第55話「日々のために」
軍師はベッドの上で目を覚ます。
「お目覚めかな?」
「お前は――」
「運が悪かったな。いや、良かったというべきか。少なくとも私にとっては幸運だった」
「失踪していた人間が政治の場に返り咲けるとでも思っているのか」
「いや、王の密命に従っていたまでだ」
老人、一部の民衆からは雑団子の老人として認識される男は答えた。老人は矍鑠としていて老いを微塵も感じさせない。背中はピンと張り詰め、今尚、異彩を放っていた。
「密命?」
「曰く、人を知れと。国を作るのは民だからな。流石の慧眼である。そこで私は一民衆となって人々の話を聞き、暮らしを見つめた」
「痴れたことを……」
「その発言は不敬になりかねんぞ」
「お前に言っているのだ。つい最近まで、稚児であった王がそのような命を下す訳がないだろう」
「はてさて、何のことやら」
「宰相、何を企んでいる?」
「企んでいたのはお前だろう」
老人、宰相は鼻で笑う。軍師は答えなかった。
「話は変わるが、お前のお気に入りは処分した」
「スミスを殺したのか?」
「いいや、私の部下が助手にしたいと申し出たから承諾した」
「ふん。果たして技術を上手く使えるかな」
「少なくとも算段はある。農刀、核、それらの理論を打ち立てたのは私の部下だからな」
「何!」
「お前は相変わらず、見る目がないな。幸いお気に入りのスミスには見る目があったから上手くいっていたようだが」
軍師はベッドの上でワナワナと身体を震わせる。
「ふざけたことを言うな」
「都内のことは私に任せなさい。お前は六都同盟の締結の為に大都に赴かなければいけない、そうだろう? さて、そろそろ私はお暇しよう」
宰相はその場を後にした。そして自宅へと向かう。王城の近くの小じんまりとした家だった。久しぶりに戻るが、密かに根を広げていた宰相派の人々によって綺麗に掃除されていた。
「あ、宰相おかえり」
出迎えたのはウェッソンである。何かと調子の良い性格だが、農刀の理論を完成させた天才である。王の理想に共感して宰相の部下となった。
「ああ、ただいま」
宰相は懐から手紙を取り出す。封蝋には王家の紋章が刻まれている。
王は今も尚、幼き身で人々に囲まれ続けている。城がなくなっても人々がいる限り、政治が止まることはない。既に緊急で執務の場所が整えらえれている。王が政治を行えるとは大抵の人間は思っていない。しかしそれでも王に権威があるのは明らかである。その為、人は集まる。
宰相は手紙を読む。これは、爆発騒ぎが起こってすぐのタイミングで書かれた手紙である筈だ。そして頃合いを見て、伝令に運ばせた。
宰相は手紙を読む。そして笑い出す。相変わらず、面白いお方だ。この王の素質を見抜けないようでは、やはり軍師は見る目がない。
――そろそろ、帰って来い。手紙にはそう書かれていた。大した先見の明である。宰相はこうした先見の明を持つ者はそう多くは知らない。
遠くで歌声が聞こえる。彼女には権利を与えた。自由に歌う権利を。高級宿屋や酒場で自由に歌を歌い、金を稼ぐことが出来る。無償では無い。それどころか彼女の歌はきっと与えた以上のものを人々に与えているのだ。ついでに兄の方にも宿屋の紹介状を出しておいた。まずは給仕などからだろうが手に職をつけることが出来るようになるだろう。そしてやがて都の経済を支える働き手の1人へと成長していくのだ。
「いい歌声ですねー」
ウェッソンが言った。眠っているスミスを指で突いている。
「ああ」
宰相は返事をした。




