第331話「例え明日世界が滅びようとも、砂漠に林檎の木を植えよう」
風が吹いている。風が強く吹いている。砂漠で風が吹くとき、歌はいつもより遠くまで届く気がする。だから、風は好きだ。ミーの歌声を聞きながら少年は、そう思った。周囲は止めどなく変化していくが、ミーの歌は人々に勇気を与え続けた。北からやって来た奴らは、ミーの歌を制限したかったようだが、多くの人々の反発もあって結局、許可を出さざるを得なかった。
武力でやり合えば、北の奴らには勝てっこない。だから、戦争に負けた。だけど、ミーの歌は武力では抑圧出来ない程の力を持っている。ミーの兄として誇らしく思う。もちろん、本当は分かっていた。北の奴らは、歌うことを禁じるよりも、奴らの教義とやらを広める為に、歌姫の声を利用した方が効率が良いと判断したに過ぎないということを。
それは、ある程度正しい。ミーの歌声は少しずつ、人々の心に賛美を浸透させていった。未だに、漠都で大きな反乱が起こっていないのは、武力差もあるだろうが、ミーの歌の影響もあるだろう。
けれども、やっぱり歌は自由なのだ。何ものにも束縛されない。歌は、ミーの悲しみを、日々のちょっとした喜びを、慈愛を真っすぐに伝える。それが歌詞で伝えられる表向きなメッセージよりもずっと、人々が日々を生きる活力になっている。少年は、そう信じていた。
そして、突然その機会はやって来た。いや、兆候はあったか。その前日、空から何かが飛来してくるのを少年は見た。天のお遣いというやつだろうか。しかし、それは北の奴らも把握していなかったもののようで町が何だかざわついているのが分かった。間も無く、それが海の向こうからやって来た者達だということが判明した。そうは言われても少年には理解が追い付いていなかったが、兎に角、もてなしをしなければということで、漠都随一の歌姫に目がつけられたのだった。
そういうことでミーと少年は、漠都の外の砂漠にいた。”船”で砂の河を滑っていく。複雑に循環する砂の流れを読んで利用することで、古くから漠都の人間は縦横無尽にモモ砂漠を巡った。一方で、外から来る人間は流れに巻き込まれないように慎重に砂漠を進まなければならなかった。モモ砂漠は長い間、自然の城壁の役割を果たして漠都を守ってきたのだった。――このような、歴史を少年が学んだのは皮肉にも漠都が占領されて以降のことである。北の奴らは教育に熱心であった。勿論、その根底には教義を広めたいという思惑があるのだろうけれど。
船を漕ぐ少年の横で妹のミーが口ずさむ。その歌を聞くと同行している護衛や使者も表情を緩める。その表情を見た時だけは、北の奴らも同じ人間なのだということが思い出される。だから願う。この風に乗って全ての人にミーの歌が届けばいいのにと。そうすれば、きっと世界は平和になる。少年は苦笑する。これが、信仰というものなのだろうか。
けれども、少年が信じるのはただ、妹の歌のみであった。今日も明日も妹の歌を信じ、妹を守るために生きる。それが少年の在り方であった。
読者の皆様へ
閲覧ありがとうございます。常々、思っていることなのですが、ふと思い立ちましたので、改めてここで述べさせていただきます。そして、もしよろしければ次話もよろしくお願いします。少しずつですが、続きを書いていく、そして必ず完結させることの意思表明をここでしたいと思います。何だか、最終回の前振りのようですが、完結にはまだまだ時間がかかると思います。ですので、もしよろしければご自由に評価してくださると嬉しいです。(面白いという感想でしたら尚の事、嬉しいですが。)閲覧して下さった皆様方の実りある読書生活を祈っております。
――桜田咲




