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最終話 『大好き!お兄ちゃん☆』〔5〕



 夕方の海は、嫌いじゃないと思った。


 波打ち際からずいぶん離れた、横に長くて低い石の階段に、僕は座っていた。

 美沙に送ったメールに、返事は返ってこなかった。けれどもここを動く気はない。


 何の根拠もないが、確信していたのだ。美沙はここに来ると。

 

 投げ出した足もとに砂がまとわりつく。

 そういえばこの前美沙と来たときは、競争だと言い出した上に、派手に転んでいた。

 そのずっと前に来たときも、赤い顔をしてはしゃいでいると思ったら、実は風邪で熱があった。


 ふたりで出かければいつも、何らかのハプニングを巻き起こす美沙。

 いろいろな出来事を思い出したら、少し笑ってしまった。美沙といると本当に飽きない。


 ――“他のを合わせようとしてもだめなんだよ。このふたつはね。ふたつでひとつなの”


 対の貝殻を必死に探し出して、美沙がそう言ったのもこの場所でだった。

 ああ、そうだ。ふたりで最初に出かけたのも、この場所。


 ――“お兄ちゃんに、片方あげる!”


 あの時の美沙の笑顔は、まるで昨日のことのように鮮明に脳裏に浮かぶ。


 いつもはしゃいで。どこかに出かければ、目的地に着いた途端、ひとりで走って行って。

 けれど途中で、必ず僕を振り返る。そして、こっちに向かって手を差しのばすのだ。満面の笑みで。

 

 ……ふとその時、背後から砂を踏む小さな音がした。息を切る気配。走ってきたのだろうか。


「お兄……、菅谷さん」


 ためらいがちなその声は、まだ過去の呪縛から解放されては、いないようだった。


 振り向くと、そこには予想通りの、僕が待っていた人物が立っていた。

 僕は美沙を見上げた。僕は座っているので、いつもとは目線の位置が逆になっている。


 今にも泣きべそをかきそうな愛しい瞳が、少し揺れながら僕の姿を映し出す。

 よく見ると、まぶたが少し赤くなっている。泣いていたのだろうか。


「私を、待ってたの? もしかしたら来ないかもとか……思わなかった?」

「思わなかったって言ったら、嘘になるかな。でも信じようと思った。それが家族ってことだ」


 やんわりと微笑みながら美沙の問いに答えると、美沙の瞳がまた揺れる。

 困惑しているんだろう。相手に対してどう歩み寄っていいか分からない、小さな子供のような目をしている。


「過去に囚われて、美沙が何も信じられなくなってるなら、信じられるまで何度だって言うよ」


 言って、僕はちょうど顔の前ほどにぶら下げてある、美沙の手を取ろうとした。

 一瞬、みさがびくっとして手を引っこめようとしたけれど、構わず手を握る。温かさが伝わっていく。


 届くとか届かないとか、そういう問題じゃなかった。ただ、できることはしたいと思った。

 美沙が僕の言葉を聞こうとしなかったとしても。僕が伝えようとするのをやめてしまえば、そこで終ってしまう。

 何も言わない美沙に代わって、僕は話を続ける。伝えたいことは山ほどあるのだ。


「誰だって、何かを失いながら生きてると思うんだ。だけどそれ以上に、新しい幸せもきっと増えていく。たとえば形式上の家族を失っても、本当に大切なのはそんなことじゃないよね?」


 美沙は何も言わなかったけれど、僕の目をちゃんとまっすぐに見ていた。後押しされるように、僕はまた口を開く。


「時間は決して長くなくても、僕たちはあの家で一緒に過ごして、同じものを見て、同じ幸せを共有した。……もうとっくに、家族になれてるんだ。美沙はずっと僕の妹で、僕たちはずっと兄妹で。それは心の中にある絆だよ。戸籍上の関係よりも、ずっと確かなことだと思わない?」


 僕が言い終わると同時に、張り詰めていたような美沙の顔が緩んだ。

 その瞳から、幾筋もあふれ出していくもの。だけど僕がそれを涙だと認識する前に、美沙が突然砂に両膝をついた。


 膝折れでもしたのかと、僕は一瞬焦る。けれど次の瞬間には、僕は驚く結果となっていた。

 美沙が座っている僕に向かって倒れこんできたのだ。とりあえず受け止めながら、さらに焦る僕。


 だが、ちゃんと意識はあるようだった。美沙はどうやら、僕に抱きついただけだったらしい。


 ぎゅうぎゅうと、力の限りとばかりに僕にしがみついて、美沙はこらえるように肩を震わせる。

 けれども次第に我慢の限界を迎えたのか、とうとう美沙は声を出して泣き始めた。


 時折、しゃくりあげながら。まるで、ずっと耐えてため込んできた、すべてのものを吐き出すように。

 それは美沙が、初めて素直に僕に見せた、ありのままの弱さだったのかもしれなかった。



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