第302話「此の木の燃やし方」
灰の雨が降る。音もなく降りしきる。死にゆく町に灰は静かに積もっていく。灰は人々が生きた時間の上に覆いかぶさり、歴史は灰の下に眠る。町にて、人々の救助活動は未だ行われているが、随分と縮小してしまった。時間の経過と共に、生存者を探すよりも、助かった人々をどうするかといった課題の方が重要度が高くなってきた。つまり、樹と瓦礫の下に誰か埋もれていたとしてもどうせ、もう死んでいる。ならば、避難民が二次的な要因で死亡しないように、対策を強化していくべきだ、と、そういう発想である。実に当たり前の考え方だ。
病気の母が見つかっていない。幼い娘と逸れてしまった。救助活動の続行を懇願する声は黙殺される。民衆の悲哀と怨嗟を背負い込むのは、最後まで諦めきれずに救助に当たっていた魔女狩りである。それから、ブラックガウンに向かわずに残った境界監視団の団員もいた。いや、最早、職分は関係無いだろう。ただ、純粋な努力と結果だけがあった。
「あははは。あははは。――ざまあ見ろ」
その言葉を諫める者はいなかった。彼ら――火桜の民にとって、それが少なからず本心であったというのもある。だが、誰もその言葉を諫める程の気力が残っていなかったという方が理由としては大きい。
火桜の民、その生き残りは、町の中心に根付いた火桜揚樹に登り、町の様子を眺める。ただ、ぼんやりしている者もいた。失われた命があった。大樹と共に生きる術を持つ火桜の民にとっても、動物のように荒れ狂う大樹と相対するのは未知の体験であった。誰も彼も、その災害に対抗する術を持つ者はいなかった。
しかし、信仰の奇跡とでも言うべきなのか。火桜揚樹の下まで辿り着いた者は、火桜揚樹によって助けられた。町には急成長した木々が蠢いていたが、火桜揚樹そのものは町の中央に鎮座していた。その為、火桜揚樹は不動の傘となり、蠢く木々から火桜の民を守った。体力の少ない老人や子供を引き連れた集団が、全滅せずに済んだのは望外の結果と言って良い。
「ざまあ見ろ」、それは生き残ったことに対する優越と、生き残ってしまったことに対する自虐の気持ちが入り混じった言葉だろう。
たった今、言葉を発した少年の視界の下からにゅっと拳が伸びて来る。そして、拳は顎を撃った。
「痛いな。何を……」
苛立ち交じりにやり返そうとして、少年は見下ろすように幼子と目線が合ってしまい、ピクリとも動けなくなる。少年は知っていた。この子は、父親を失ってしまったのだ。よく笑う子だったのに、恐ろしい程の無表情で少年を見て来る。いや、この子の笑顔なんてもうずっと見ていない。少年は考える。強制的に連行され、災害に巻き込まれ、親を失い、一体、何処に救いがあるのか。誰がこの子を救ってくれるのか。
「そうだよな、辛いよな」
少年は、屈みこんで幼子を抱きしめる。その体温を感じて、少年は不覚にも安堵感を覚えてしまう。
「ごめんなさい。……ごめんなさい」
「皆、食事にしよう」
火桜揚樹を探索していた大人達が戻って来た。謝罪の言葉を呟く少年の姿を見て、何か察したらしく、少々、不自然な程、声を張り上げて、皆に呼び掛ける。火桜の民は、ここ数日、時折見かける救助の者をやり過ごしつつ、無事な備蓄庫を探し、食糧を調達していた。燻製や灰被りといった加工がなされている保存食は長持ちで、火桜の民が不在の間も、備蓄庫でしっかりと眠っていた。
保存食が各々に手渡される。少年はそれをじっと眺める。
「どうした、食べないのか?」
「……頂きます」
少年は齧り付く。もちもちとした食感があり、ほんのりと甘い。慣れ親しんだ味だ。これは灰餅と呼ばれる灰被りの一種である。灰被り、火桜揚樹が降らせる灰の雨を採取し、それを食材に被せる保存である。水に溶かした灰を被せるのが潤被りで、乾燥した灰を被せるのが乾被りだ。灰餅は潤被りに分類される。――兎に角、火桜の民にとって、灰は生活に欠かせないものである。
火桜の民は、樹皮を耕して農業を行う。巨大な樹木の表面に畑を耕し、様々な農作物を栽培するのだ。この際にも灰が肥料の1つとして用いられている。そして、灰の雨は天気を安定させる役割も持つ。灰が水の雨を降らせる雲に作用することで降水量を調節しているのだ。お陰で、天気の荒れやすい海上においても、火桜揚樹の周辺では天気がかなり安定している。火桜の民はこの灰の雨が持つ不思議な力に大深燐様の意思を見出している。
少年は、滂沱の涙を流す。呻き声のような泣き声が漏れ出た。少年の側にいた幼子は怖がり、少年から距離を取った。少年自身も笑ったり、泣いたり、自分自身の感情がよく分からなくなっていた。
「何で泣いているんだろろう?」
少年は呟く。
「……いずれ分かる」
周囲の大人はよく知っていた。少年はただただ悲しいのだ。両親を失って悲嘆に暮れる気持ちだ。少年もまた、親を亡くした子供であった。しかし、幾重もの感情が少年の真意を覆い隠している。大人の目線からは一目瞭然だったが、少年自身は己の感情を理解することは出来ていなかった。
「火桜揚樹の火は消えていない。ならば、薪を火にくべろ。――火桜の民は滅びない。沸け、燻れ、そして再び燃え上がれ」
族長が言った。族長は高齢ながらも生き残った。肌は老木のようにしわくちゃだが、内には新緑のような生命力が宿っているのかもしれない。
「ええ、そうですね。もう少ししたら廃墟の方も探索しましょう」
「畑の手入れもしましょう。大分、荒れてしまっていますが手を加えれば、十分に使える筈です」
族長の言葉をきっかけに俄かに火桜の民は活気づく。
「くしゅん」
幼子が不意にくしゃみをする。何だか微笑ましくて、和やかな空気が幼子の周辺に流れる。少年は幼子に近づく。
「大丈夫か?」
「うん」
幼子は頷いた。
少年は考える。ここからまた始めていくことが出来るのだろうか。火桜揚樹がこれからどうなるのかも分からない。再び、動き始めるのだろうか。それともずっとこのままか。先は見えない。でも、今、自分は生きている。それが何を意味するのか少年には分からない。
「……次は一緒に付いて行くよ」
少年は側の大人に言った。
「おお、そうか、そうか。それは良かった」
――灰の雨が降る。火桜の民を祝福するように、生きる人々を励ますように静かに降る。灰は景色を一新させ、新しい時代の幕開けを告げているようであった。
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