第188話「杞憂-再演」
「和平交渉を受け入れることが決まった」
委員長が言った。
「……ありがとうございます」
スーは答える。ナナは委員長の顔色を見る。何を企んでいるのか。結局の所、狼馬帝国はまだ、何もなし得ていないのだ。それどころか、損害が出ている。準備を積み重ねてきた段階。それが、こうも簡単に指針を転換出来るものだろうか。朝、委員長が和平交渉の提案を約束してから半日しか経っていない。
望んだことの実現に近づいている筈なのに不安は増大していく。
「和平交渉には私、自らが赴く。そして、交渉の場としては新都カバネクラを要求する。お客人はこの旨をお客人の頭に伝えられたし」
「かしこまりました」
「和平交渉が上手くいくことを祈っている」
委員長はそう言って去って行った。
「上手くいってよかったわね」
皇女が淡々と言う。
「ええ、良かったです」
「では、町に戻りましょう」
皇女の言葉にスーは答えられない。ナナは考える。町は、町はまだ存在するのだろうか。町の人々は無事なのだろうか。皇女に対してそんなことは指摘出来ない。
「2人も、和平交渉の件を伝える為に急いで戻らなければいけないでしょう」
「ええ、その通りです」
「では、帰りましょう」
ナナ達は慌ただしく身支度を整えると、馬車に向かう。馬車では御者の少女が既に待機していた。エイユーも側で佇んでいる。馬車は巨大樹の町、本部を抜けて、空を駆けて行く。やはり、眺めよい。
「町はもう、存在しないかもしれないわね」
皇女が呟く。やはり何も答えることは出来ない。出来る筈がない。
「酷い奴らは僕が消す」
エイユーは物騒なことを呟く。こちらにも答えられない。何か言おうとしたが何も思いつかなかった。
ナナは外を眺める。どうしようもなく綺麗な空である。押し潰されてしまいそうだった。――全く、良くない発想だ。良くない発想は良くない出来事を呼び込む。
雨が昇ってきていた。空が落ちてくるのとは丁度逆の発想である。決して洒落ではない。雨粒が上昇していく。何故、それが良くない出来事であるのか。
昇ってくる雨は、ペガサスの平衡感覚を失わせたのだろうか。馬車が大きく揺れる。そして空中をふらふらと蛇行し始める。落下するかもしれないと思った。そうなったのならば一巻の終わりである。
ナナが死を覚悟した時、遂に馬車は落下を始めた。悲鳴は溢れない。皆、案外冷静である。或いは、驚きで言葉を失っていたのだろうか。
馬車は、動力を失って落下していた。ちょっと違う。この現象を正確に表現する言葉をナナは知らない。馬車は空へと向かって落下していた。




