第11話 夏休みの終わり〔3〕
真央ちゃんには、断わりのメールを入れた。今は何よりも大切なことがある。
夕方にママが帰ってくる。タイムリミットが近づく中、私は必死に大学までの道のりを走っていた。それは、賭けでもあった。
お兄ちゃんの予定は聞いたけど、何時まで大学にいるのか、何時からバイトなのか、そこまで把握してない。
だけど幸運なことに、私がたどり着いたとき、お兄ちゃんがちょうど出てくるところだった。
見つけて安心したのと同時に駆け寄りたくなったけど、それじゃだめだ。
息を整えて、余裕なふりをする。さよならなんて、言いたくない。悲しくなるだけだから。
「あのね、ありがとう! それだけ言いたくて」
私の言葉の意味を、お兄ちゃんは、よくわかってないみたいだった。でもそれでいい。
怪訝な顔をしたお兄ちゃん。挙動不審な私の行動に、お兄ちゃんは気づきかけたみたいだった。
私が困ったときとか、悲しい時とか、お兄ちゃんはすぐに見抜いてしまう。
私はお兄ちゃんに話す暇も与えないまま、その場を走り去った。
核心を突かれる前に。私は言いたいことだけを言って、そして逃げるようにいなくなる。
それがどんなに薄情なことか、わかっているけど。卑怯者で、臆病者で、私は――……
「おねえちゃん? どうしたの?」
ふと、とぼとぼと歩いている私の耳に、下のほうからそんな声が入ってきた。
お兄ちゃんの大学から菅谷の家までの道のり。公園の横に通った細い道だった。
「みどりちゃん……?」
確かめるように、私は私を見上げる小さなその女の子に問いかける。見覚えがあった。
マキちゃんのおじさんの家にお世話になったとき、娘さんだって紹介してもらった子だ。
公園で遊んでいたんだろうか。公園の中をよくみるとおばさんもいた。
保護者らしきお母さんたちは、ベンチに座って子供たちを見守っているみたいだ。
夏休みの公園は、こんなに暑いのに小さい子でいっぱいだ。
その中のひとりが、きょろきょろしながらみどりちゃんの名前を呼んでいる。
「みどりちゃん、あっちであの子が呼んでるよ。行ってあげなきゃ」
しゃがんで目線を合わせながら、私がみどりちゃんに言うと、みどりちゃんは必死な顔をして首を横に振った。
そして悲しそうな顔をして、みどりちゃんが言った。
「行けないよ。だっておねえちゃん、なきそうなカオしてる」
私は一瞬言葉に詰まった。だって私は確かに、微笑みながらみどりちゃんと話してたのに。
その時、おばさんがみどりちゃんを探して見つけたのか、こっちに走ってきた。
顔をそっちに向けた私に、おばさんも気づいたみたいで。
走るのをやめつつ近づいてきながら、やんわりとした笑顔で私に会釈をするおばさん。
みどりちゃんはおばさんに名前を呼ばれて、名残惜しそうに公園に戻っていった。
いつかもこんな風に、みどりちゃんは私を心配してたっけ。あまりに似た展開だったので、私は少し笑ってしまった。
「あんな小さい子に、何度も心配させちゃうなんて。私ってホント、子供だなぁ……」
ひとりつぶやく私。私は本当に子供で、お兄ちゃんと一緒にいると余計にそう感じて。
子供じゃないと言い張ったり、外見だけで大人ぶってみたり。必死に背伸びしたりした。
だけど子供でいいんだって。そのままの私でいいんだって。ゆっくり、大人になればいいんだって。
胸を張って受け入れられるようになったのは、いつからだっけ……?
――“ゆっくりでいいよ。美沙が大人になるまで、僕が隣で見ててあげるから”
そうだ、あの時。お兄ちゃんがそんな言葉をくれたから、私はコドモな自分をほんの少し好きになれたんだ。
立ち尽くしたまま、唇をかみしめる。どうしようもない気持ちになっていた。
信じていたんだ。信じたかったんだ。ずっと一緒にいるって。ずっと、ずっと家族だって。
お兄ちゃんはずっと私の隣で、あの優しい瞳で、いつも私を見ててくれるんだって。
どうして……?
そんな一言が私の頭をぐるぐるまわって。どうして、このまま一緒にいられないんだろう。
どうして、もう家族じゃいられなくなるんだろう。どうして――……
「大人になるまで見ててくれるって……言ったじゃない」
誰にも聞こえないくらいの私の小さな声は、すぐに夏の暑さにかき消される。
離れてしまうから。もう、お兄ちゃんが私のことを見守ってくれることはないんだ。
うそつき。うそつき。うそつき。お兄ちゃんはうそつきだ。
そんなやつ当たりのような言葉を、何度も心の中で呟いて、私は瞳にこみあげてくる熱いものをこらえていた。
しがらみを振り切るように、私は駈け出した。もう二度と通ることはない、菅谷の家に帰る道を。
私の夏休みは、一足先に終わりを迎える。――ママが帰ってくるのも、もうすぐ。
明日も、更新できたらするつもりです!(あくまで予定です)




