最終話 『大好き!お兄ちゃん☆』〔2〕
一気に高まる感情に、私は心に走った動揺を、隠すのが精一杯だった。
「どうしたの? 何かあった?」
努めて普通な話し方を心がけながら、私は受話器の向こうのお兄ちゃんに問いかける。
ぎりぎりだった。少しでも油断してしまえば、お兄ちゃんに会いたいよって、泣いて訴えてしまいそう。
『いや、元気かなと思って』
受話器の向こう側で、彼の声が告げる。どんな表情をしているのか見えないけど。
声のトーンとか話し方、それだけでわかる気がした。今きっと、少し困ったようなあの笑い方をしてる。
用もないのに電話をもらえるって、すごくうれしいことなんだなと思った。私のことを心配してくれた。
離れても、さよならしても、まだどこかでつながってるみたいで、うれしい。
「私、大丈夫だよ。元気だよ、ちゃんと」
思わず笑顔になりながら、私は元気な声で返した。元気に言おうとしたわけじゃなく、自然に声が弾んだ。
我ながら、なんて単純。元気だったわけじゃない。今、お兄ちゃんの声を聞いて元気になったんだ。
その時ふいに、横にいたマキちゃんが動き出し、私ははっとして彼を見た。
「美沙、オレ帰るから」
マキちゃんは言いながら、私に背中を向けて歩きだしてしまった。バス停の方向。そのまま駅に向かうんだろう。
だけどこのまま帰すわけにはいかなかった。私は遠ざかろうとするマキちゃんに焦る。
――“そうやって目をそらすのは、楽なんだろうな。だけど美沙は、本当にそれでいいわけ?”
さっきの、この言葉の意味を、まだ何も聞いてないのだ。
私は受話器を耳にあてたまま、とっさにマキちゃんの背中に駆け寄り、その腕をつかんだ。
「待って、マキちゃん――」
『そこに、彼がいるの?』
私の呼びかけに、立ち止まったマキちゃんが振り返ると同時に、受話器からの声がそんなことを尋ねてきた。
「……うん、そうだけど」
なぜか言いづらく感じながらも私がそう答えると、気まずい空気が流れて。
ちょっとの沈黙の後、耳にあてたままの受話器からは、さっきよりも少し低いトーンの声が返ってきた。
『美沙は、大丈夫かもしれないね。僕がいなくても。案外、彼の方が美沙の兄妹に向いてるんじゃないかな』
「どうして? どうして、そんなこと言うの……?」
泣きたいくらいの気持ちで、私は問いかける。そんなことを言われるのは、本当に悲しかった。
私にとって“お兄ちゃん”はたったひとりだけで、他の誰でも成り得ないのに。
『いや、声が聞けたからもういいよ。じゃあ……、元気で』
だけど私の問いかけに答えることなく、その一言を最後に、電話は一方的に切られてしまった。
会話の最後あたりで、お兄ちゃんの様子が、どこか変だった気がした。
だけどかけなおすのも変だし、それに何より、さっきマキちゃんに言われたことが気になって仕方がなかった。
ずっと心の奥にくすぶっている感情を、自分じゃ何なのかわからなくて。
でもさっきのマキちゃんの言葉が、その言おうとする意味が何なのかわからないけど。
さっき言われたことが、どこか核心をついているような気がしたから。
でもマキちゃんはそんな私の内心なんて知らないとばかりの態度だ。
私がケータイをしまっているすきに、彼は再びバス停のほうに歩きだしていた。
「待ってマキちゃん! まだ聞いてないよ、さっきの言葉の意味――」
さっきと同じようにマキちゃんの背中に駆け寄り、私は必死でマキちゃんに声をかける。
だけどマキちゃんは、今度は私を振り向かないまま、彼の腕をつかんだ私の手を振り払ってしまった。
「自分で考えろよ」
マキちゃんはそれだけ言って、歩みを早めた。さすがにそれ以上追うこともできず、私はその場に立ち尽くす。
やがてマキちゃんの背中が見えなくなるまで、私はその場を動くことができなかった。
――“美沙は、本当にそれでいいわけ?”
振り払われた手を、反対の手で握りしめながら。マキちゃんの声だけが、ずっとぐるぐると頭の中を回っていた。




