第9話 彼女の仮面の、その下に〔5〕
次々と、めまぐるしく展開していく目の前の出来事に、頭がついて行けてなかった。
ただ、私の心の中にぽっかりと浮かんだように残って行ったのは、お兄ちゃんの腕の力の強さと、思いがけない彼女の涙。
お兄ちゃんは、亜子さんを追いかける。そんなことは考えなくてもすぐにわかった。
だけど行かないでほしかった。どうしても。理由なんて分かんない。ただ、亜子さんの所に行ってほしくなくて。
私に引き止められたお兄ちゃんが、困ったように私を振り返って。すがるような気持ちだった。
お兄ちゃんは、私の手を振り払わない。どんな状況であっても、お兄ちゃんはひたすら優しいから。
そのことが、大きな罪悪感となって私の心を圧迫していた。
だから、真央ちゃんが入ってきた瞬間、私は反射的にお兄ちゃんを解放した。
状況的に見ても今、お兄ちゃんは亜子さんの所に行くべきで。真央ちゃんもそう思っていて。
だけど、私の中の何かが警告音を発してる。今、お兄ちゃんを行かせてしまったらだめだって。
彼女の涙が告げる想い。もしかしたら、亜子さんの想いが、お兄ちゃんに届いてしまうかもしれないって。
「私、大丈夫だよ! だから行ってきて?」
矛盾したまま、だけど私はこう言うしかなかった。それでも本当は、見抜いて欲しかった。
行かないでほしいって。まだそんな未練がましいことを考えていた。
「……ごめん、美沙ちゃん」
私の願いもむなしく、お兄ちゃんが行ってしまってから。2人になった部屋で、真央ちゃんがぽつんと呟いた。
私は、無言のまま首を横に振った。ただ、お兄ちゃんが亜子さんを送りに行ったって、それだけの話なのに。
亜子さんが相手だと言うだけで、穏やかでいられなくなる。そんな自分自身が嫌になりかけていた。
できるならひとりになりたかったけど、真央ちゃんを追い出すわけにはいかないし、それは無理な話だった。
そんな状況の中、私はどうしても真央ちゃんの顔が見れずにいた。
「……お姉ちゃんはね。みんながお姉ちゃんのこと、強い人だって決めつけてるけど。本当は違うの。本当は……ひとりで泣くことしかできなくて、不器用で弱い人なの。だから今、ひとりにしちゃだめ。そしてね、その役目は、拓斗さんじゃなきゃだめなの」
真央ちゃんがぽつりぽつりと話を続けた。そんなこと私に言われたって、と思った。わかんない。わかりたくない。
いやだ、自分が嫌いだ。以前よりもずっとずっと、亜子さんのこと嫌いになってる。
ううん、そうじゃない。亜子さん自体が嫌いなんじゃなくて、お兄ちゃんに近づいてくるあの人が嫌いで、怖いんだ。
嫌なんだ、私。お兄ちゃんをとられたくないって思ってる。一人占めしたいって思ってる。
最低だと思った。こんな自分がすごく嫌いなのに、どうして。
どうして大嫌いな自分のまま、こんなにお兄ちゃんのこと大好きなんだろう。
私が何も言えずにいると、真央ちゃんが逃げようとする私の目を視線でつかまえて、のぞき込んできた。
「拓斗さんが、泣いてるお姉ちゃんのことほっとくような人だったら、美沙ちゃんは嬉しいの?」
怒ってる風でもなく、軽蔑してるわけでもなく。ただ純粋な質問として、私にそんな言葉を投げかけてきた真央ちゃん。
違う。お兄ちゃんの優しいところが大好きだ。大切にしたいなら、お兄ちゃんの優しさを、私が奪っちゃだめなんだ。
少しだけ素直になった心の中、涙がにじんだ。わかってる。この気持ちは、単なる「やきもち」だって。
私の大切な恋心は、時々私を不自由にする。切なくもさせる。不安にもなる。心が弱くもなる。
でもこんな気持ちがなかったら、今の幸せはきっと半分くらいになってるのかもしれない。
「美沙ちゃんの笑顔、変わった。初めて会ったとき、すごくさみしそうに笑う子だなって思ったんだよ? ……きっと、美沙ちゃんの笑顔を変えたのは、拓斗さんだね」
にこりとしながら真央ちゃんが言った。そんなこと、言われて初めて気づいたけど。
お兄ちゃんが大好きだって気持ちが、私をこうして変えていく。それはとても嬉しいことだと思った。
今日のことで、亜子さんとお兄ちゃんの関係が、どう変化するのか、それとも何も変わらないのかはわからない。
だけどどうなったって私は、お兄ちゃんのことを大好きなこの気持ちを、大切にし続けようと思った。
そうじゃなくても多分、お兄ちゃんへの気持ちは大きすぎて、消える気配も見せないから。
明日も、更新できそうな感じなので、更新する予定ですのでぜひ見に来てくださいね。
次話は拓斗視点です。




