最終話 『大好き!お兄ちゃん☆』〔4〕
マキちゃんと別れたあと、そのまま立ち尽くしているわけにもいかず、私は家に帰ってきた。
ただいま、と言って玄関を開けるんだけど、家の中はしんとしている。
ママの姿は見つからなくて、机の上にメモ紙が、一枚。冷蔵庫の中に夕飯を作って入れてるから、という内容だった。
そういえば考えないようにしてたけど、今朝、ママが言ってたっけ。今日から仕事が始まるって。
ママが再婚する前は、当たり前だった日常。夜、ママは仕事に出かけて行って、私はお留守番。
だけど今日は久々にひとりだから、ちょっとだけこわい気持ちもあって。
「今日から、ひとりなんだ。そっかぁ……」
呟きながら、私はしっかりしなきゃと自分に言い聞かせる。さよならのとき、強くなるって決めたんだから。
そう、自分で誓ったんだ。星の光にすがるんじゃなく、だれよりも強く在ろうって。
だけど外がだんだん暗くなるにつれて、少しずつ顔を出す不安の気持ち。今日は曇ってたから、きっと星は見えない。
しんとした部屋が、私の不安を増長させる。静かな空間って、こんなに怖かったっけ?
振り切るように、私はカーテンを閉めて、ちょっと早いけど電気をつけた。そしてテレビをつけて座り込んだ。
ひとりの夜は、いやだ。そんな本音が頭にちらつき、私は必死に首を横に振った。
――そのときだった。突然、ケータイが鳴ったのは。ディスプレイに表示される、愛しい名前。
『今、あの海にいるよ。美沙に会いたい』
文章は、それだけだった。いつもどおり、あっさりとして短い文章。だけどそれだけでも私には十分だった。
急激に込み上げる切なさは、私をがんじがらめにした。私の心のなか、必死に隠した弱い部分が悲鳴を上げる。
だめだ。今会ったらだめだ。もうこれっきり、二度と会わない。
だってあの優しい眼差しを見たら、弱くなってしまう。泣いてすがって、離れたくないって、駄々をこねて。
わかってるから、だからもう忘れなきゃいけない。考えちゃいけない。
だけどどうしても、気持ちを止められなかった。
思い返してしまうのは、お兄ちゃんとの思い出ばかり。一緒にいろんなところに行って、いろんなものを見て。
鮮やかに浮かぶ、お兄ちゃんの優しい眼差し。少し怒った顔、驚いた顔、真剣な顔、困ったような笑い方。
強くなんてなれない。お兄ちゃんがいないと私は……
「思い出の数が……多すぎるよぉ……」
ずっと抑え込んで我慢していた気持ちが、そんな呟きとなって私の口から出て行った。
心が、痛いって叫んでる。どうしようもないこんな気持ち。
暗闇が迫ってくる。誰もいないんだって。お兄ちゃんはもういないんだって。そんな夜を思った瞬間、足がすくみそうになった。
忘れてたんだ。星のない夜が、ひとりぼっちの夜が、こんなに怖いこと。
だってそばにいてくれた。お兄ちゃんが私のお兄ちゃんになって、夜はいつもふたりだった。
空の星が見えなくても、外がどんなに真っ暗でも。
お兄ちゃんがそばで笑っててくれた。安心した。不安なんて全部、簡単に飛んで行った。
悲しい気持ちを嬉しくしてくれた。さみしい気持ちを楽しくしてくれた。
あったかい気持ち。全部、お兄ちゃんにもらったもの。それは、あまりにも大きすぎる幸せで。
お兄ちゃんはお兄ちゃんで、でも時々パパみたいで、ママみたいで。
何でも話せる友達で、頼りになる親友で、大好きな人で、一番……一番、大切な人。
私の世界の中のすべてに、お兄ちゃんが居るみたいに。
見つけたの。大切な大切な、私の……、一番星。
思わず立ち上がった拍子に、カツン、と音をたててポケットから床に落ちた、小さな大切なもの。
いつか海に行った時の思い出そのもの。お兄ちゃんと半分ずつの、小さな白い貝殻。
――“きっと拓斗さんにとって、美沙ちゃんはかけがえのない人なんだね”
記憶の中の真央ちゃんの声とともに、私の頬をひとすじの涙が伝い落ちる。
ためらう理由なんて、どこにあるっていうんだろう。強がってかっこつける理由も、自分から手を放す理由も。
そんなもの全部吹き飛ばしてしまうくらいの強い絆を、私たちは一緒に築いてきたんじゃないの?
大切な記憶。大切な思い出。あの海に、今、大切なあの人がいる。気づけば、私は家を飛び出していた。




