第97話「死体に非ず」
軍師が小さく悲鳴を漏らした。それ以外の人々は意外と冷静である。驚きの表情を浮かべるが、声は漏らさなかった。
この事態を引き起こしたハシバも至って冷静である。というより、全て知った上での茶番ではないだろうか。初めから謎の密偵ではなく、バチバに狙いを定めた行為。
ナナがそう思ったのはハシバの口角が僅かに上がった為である。笑顔になり切れない僅かな表情に変化。それは何かプラスの感情の発露であった。ちなみに軍師が部下に持ち込ませたであろう食糧も魔術が解除されたことで散乱することになったが誰も反応しなかった。
「死体が1つ、ほんま、えらいことになったわ」
ハシバが言った。
死体を収納魔術で仕舞っておくなど、迂闊であっただろうか。しかし、死体を処分することなど容易ではない。
「ふむ、そちらの少年が密偵のようやな。悪いけど、身柄引き渡してくれへん」
やはり茶番だ。この場にバチバを同席させておいて、今、引き渡しを要求する。
「何故でしょう?」
「何故ってナーラさん、死体を収納しとる奴なんて、むっちゃ怪しいやん。この場で密偵が誰かって言うたら、そいつしかおらんやろ」
「そうでしょうか?」
「そうでしょうかって――」
「例えば、弔い。死体をその場に放置するのは忍びない。出来ることならば、ちゃんと葬儀をしてやりたい、そう考えたら死体を収納するでしょう」
「……それも、そうやな」
ハシバはあっさり手のひら返しをした。
「まあ、重要なのは皆さんの安全が守られることや。その子の手綱はちゃんと握っといてや」
ハシバはさして重要とも思っていない口振りで言う。では一連の行動には何の意味があったのか。あるいは行為自体には意味がないということも考えられる。話題逸らし、時間稼ぎ、しかし、そうだとしても何の為に?
「おい、今動かなかったか?」
「どうしました、トトッリさん?」
「死体が動かなかったかって言っているんだよお」
軍師は叫んだ。ナナは死体を見る。気のせいだと思った。軍師は先程から可哀想なくらい精神を乱されている。
その時、光が発生した。そして爆発音。ナナは嫌な予感を覚える。軍師が余計な発言をしたからだと思った。しかし、それは八つ当たりだろう。光で眩んだ目が回復してくる。
「……ズルでしょ」
ナナは呟いた。そう思わないとやってられない。
「どうも、お遣いに来ました。英雄もやってます」
死という結果は覆せないものであった筈だ。時間は巻き戻せない。人は進み続けるしかない。そんな法則を破るのはナナにとってズルとしか思えない。
「空を超え、時を超え、遠路はるばるやって来ました」
どうすればいいのだろうか。この少年に対して、どう対処すればいいのだろうか。実に厄介な案件にナナは頭を悩ませた。




