第12話 もしも、叶うのなら〔3〕
とても、痛い空気が流れていた。お兄ちゃんが、何も言わずに私を見た。さみしそうな目をしていた。
重苦しくしたくなくて、私はあわてて笑顔を作る。
「引っ越し先ね、あの海の近くなんだよ! 初めて2人で行ったあの海。歩いて3分なの。だから、さみしくないね」
そう言ってえへへ、と笑って見せるんだけど、お兄ちゃんが笑い返してくれることはなかった。
少し、苦しそうな表情。お願いだから、もうこれ以上そんな顔しないで。
「離婚したからって、何も変わることなんてないんじゃないかな」
お兄ちゃんの、訴えかけるような声音。そうだよって、答えたかったけど。ずっと一緒だよって、家族だよって笑いたかったけど。
どうしても頷けなかった。私はうつむき、鉛のように重い口を、なんとか開いた。
「……変わるでしょ? だってお兄ちゃんは私のお兄ちゃんじゃなくなる。もう、お兄ちゃんって……呼べなくなる」
また変わる私の名前。家族とか、そうじゃないとか。戸籍なんていう、ただの形式に負けたくなかった。
だけど、私はもう知ってる。それがどんなに重要で、重い意味を持つのか。
「家族なんて、本当はそんなもの、ないんじゃないかなって思ってた。ずっとずっと一人で生きてくんだって。だけど、お兄ちゃんと一緒にいられて、本当に、すごく幸せだったんだよ?」
心からの言葉を伝えて、できるだけ幸せなまま、笑顔で会話を終わらせようとする私。
だけどお兄ちゃんは簡単に引き下がってくれないみたいだった。
「僕を、信じてくれないの?」
もう一度、私に訴えかけるみたいに、お兄ちゃんが言った。
――信じる? 信じない? そんな問題じゃないんだ。私にとってはそれがすべて。
そんな簡単じゃない。私の気持ちだけの問題じゃない。だって私は知ってるんだ。
一度は家族だった者同士が離れてしまったら、普通の“他人”以上に遠くなるんだってこと。
ゆっくりと自然に、だけど意図的に距離を置き、関わりを少しずつ絶って。
会いたいと言った時の、ママの困った顔。会いたくても会えないんだと、思い知ったときのやりきれなさ。
あんな胸の痛みを、大切なお兄ちゃんに与えたくない。だから、私から断ち切ってしまうしかないんだ。
ねぇ、お兄ちゃん。私笑ってても、本当は余裕なんてどこにもないんだ。これ以上は、心が壊れちゃいそうだから。
この強がりが揺らがないうちに。お兄ちゃんに、もっと悲しい思いをさせないうちに。
「夏休みは、終わっちゃったの。さよなら。……“菅谷さん”」
痛む心を抑えた、作り物の笑顔で。菅谷さん、なんて他人行儀な呼び方をする。
お兄ちゃんの傷ついたような瞳の色が悲しかった。すごく辛いけど、でも、これでいいんだよね?
「……。美沙、僕は――」
お兄ちゃんが何か言おうとして、でも途中で口ごもり、何か言いたげなもどかしい顔をした。
だけどお兄ちゃんが何か言う前に、私ははりつけたような笑顔のまま、急いで次の言葉を口にする。
お兄ちゃんは多分、私を引き止める。そうなれば私はきっと、簡単に揺らいでしまうから。
「……私、帰るね! ママが待ってるんだ。もう、お互い元の生活に戻らなきゃいけないでしょ? 家族ごっこは、おしまいにしよ」
本心ではこんなに大切にしている絆を、今までの私たちの関係を、残酷に否定する言葉を吐きだして。
嫌われてもいい。最低だってなじられても、もう二度と、その瞳に映ることができなくても。
お兄ちゃんの笑顔を守りたい。私と同じ辛さを与えない。望むのは、ただそれだけだから。
お兄ちゃんは何も言わずにうつむいてしまった。どうして、こんなに胸が痛いの。傷つけたのは私のほうなのに。
いたたまれなくなった私は、お兄ちゃんに背を向け、それ以上何も聞かないとばかりに耳をふさいで駈け出した。
たくさんの感想や拍手、投票をありがとうございます!!
この展開を早く抜け出したいです。12話が終われば残すは最終話のみです。
どうか今後も、あきれずにお付き合いくださいませ。




