第12話 もしも、叶うのなら〔1〕
菅谷の家を出て、私の苗字が代わって。新しい生活が始まるのは、あっけないほど簡単だった。
引っ越しであわただしくしているうちに、少し残っていた夏休みは、あっという間に終わりを告げた。
引っ越しの手続きが済むまで数日間は、ママの実家――おばあちゃんの家にお世話になって。
それから手続きが終わって、新しいアパートで荷物を整理して。
落ち着いたと同時に始まった新学期、私は学校に通いつつある。
なんとか通える範囲に引っ越したから、転校はせずに済んだ。だから学校のメンバーは同じ。
変わったのは住む家と、お兄ちゃんがいないってことだけだ。そしてママは以前のように夜の仕事を始めると言っていた。
環境が変わってもう一週間くらいたつけど、お兄ちゃんと連絡はとっていない。
きっと、これきりになるんだと。そうわかっている私は、今更悲しまない。
大好き!お兄ちゃん☆ 〜第12話 もしも、叶うのなら〜
今朝も顔を洗って、私は鏡をのぞきこむ。大丈夫だ。今日も元気な自分でいられそう。
このまま平穏無事な毎日を過ごしていれば、時間が心の中の傷も消してくれるはず。
そんなことを思いながら、制服に着替えて学校に行く支度をする。そうこうしているうちに、ママが起きてきた。
「あ……、おはよう、美沙ちゃん」
ママはぎこちなくそれだけ言うと、いそいそと洗面所に入って行った。
昨日から、ママの様子が変だ。昨日、私が学校から帰ってきたときからこんな調子だった
時折考え込むようなしぐさを見せて。何かに迷っているような、戸惑っているような。
ママも離婚したばかりだし、悩んでいるのかもしれない。
ママのことが少し気がかりだったけど、行ってきますと告げて、私はとりあえず家を出た。
学校は嫌いじゃないけど、今は、学校に向かうのは少し憂鬱だった。
私の苗字が変わったことで、学校の人たちは、まるで壊れ物を扱うかのように気遣ってくる。
そういうのを経験するのも初めてじゃないけど、ちょっと困る。だって私は平気なのに。
でも気遣いに対しては、気遣いで返さなきゃいけないから。大丈夫だよって、そんなそぶりを見せて。
学校が終わったころには、今日も例外じゃなく、私は疲れ果てていた。
真央ちゃんに一緒に帰ろうと誘われたんだけど、ひとりになりたかった私は用事があると言って断ってしまった。
真央ちゃんは優しいから、私のことを人一倍心配してくれていて。
嬉しいんだけど、それは私にとって、嬉しいと同時にとてもきついことだった。
とぼとぼと教室を出て、私は帰路につく。
玄関を出るところで、数人固まった女の子たちが、そわそわしてるのが気になった。
耳に入ってくるその子達の話をそれとなく聞いてみると、校門のところに、誰かかっこいい人が立ってるという話だった。
私は特に興味もわかなかったけど、校門のところに立ってるということは、誰かここの生徒を待っているのかもしれない。
学校まで他校の人や一般の人が来ることは少ないから、あの子たちも騒ぎたくなったんだろう。
それにしても、校門で待ってる男の子なんて、まるでドラマみたいな話。
よくあるよね、そういう展開。そんなことを思って、私はひとり、くすりと笑った。
興味はなかったけど、あれだけ騒がれていたんだから、ちょっと気になる気持ちもあって。
少しだけわくわくしながら、私は校門までの道のりを歩いて行った。
うちの学校は、グラウンド脇を抜けて校門まで行かなきゃいけないから、結構な距離がある。
しばらく歩いていると、噂どおり、校門のところには誰かが立っていた。
けれどもその人というのはどこか見覚えがある気がして、私は一瞬どきりとした。
だけど見間違いだ、きっと。そう言い聞かせながら近づいて行くんだけど、近づくたび、心臓の鼓動が速くなる。
ずいぶん近づいたところで、私はとうとう確信してしまった。その人は、私がよく知っている人だったのだ。
近くでその姿を見たとたん、離婚の後ずっと、平気だと言い張っている自分が、一瞬緩みそうになってしまった。
しばらくぶりだ。だけど全然変わってない。私の大好きな人は、大好きなままそこに立っていた。




