第22話 ディートリヒ様、突然の来訪
何故こんな事になったのだろう。
そう思い、私はディートリヒ様への失礼にならない程度にそっと天を仰ぐ。
ディートリヒ様の来訪が告げられ、応接室に通すように言って。
子どもたちが付いてきたところまでは――まぁその時点で既に想定外ではあったけど――よかった。
実質的な問題は、こうして互いに顔を合わせ、席に着いてからである。
「そんなに見られると、恥ずかしいな」
「ここは俺の家なんだ! 知らないやつが来たら、警戒するのは当たり前だろ!」
穴が開く程に見つめられ、優しさを孕んだ苦笑を見せるディートリヒ様。
その彼を見つめている張本人のリドリト。
リドリトは、見るからに人畜無害そうなこの王子の、一体何に警戒しているのか。
まるで縄張りを主張する野生動物のような事を言いながら、まるで小型犬のように目に見えて威嚇している。
リドリトの懸命な自衛は、傍から見ている分には可愛らしいけれど、当事者になるとあまりに直球で少し困るのは、私も経験済みだ。
ディートリヒ様は優しいからきっとちょっとやそっとの事では『不敬罪だ』なんて言い出さないと思うけど、一応この方だって王族だもの。
失礼があってはいけないわ。
一度早々に止めに入った方がいいと判断し、「ちょっと、リドリト――」と言いかけた。
しかし言い切るより早く、リドリトがピッとディートリヒ様を指さしてしまう。
「そもそもお前、この女に会いに来たこの女の元婚約者なんだろ?! なら、お前も『悪者』かもしれないじゃないか!」
「悪者?」
ディートリヒ様の声に、僅かに険が乗る。
彼が苛立つなんて、珍しい。
そんなふうに思っていると、彼の目が私の方を向く。
「僕はね、ゼリア。今日は様子を見に来たんだ。君がこの屋敷で不遇な目に合っていないかと心配でね」
そう告げた彼の瞳には、真実の心配が映っていた。
彼には、叔父夫婦との関係をぼんやりと話している。
流石に私が両親の事故の加害者だと疑っている話はしていないけど、私たちの間に溝がある事も、叔父夫婦が私にお金を掛けたがらない事も知っているのだ。
私からすればすっかり慣れてしまった事でも、元々王族で不自由な暮らし、与えられない暮らしというものにまったく縁のない彼だから、叔父夫婦の事を「私を虐げる者」として認識し、嫌っていた。
勿論彼も王族だ。
体裁というものを知っている。
表向きにそれを示すような事はしなかったけど、婚約者の保護者として何かとすり寄ってきていた彼らに対し、一切の忖度をしなかった。
私の境遇を気にかけて、いつも心配してくれていた。
そんな私が、新天地でうまくやれているのか。
また不遇な扱いを受けているんじゃないだろうか。
そう心配してくれたのだと思う。
……本当に優しい人だ。
それこそ、王族への適正に欠けるほどに。
普通、王族は不都合があって解消したかつての婚約者の元に、こうして訪れる事はしない。
外聞が悪いから、陛下は私を切り捨ててディートリヒ様との婚約を解消したのだ。
この人は、それが分からない程馬鹿ではない。
それでも尚足を運んでくれたのは、今こうして珍しくも険を見せたのは、彼が一個人に対しても心を砕く、優しすぎる気性のせいだろう。
「ゼリア、生家と同じように、ここでもまた屋敷内の者たちに虐げられているのではないか?」
「ディートリヒ様は、『虐げる』のハードルが低いだけです。元々虐げられるというよりは『最大限の無関心』という感じでしたし、こちらではそのような事もありません」
「きちんと家格に見合った茶葉を?」
「えぇ、使わせてもらっています」
「紅茶は淹れてもらって」
「いませんが、それは私の望んだ事です。最早習慣なのですよ、その方が安心だと知ってしまいましたし」
「料理は」
「ちゃんと、この子たちと同じものを用意してもらっています。嫌いな物や苦手な物がないかも、聞いてくれたりするし」
実際に、この屋敷の使用人たちは、私に悪意的な事をしない。
その分若干遠巻きにされているような気もするけど、無理に仲良くなろうとは思わない。
私に害がないのならそれでいい。
「それらは本来、あって然るべき最低限だよ、ゼリア」
「その最低限も今までなかったのだから、十分恵まれていると思うわ」
「我儘なのか謙虚なのか、たまによく分からなくなる」
「あら、私は十分我儘だわ。ほら、これ食べてみて、美味しいわ」
話しながら紅茶を楽しみ、ケーキを口にして、ディートリヒ様にもお勧めする。
彼は律儀にも試してみてくれて。
「あ、本当だ。美味しい」
「よかったわ。ノイマン、厨房に『第五王子殿下が貴方たちの作ったケーキを“美味しい”とおっしゃっていた』って後で伝えてあげてね」
「――畏まりました」
急に話を振られたノイマンは、少し驚いた様子ながらも、執事の礼と共にそう答えた。
私はディートリヒ様に視線を戻し「ディートリヒ様が来てくださったお陰で、幾人かの料理人の仕事のモチベーションが上がります」と答えると、「それは君のためになる?」と尋ねられる。
「勿論。だって彼らがモチベーションを上げより美味しい物を作れば、結果的に私が美味しい思いをしますもの」
「君の役に立ったんならよかったよ。でも、僕は今日それだけをするために来たんじゃないんだ」
彼はそう言い、私をまっすぐに見据えてくる。
「君がこの地の人たちに蔑ろにされているようなら、僕が連れて帰ろうと思って、迎えに来た。まだ君を迎え入れる準備が万端……という訳では残念ながらないけど、それでも君が辛い思いをするくらいなら、強行すればいい」
私はすぐに気が付いた。
彼のこの言葉の裏にある、彼の決意とその代償に。
私は瞑目し、嘆息する。
そしてゆっくりを瞼を上げて、私も彼をまっすぐ見返した。
「少し、大人の話をする必要がありそうね」




