第327話「信仰と虚実の砂漠3」
金色に輝く瞳は、遥か遠くを見通す。鋭く尖った耳は微かな音も聞き漏らすことは無い。人とは異なる形で生を受けた少女は両親からも疎んじられた。否、本当は少女を愛したかった筈である。何せ、最新の不妊治療の末、やっと授かった子供である。しかし、彼らの築き上げてきた常識が我が子を拒否した。
「ごめんなさい。私は、あなたを愛せない」
少女は、その言葉を呪いと信じた。その後、少女は皇女と出会った。皇女との出会いは少女にとって奇跡であった。皇女は少女に惜しみなく愛を与えた。少女も皇女のことを心より敬愛していた。ある時、皇女は少女に言った。
「狼の目、狼の耳、それはきっと神による恩寵だわ」
少女は、その言葉を祝福と信じた。いつか、自らを偽らずに暮らせるようになることを願った。
――あの日、村人達は皆、大森林に取り込まれた。彼らは森に還っていった。しかし、私は生き残った。私は生かされた。命を託された。私は、赤子の温もりを感じる。村人の唯一の生き残り。緑色の肌の赤子。
「……可愛い」
自然とそう感じた。だが、この子の父も母も、友人となり得た幼子達も、もういない。彼らが信仰したダイシンリン様は死すべき運命は示せど、生き抜くことへの理由は示さなかった。彼らの共同意識が彼らを滅ぼした。
いずれにしろ排他的な彼らに未来は無かったかもしれないけれども。……何とも言い訳じみた発想だ。私は彼らを救えなかったことを悔いている。或いは、一緒に死ねなかったことをか。あの時、死ぬことが出来れば、私は皇女様の下へ行くことが出来た。
しかし、そうはならなかった。
「あのっ」
赤子を抱える母親に、あの時、私は何と言おうとしたのだろうか。私の声に反応して、目が合った母親は思考を停止し、畏怖の感情を表情に張り付けていた。しかし、ほんの一瞬だけ泣き笑うような表情を浮かべた。
「この子を……」
私は、流されるままに赤子を受け取った。
「あのっ」
私は、また何かを言おうとした。しかし、その表情は揺らぐことは無く、如何なる言葉ももはや届かないであろうことを私は悟った。私は村人達を置いて、赤子を抱いたまま走り出した。生き残る為に逃げたのだ。
それからどのくらいの日数が経ったのだろうか。私は、赤子の世話をしながらあてどなく彷徨った。赤子は日に日に衰弱していく。そして自身の疲労も溜まっていく。何とかしなければ、そんな焦燥感が募っていくが頼るものも無かった。この時の私はきっと正常な判断が出来ていなかったと思う。そして、とうとう私の疲労は限界に達し、気を失った。どこかからか狼の鳴き声が聞こえた気がした。
目を覚ました私は、まず混乱した。私は砂漠の中にいた。その後すぐに、私は血の気が引いた。勘違いしたのだ。赤子が狼たちに食べられそうになっていると。しかし、すぐに気が付く。狼たちは赤子の世話をしていたのだ。信じられない光景だった。しかし、狼たちは赤子を慈しみ、乳を与え、可愛がっていた。
そして狼は目を覚ました私に気が付くと、肉を差し出す。血が滴る生肉。お腹が鳴った。私は夢中になって肉に食らいつく。それから赤子の様子を確かめる。赤子の頬は、日の光に透かした葉っぱの様に青々としていた。――この子もまた、神の恩寵を受けているのかもしれない。
私達は狼と共に暮らした。意外と安穏とした暮らしだった。言葉は分からなかったが、私は狼に親しみを感じていた。家族の情のようなものでさえ感じていた。本当に、自身の抱いている感情が情愛であるのかは確信が持てなかったが、心地よい時間だった。
だが、ここ数日、どうにも空気がざわついていた。何かが人の世で起こっている、そう思った。狼たちも気を張っているようだった。しきりに縄張り周辺を巡回しているようだった。そして、ついさっきの遠吠え。私も違和感を覚えた。何かが目覚めたようなそんな感じ。
そんなことを考えているさなか、私は、駆け寄ってくる狼の足音を聴き取る。巡回していた狼が帰ってきたようだ。いつもならば、私は狼たちに「お帰りなさい」の挨拶を述べる。言葉を交わすことが出来ないが、それが私達の慣習だった。私の挨拶に答えて、狼たちは短く吠えるのだ。
だが、今回、私は狼たちの上に人が跨っていることに気が付く。
「どういうこと?」
私は呟いた。
「ダイシンリン」は民を殺し、「大深燐」は民を救った。




