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第1話 “無邪気”な妹〔5〕



 どうして泣くの、なんて。そんなことを聞くべきじゃなかった。

 予想もしていなかったのだ。まさか泣く、なんて。だから思ったことがそのまま言葉に出てしまった。


 待ち合わせに遅れると、かつての僕の彼女たちは、どの子もひどく怒りだしていた。

 それが原因で別れたことだってある。


 だから今回も、怒るか嫌われるか、どっちかだと思っていた。

 そしてそんなことになったら、傷つけてしまうというのも勿論だが、何より今後の兄妹関係に悪影響だと思い焦ってここまで来た。

 僕はそんな浅はかな自分を恥じた。最悪の人間だ。


 小降りだと思っていたら、ここに来る間に雨足は急激に強くなり。

 今更カサをかざしてやっても、すでに彼女のセミロングの髪の毛から水滴がぽたぽたと落ちている。


 だけど彼女の瞳から頬を流れているそれは、違う。あきらかに涙だ。

 笑い泣きをしていた彼女は笑うのはやめたようだが、まだ平然とした顔で、瞳から静かに涙だけを流している。

 驚きなのは、それを、彼女は自分では自覚してないみたいだということだった。


 何と言葉をかけていいのかわからない僕。

 対して次第に涙が止まってきたらしい彼女は、すくっと立ち上がった。

 僕は半分以上はみ出しているが、同じカサの中にいるわけだから、結構な至近距離だ。


「お弁当……、おいしかった?」


 彼女のハスキーボイスは、また僕の予想に反してそんな言葉を紡いだ。

 なんで今、そんなことを。こんなときに気にすることじゃない。少しはびしょぬれの自分のことを心配したらいいのに。


「うん。でもあのふりかけは、ちょっと予想外だった」


 ハートマークをかたどったふりかけを思い出し、僕はそう言って少し笑った。

 僕の言葉に満足したのか、彼女は「でしょ?」と少し得意げに微笑んだ。

 さっき泣きながら笑った時の、痛々しい笑顔とは全く違う。


 この子はもしかしたら、ずっと自分を抑えて生きてきたのかもしれない。

 感情を隠して、平気なふりをして傷を一人で抱えていく。

 詳しい事情なんて何も知らないが、まだ中学生のうちにそんな生き方を覚えてしまうなんて、悲しいことだと思った。


 彼女の髪の毛からはまだ水滴が落ちている。

 僕は鞄をまさぐった。汗を拭くために持っていたハンドタオル。今日はずっと講義室にいたから、幸いまだ未使用だ。

 やっとそれを見つけ出し、取り出して髪の毛を拭いてやると、ハンドタオルはすぐに水を吸った。

 こんなに濡れても待ち合わせ場所を動かず、待っていたなんて。


 心が痛んだ。この子はとても純粋なのだ。無性に申し訳なくなり、思わず口が動いていた。


「ごめんね」


 心からの言葉だった。彼女の大きな瞳が僕を見上げる。

 もうこの澄んだ瞳を傷つけることはできないと思った。僕が守ってやらないと。


 それは僕の中で、彼女という存在が、他人から「妹」に変わり始めた瞬間だったのかもしれなかった。



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