第181話「追放6」
今から350年程前、魔のツァーガル海峡以北の大地より、移民が南下して来た。それは大規模な移民の移動であった。
統率のとれた移動では無い。人々はそれまでの暮らしを捨て、追い立てられるように逃げて来たのだ。その時代、人々は獣のように日々を生き抜いた。
世は闘争の時代であった。争いのきっかけは原住民と移民の軋轢であったと推測されている。それは必然的な争いだ。しかし、やがて争いは拡大、複雑化して、家族間でさえ反目し合うようになった。
酷い時代であった。国、町、家族、社会という仕組みは瓦解して、多種多様な個が我を通す為に争った。そんな世の中に嫌気が差した誰かがいたのだろう。長い争いの果てに再び、秩序が構築され始めた。記録によれば294年前、諸侯による共同体が築かれたという。
294年以降、文献資料が急速に増えることから、この頃から歴史が再び始まったとされている。それ以前は酷いものだ。記録をとることもままならなかったのだろう。語り継がれられてきた物語や遺物から、過去の出来事は推測されているが、歴史には埋めることの出来ない空白が数多く存在している。
こうして、人々は1つになることを望んだ。皆が単一の社会で生きられることを望んだ。そして、人々は神に祈った。神の下で人々は1つになれた。
神聖狼馬帝国とはそうして生まれた平和に与えられた名前である。大衆はただ祈れば良かったが、諸侯はそう単純にはいかない。だから平和に名を与え、平和を維持する仕組みを構築した。有力諸侯によって選定された皇帝は、神殿の任命を受けて、君臨する。皇帝の威によって、平和は維持された。
だが、ずっと平和であった訳では無い。大衆が平和を享受する裏では、多数の裏切りと粛清があった。それは世界が1つでは無かった為だろう。異なる価値観、文化の流入こそが平和を壊した。神に対する不信を生んだ。だから、世界は1つであらねばならない。
神聖狼馬帝国は、更に南下して愛の教えを広め、真の平和の実現を志すようになった。無論、反対意見もあった。この議論は長らく続いていたが、現状維持が勝ち続けていた。
しかし、世界は混沌へ向かっている。時流が変わったのは今から7年前、ペガサスが献上された時だと思われる。翼を持つ馬、これは神のお遣いではないかと誰かが囁いた。
あるいは直接の原因はその後だろうか。小さい人、獣の耳を持つ人間。様々な人が生まれた。それは綻びであった。人の枠組みを外れた人。手をこまねいていれば、社会は単一性を保てなくなると推測された。こうして、現状維持が初めて負けた。




