第320話「挽歌」
スプリングフィールドからの提案を保留にして、ナナは現状について考え始める。
現在、境界監視団は狼馬帝国に使者を送っている。何もかもが無事に済むと良い。ナナは思う。これは単なる調査なのだ。そうだ。調査の結果、理解が深まって交流が始まったら素晴らしいではないか。手を取り合えば、ホワイトハウスで起こったような悲劇への対策も生み出せるかもしれない。それから、南都や新都も再興し、みんなが幸せになれる。それで良い。
ナナは笑う。いつだって都合の良い妄想をしてばかりだ。しかし、全員がそこそこの成果を得るような妥協点を見つけられたらいい。今回の遠征の目的は調査だ。では、何の為の調査かというと、どうにも不明瞭だが、核となる部分はナナにも容易に想像できた。連邦の安全保障だ。町が1つ失われてこのままでは、安全を維持できないと判断されたからこその今回の行動だろう。脅威は境界の向こう側からやって来る。それに乗じた思惑の存在も感じ取れない訳では無かったが、それでも団員達は連邦のことを思っている。軍出身であっても魔女狩り出身であってもだ。争いごとを生むのは彼らの本意では無いだろう。
その時、遠くで歌声が聞こえた。使者は狼馬帝国の本部に送られたらしいが、境界監視団がモモ砂漠の近くに停留していることもあり、先んじて、漠都トトッリとも接触が行われていた。そういうことで漠都がおもてなしの為に歌姫を連れて来たらしい。武器では無く、歌でもって来訪者を迎える、それが漠都の選択のようだった。或いは漠都を支配下に置いるであろう帝国の意志がそこにはあるのだろうか。
それは、心が洗われるような流麗で澄んだ歌声である。しかしどこか悲しい響きがあった。ナナはその声に聞き覚えがあった。もしや、以前、漠都を訪れた時に救い出そうとしたあの歌姫だろうか。歌が聞こえて来た方向に顔を向けたが生憎、聴衆に囲まれていてその姿を確認することは出来なかった。
「これは、死を悼む歌でしょうね。戦争によって多くの命が失われてから彼女は、あのような歌を歌うようになりました」
「そう――」
ナナは、相槌を打ちかけて異変に気づく。予期せぬ侵入者がそこにはいた。だが、見知らぬ顔ではない。
「バンカ!」
真っ先に反応したのは、シックスであった。スプリングフィールドも警戒体制に入る。サキマはまだ混乱していた。
「落ち着いて下さい。そう警戒しないでも宜しいですよ。私は敵対する気はありません」
誰も何も話せない。皆が警戒する中、バンカは話す。
「先程の話の続きをしましょう。あれは死を悼む歌、挽歌です。あれ、何の話でしたっけ? ……そうだ、私は今、自身が何ものかということについて語っています。私の名前はバンカ、それは万の火、挽き歌、万歌。しかし、嘗てはもっと別の呼び方をされてきました。万の言の葉を収める歌集、故に万葉集と」
ナナは、バンカの言葉が飲み込めずにいる。バンカは今、何と言った? 自分を歌集と言ったのか? ナナは気づく。そういうのを知っている。意思を持つ本、古都ラクヨウで出会った。そう、あれは――
「――つまり、私は時を越え、世界を越え、命が宿った歌集、魔術書という訳です」
バンカは言った。




