第8話「脱出」
不幸中の幸いと言うべきか、不幸中の不幸と言うべきか、炎は陣の中心であるこの部屋からは発火しなかった。
愛の園のメンバーである女たちも今は無事である。しかし、すぐにこの部屋も炎に包まれる。全ては闇に葬られる。
「……組合長」
ナナは指輪に呼びかけた。
「何だ?」
ナナはこれまでの経緯を手短に説明する。
「そうか、健闘を祈る」
「最善を尽くします」
ナナは連絡を終えると考える。今まで、幾度も絶望してきた。だから分かる。今は絶望する時ではない。
「みんな、おいで」
ナナは女たちに声をかける。その声が通じたのか、通じていないのか、女たちは小さくまとまるように更にナナとの距離を詰めてくる。
多分、それなりに採算性の高い賭けである筈だ。上手くいけばみんな助かる。
ナナは部屋と炎その境界面に意識を集中した。
――〈シズカ〉、ナナが得意とする魔術の1つであるが、この魔術の本質とは何であろうか。〈シズカ〉は音を遮断する。音波を止める。
〈シズカ〉は最も単純な魔術の1つでありながら、魔術師の究極の夢への手掛かりでもある。すなわち、〈シズカ〉とは緩やかな時間停止魔術である。
勿論、これは理論的な話であり、実際に〈シズカ〉によって引き起こされる現象は時間停止とは程遠い。ただ、ナナは今、その深淵に近づきつつあった。
……炎をこちらに入れない。音を、空気の流れを止める。ナナは留めなく流れてくる汗を気にも留めず、炎に意識を集中し続ける。
お願いだ。早く燃え尽きてくれ。ナナは願い続ける。何度も意識が遠のく。それでもナナは魔術を行使し続けた。
……炎が弱まっている。建物が燃え尽き掛けている。ナナは最後の力を振り絞る。
全てを一様に燃やす炎が周りを全て燃え滓に変えた時、ナナはばたりと倒れこむと深呼吸をする。周囲でじっと息を潜めつつまとまっていた女たちも思わずへたり込む。
愛の園の拠点は中央の部屋を残して綺麗に跡形も無くなっていた。これは幸運であった。自然発火であったのならば、ナナたちは、崩れてきた建物によって押しつぶされていただろう。
一面が同時に燃えたことで、建物の崩壊が起こらなかったことがナナたちを助けたのだ。
敵の狡猾さに助けられた。ナナは思う。粗野な敵によって、適当に火を放り込まれていたらこうはいかなかったかもしれない。
ナナは立ち上がる。周りの女たちも立ち上がる。
「……まだ、命令は解けないのか」
「いえ、私はもう大丈夫です」
「何だかは靄が晴れたような気分です」
女たちは口々に言った。
「どうもありがとうございました」
女たちはナナに向かって深くお辞儀をする。ナナは瞬きする。そのような言葉を向けられるとは思っていなかった。
「ボクにお礼を受ける資格なんてないよ」
ナナはただ、スーさえ無事でいれば良かった。彼女たちを助けたのは成り行き、その場にいたから助けただけ、ナナの認識はそうである。
「いえ、あなたは命の恩人です。必ずこの恩には報います」
「……この後のことは冒険者組合が処理してくれる筈だ。あなたたちのことも冒険者組合が保護してくれる」
それは冒険者組合の表の仕事。町の警備や消防。冒険者組合の職員や協力する冒険者によって町の治安は保たれている。少なくとも表向きは。
今回は魔術による出火で火の回りがあまりに早かったから消火には間に合わなかったが間もなく駆けつけてくるだろう。
「ボクのことは誰にも話さないようにね」
敵はボクを始末したと思っているだろう。よって暫くの余裕が生まれた。この隙に次の行動を起こさなければいけない。
「ま、待って」
「大丈夫、冒険者組合が動いてくれる」
なおも続く声かけを無視してナナはその場を後にした。
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