第63話「第4の壁」
「……キノコだ」
ナナたちは、食事会に来ていた。本来は、無関係である筈の少年も一緒に招かれていて食事を楽しんでいた。少なくとも楽しんでいるように見える。
「どうしたの、ナナ?」
スーが尋ねてくる。
「いや、美味しいなって思って」
南都の兵士たちを魅了するというキノコ料理、それとよく似ていた。料理人は今も、料理に励んでいるのだろうか、ナナはそんなことを思う。
副議長と司書官は時折、言葉を交わし、談笑をしている。定位置のように司書官の横にいる脚本家と脚本家見習いも、言葉を発しないながらも食事を楽しんでいるようだった。穏やかな空気が周囲を流れる。
――ナナたちの周りでも様々な人が食事を楽しんでいる。ここは食堂の一角であった。大衆の酒場ほどの気楽さはないものの、身なりを整えた人々が食事を楽しんでいる。
司書官は食堂を貸し切ったり、要人との食事会を喧伝したりするようなことはしなかった。だからなのか、ナナたちは町のひと場面にすっかり埋没している。穏やかな時間だった。
穏やかな雰囲気を後押ししているのは楽器の演奏である。背景音楽、効果音、演出である。今、この瞬間も人々は演じているのだ。まさに劇のひと場面なのである。食堂に1人の男が飛び込んできた。
「チンケな店だな。まあ、いい、酒でも持ってこい」
柄の悪い男である。流れる音楽は緊迫したものへと変化する。
「……こちらの席にお座り下さい」
「分かった、分かった」
男は、席に座ると、周囲を見渡す。
「そこの色白の姉ちゃん、こっち来いよ」
男はスーの方を見て言った。ナナはゾクリとする。これは演劇である。演奏が続けられていることからそれは分かる。しかし、本来、劇に存在すべき、客と演者の壁が存在しない。ナナはいつの間にか、自分達が劇に取り込まれていることを実感する。
スーは少し笑った。それから、少し緊張した面持ちで男に近づいて行く。食堂にいる客は皆、固唾を飲んでその様子を見守っているのが分かった。
ナナは迷う。例え、劇でも出来ることならば、スーを下衆な男に近づけたくない。しかし、ここで自分が介入することで脚本を壊してしまうのではないか。この町の習慣を無視することはナナの本意ではない。
「へへ、人形みたいだな」
男はスーの腕を掴むと、強引に引き寄せた。ナナは眉を顰める。不快である。ナナは席を立ち上がった。
「何だ、あんた?」
「ボクの仲間に手を出すな」
「何だよ。ちょっと、姉ちゃんと楽しく過ごそうってだけじゃないか」
その時、男の背後にヌッと大男が立つ。そして、男の頭に酒をかける。
「うわ、何をする。俺は客だぞ」
「お客様に迷惑をかける方を、うちではお客様扱い致しません。どうか、ご退店ください」
「なんだよ、めちゃくちゃ言いやがって。こうなったら、居座って――」
大男は、男を睨みつける。
「わたくしが穏便なうちにどうか、ご退店下さい」
「わ、分かったよ」
男は逃げていった。そして食堂の客はパラパラと拍手をする。そして食事が再開される。
「ご迷惑おかけいたしまして、申し訳ありません」
「大丈夫です。何もありませんでしたから」
スーは答える。
「そうは、いきません。そうだ、デザートをサービスいたしましょう。新作のケーキがあるのです」
「それは、ありがとうございます」
大男はケーキを取りに厨房へと引っ込んで行った。ナナたちは席に戻る。
「『料理一代男』、外の者が関わるとこう展開するのか。面白いな」
脚本家がブツブツと呟いているのが聞こえた。脚本を壊してしまうかもしれないという心配は余計なことだったようだ。あるがままが、全て劇になる、そういうことなのだろう。
「ケーキです」
スーだけでなく机を囲む全員にケーキが振る舞われる。
「美味しい」
スーの言葉に大男は満面の笑みを浮かべる。
「喜んでいただけて幸いです」
それは本心から出た言葉に思われた。しかし、今この瞬間も劇中なのであった。




