせてもらえなかったもんなぁ」
「なのにあのおん……ゼリアは、うまい事やったみたいだ。あのニーケが、ベッタリだ」
「ちょっと妬ける?」
「ニーケはまだ六歳だけど、いずれは社交界に出る。その時に今のままじゃあ本人が大変な思いをするだろうから、誰かと知り合って仲良くなる事に慣れるのは悪くない」
「そうか。立派なお兄様だな」
言いながら、王子が俺の頭を軽く撫でてきた。
しつこければ「やめろ!」と突っぱねる事もできたんだけど、王子はほんの少しポンポンとしただけ。
お陰で嫌がる機会を逃してしまったが。
「ゼリアはね、厳しいけど優しい人なんだよ。その塩梅が絶妙で、だから受け取る側も不快じゃない。まぁ彼女の場合、悪意がある奴とかには容赦しないから、その分社交場での武勇伝にも事欠かないけどね」
「それは、武勇伝じゃなくて悪評じゃないのか」
「感じ方は人によると思うけど、ゼリアの場合、悪意を以って意図的に悪くなるように噂を流している人間が、一定数いる。そもそもゼリアは、今でこそ生家が子爵家だけど、最近までは公爵家だったんだ。やっかみを買うには十分な家格だよね」
十分、なのか。
よく分からない。
が、一つだけ実感している事がある。
「俺は、ゼリアの言動がよく分からない」
「たとえば?」
「追い出そうと思って、意地悪をした。で、怒られた……と思ったら、『言いたい事はちゃんと言いに来い』って言われた。別に怒ってるっていう感じじゃなかった」
「それはとてもゼリアらしいね」
「何で怒らないか、分からない。普通は怒る、あんなの」
何故怒らなかったのか。
分からなくて、何だかモヤモヤとする。
怒って欲しかった、訳ではない。
多分。
それでも俺は、どうしたらいいか分からなくて――。
「それ、謝った?」
「え」
「ゼリア、多分君の謝罪の要求はしなかったんじゃないかな」
たしかにそうだ。
「でもね、謝罪を要求されなかったからって、謝罪をしない事が正しい訳ではないし、するかしないかの選択肢はゼリアじゃなくて君の方にある。ゼリアは結構自由人で、自分が欲しいものへの意思表示はキッパリしているくせに、自分が不要と思ったものは、『対外的に』とか『相手がしたがってる』とか、関係なしに求めない。そういうところだけ変に鈍感で、……っていうか、たまに妙に鈍感で、まぁそこも可愛いところなんだけど」
思い出し笑いだろうか、えへへと笑ってみせた王子は、「でもね」と言いながら俺を見て、目元を緩める。
「だからって、謝罪やお礼に対して無感情っていう訳でもないんだよ。だから試しに一度言ってみるといい。きっと、ちょっとだけ驚いたゼリアの顔が見れるよ」
彼はそう言うと、コップをシンクに置き歩き出す。
コップの中は空になっていた。
あれだけ喋りながらだったのに、いつの間に飲み干したのか。
「あ、そうだ。一つだけ」
厨房から出て行く直前で、彼が振り返りこう言った。
「俺、ゼリアの事を愛してるんだ。だからゼリアとの婚姻を諦めていないし、ゼリアを取り戻すためになら何でもする。まぁ、今はまだ準備が整っていないし、ゼリアも望んでいないみたいだから、一旦引くけど」
「何でそんな事、俺に言うんだよ」
怪訝に眉を潜めて尋ねる。
すると王子は僅かに驚いて、しかしすぐに思案顔になり、最後に「まぁ、理由は色々あるけど」と前置いた上でこう言った。
「本来なら一番に言うべき相手が、今この屋敷にはいないからかな。《《これ》》もここに来た目的である以上、誰にも言わないのも落ち着かないし。ビックリしたよ、まさかゼリアが自分の夫と一度も顔を合わせていないなんて」
「気に食わない?」
「うーん……。ゼリアがそいつと仲良くなる余地がないっていう意味では安心だけど、蔑ろにされていい気もしない」
そう言った彼は、言葉の通り少し複雑そうな笑顔を浮かべていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作はカクヨムにて同タイトルで連載中の作品を、順次移行掲載しております。
第三章第三節以降のなろうでの投稿・更新は、諸般の事情により10月中旬頃を予定しています。
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