第325話「信仰と虚実の砂漠1」
狼の遠吠えが聞こえる。1つ2つ3つ。徐々に声が重なっていく。何だこれは。少し変だ。ナナは空を見上げる。昼下がりの太陽が見えた。
「こんなに日の高い内から遠吠えとは妙ですね」
サキマが言う。
「これは、どこから聞こえているのでしょう?」
スプリングフィールドが言う。
「モモ砂漠の方角からでしょうか」
シックスが言った。全く、間の悪い異常事態である。ようやく話がまとまったと思った所で妙なことが起きた。
「まあ、すぐに調査が行われるでしょうからその報告を待ちましょう。害をなす可能性があるのならばじきに対処されます。混沌由来なのであれば、MSもありますから」
確かに、連邦の技術力があれば、問題は解決できることだろう。具体的に何が起こっているのか気になるところだが、砂漠は元より嘘をつく。混沌を齎す力、魔力の濃度が濃いとされる場所では何が起こっても不思議では無い。追究しても仕方のない事だろう。
「いえ、私達は今すぐにでも大都コーサカに向かいましょう。恐らく、大神が目覚めました」
シックスが答える。
「うん、狼の声ですね」
「あ、いや、そうではなく大いなる神で大神。或いは真の神で真神。この遠吠えは神の覚醒と呼応しています」
「一体、何を? 神は既に目覚めているのでしょう」
ナナは尋ねる。
「ええ、あの話が嘘であったとは思っていません。しかし、全容でもない。信じられないかもしれませんが、私には蓄積された膨大な知識があります。重要な情報が欠如している知識ではありますが、それでも推測できることはあります」
シックスは言った。その口調は冷静だが、些か自虐的だ。
「いえ、ボクは信じていますよ」
「ありがとう。……まだ感情を抑制出来ていないようです。客観的な表現を心がけましょう。私には世界中を旅して得た様々な知識があります。何千年、何万年、何億年。今の私の精神が未熟な為、その知識を十全に活用できていませんが、実際の所、今の私は殆ど全知であると言えます。本当に、全てを知っているという訳ではありませんが、世の中の殆ど全ては私の知識の範疇に収まるものです」
「全知とは神にのみ冠される形容表現だと思っていましたが」
スプリングフィールドが口を挟む。
「ええ、まさにその神がいるからこそ殆ど全知なのです。門番やバンカ、世界を超越する存在とそれに由来する情報が私の知識からは欠如しています。だから、予想外のことが起こり得るのです」
「悪魔と言われても上手く飲み込めていませんでしたが、そう真面目に話をされていると、何だか妙に現実味が出てきて――」
サキマは多分、気持ち悪いという言葉を飲み込んだ。シックスも多分、そのことに気が付いていただろうが、触れることは無い。
「ふふ、自分を語るのはここまでにしましょう。ただの前提ですから。兎に角、集積された知識から推測できることがあるという話です。さて、三位一体をご存知ですか?」
「神は3つで1つみたいな。水に個体、液体、気体という3つの姿があるようなものと理解していますが。三位一体は通説も異説もどうにも掴み難いもので」
スプリングフィールドが答える。
「いえ、どちらかというと量子力学的重ね合わせの方が真実に近いでしょう。ですが、結局の所、三位一体とは人間の理解の範疇を超えたものです。だからこそ、神は信仰の対象となり得た。とは言え、今、重要なのは位格が3つであるという点のみです」
「つまり、神は3つの姿で降臨するということ、なのでしょうか」
スプリングフィールドは首を傾げながらも真面目に聞いている。
「若しくは、3つの姿で完成する、というのが私の推測です。勿論、それぞれの位格が不完全であるという意味ではありませんが、私は神学者ではありませんのでご了承下さい」
「……何を今更」
サキマが呟く。
「前の世界で行われた審判は不完全でした。だからこそ、私は次の世界へと引き継ぐことが出来ました。長い間、確信を持てていなかったことですが、バンカの残した言葉から私はそう結論付けました。では、何故、不完全であったのか。私はそれを3つの位格が揃っていなかった為だと推測しています。勿論、神は3つの位格が揃ってから審判を行うつもりだったでしょうが、抗弁者たる悪魔は、神にとっての不確定要素となる、ということなのでしょう」
「しかし、今回はもう2つ揃ってしまっているという訳ですね。ボクはやはり天命に抗う程の力は無いようです」
「ナナ、自分を信じられなくても構いません。しかし、仲間はどうか信じて下さい。私はナナに全てを救済する力があると信じてます。――それに、全くの無策という訳でもありませんから」
仲間を信じるか。ごく当たり前のことである。それならば、仲間が信じる自分のことも信じてやらねばならないのだろうか。
「さあ、早く大都コーサカに向かいましょう。既に大神はいないかもしれませんが少なくとも手掛かりは残されている筈です」
「分かりました。秘密任務ということで私達4人で向かいましょう」
スプリングフィールドが言った。
「そうですね。頭の整理は出来ていませんが部外者という立場ではいられないことは自覚しているつもりです」
サキマが言う。
「レミントンに話を通しておきましょう。別行動をする旨を伝えておきます。理由は……適当に見繕いましょう」
ナナは、その時接近してくる者がいることに気が付く。バンカ、門番と不意を突かれてばっかりだったが今回は察知で来た。折よくレミントンが近づいて来ていた。いや、もしかしたら折り悪くかもしれない。
「……逃げるんだ」
スプリングフィールドが言った。
「え?」
サキマが間の抜けた声で言う。
「砂漠の方へ全力で走れ」
スプリングフィールドが怒鳴る。ナナはサキマの手を握り駆け出す。シックス、スプリングフィールドもそれに続く。銃声が鳴り響く。幸い、撃たれた者はいない。ナナはサキマと共に砂の流れに飛び込む。モモ砂漠を流れる砂の河だ。ナナ達は何とか追跡を逃れる。
適当な所で河から上がるとナナ達は一息つく。暫く皆が無言であったが、サキマが口を開く。
「聞いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、いいぞ」
スプリングフィールドが言った。
「何が起こっているのでしょうか?」
「分からない」
スプリングフィールドの答えはいたって端的であった。
「私にも分かりません。しかし、様子が変でした」
シックスも答える。
「分からない。分からないが少し前から様子が変だった。上手く言い表せないが、何かが変わった気がしていた。啓示とやらのせいだろうか」
「啓示?」
「ああ、海を渡る途中、何人かが啓示を受け取ったそうだ。レミントンもその1人だ」
「では、私達は正しい選択をしているのかもしれません。啓示を受けたレミントンが襲撃してきたということは、神の妨害という訳でしょう。後は、正しい結果が導き出せるように邁進するのみです」
「ああ、クソ。急に実感が湧いてきた。今まではただシックスとナナに付き添っているだけだった。実の所、審判を阻止するって言ってもどこか現実味が無かったのかもしれない。正義感はあっても実情は伴っていなかった。だが、今は心底、怒っている。神は私の友達に手を出していたということだ。シックス、宣言しよう。共に神と戦うことを」
ナナは、その言葉で一気に団結力が高まっていくのを感じる。
「えっと、あー、私も頑張ります!」
サキマが慌てて宣言した。




