第9話 彼女の仮面の、その下に〔3〕
花火を見に行ったのはついこの間だけど、自分でするのは久しぶりで。
夏の楽しいイベント。亜子さんのことなんてすっかり忘れて、私は真央ちゃんと2人、花火に夢中になっていた。
花火の光はまぶしいくらいに明るくて、すごくきれいで。見ていると何だか安心する。
だから私は、昔から花火が好きだった。夜の暗闇をかき消すほどの強い光。
最後に花火をしたのは、いつだっけ。そう考えてすぐ、私は考えてはいけないことだったと後悔した。
……そうだ。最後に花火をしたのは、前の家族とだった。もう戻らない、家族だった人たちの笑顔。
楽しいことをしているはずなのに、どうして私はこんなにも、さみしい気持ちになってしまってるんだろう。
「……きれいだね」
隣でピンク色の花火を持っている真央ちゃんが、しみじみとしたようにつぶやいた。
私の花火は、黄色から水色に色を変えて、光を放ち続けている。とてもきれいだ。思わず見とれてしまうほど。
だけどその花火が、だんだんと光の強さを失いつつあるって気づいてしまって、何ともいえない気持ちになった。
燃やして、消えて。そしてまた新しいのに取り替えて。でもすぐに消えるその光は、もしかしたら空の星よりもはかなげで。
それは怖さと、隣り合わせなんだって。今まで花火をしていても、こんなこと考えなかったのに。
沈んでいく気持ちを自分ではどうしようもなくなってしまって。助けを求めるように、私はお兄ちゃんを探した。
私の視線はすぐにお兄ちゃんを捕まえた。束の間に得る安心。でも私の視線はあの人も一緒にとらえてしまった。
並んで座っている2人。亜子さんとお兄ちゃんが一緒に居るのを見るだけで、余裕をなくしていく私。
余裕をなくせばなくすほど、まだ消えてしまってはいない、大きくて深い不安が私を襲う。
私に向けられるお兄ちゃんの笑顔があって初めて、私は不安以上の幸せを実感できてるんだ。
どうしようもない気持ちでただ、お兄ちゃんを見つめていると、気持ちが伝わったのかお兄ちゃんも私を見た。
お互いの視線が交差して。気持ちを隠しきれず、私はただ、視線をそらさずにいた。
「美沙ちゃん、火が消えてるよ?」
真央ちゃんの声が隣から私に向けられて、私はやっとお兄ちゃんから視線を外した。
真央ちゃんは不思議そうに私を見ていた。真央ちゃんは楽しんでるのに。せっかくの楽しい雰囲気を壊すわけにはいかない。
不自然にならないように、私は笑顔を作った。
「あ、ほんとだ」
まるで今気づいたように、私がそう言って笑うと、真央ちゃんは「気付かなかったの?」とおかしそうに笑った。
そんなやり取りをしていると、亜子さんがこっちに歩いてきた。花火を取りに来たらしい。
亜子さんのことをこれ以上見たくないって思う嫌な自分に、気付きたくなかった。
真央ちゃんは亜子さんにおすすめの花火を取ってきて何本も渡している。いとこだって言うけど、2人は本当に仲がいい。
とりあえず私も花火を取りに向かおうとしたけど、先客をみつけてどきっとした。
こんな不安定な気持ちでお兄ちゃんの近くに行くことを少しためらったけど、そばに行きたいと言う気持ちが勝った。
そっと近づいて、後ろから服の裾をつかむ。お兄ちゃんが振り向いた。
なんて声をかけようか、何も考えてなかったので、私は瞬時に混乱してしまう。
結局何も言えないまま、私は真央ちゃんの元に戻ってきてしまった。亜子さんはすでに元の場所で花火を再開していた。
お兄ちゃんに変に思われたかもしれない。まるで挙動不審だった。
「真央ちゃん、私、のどかわいちゃったからジュース持ってくるね! 真央ちゃんも飲む?」
私が一気にまくし立てると、真央ちゃんは私の勢いに押された様子だったけど、頷いてくれた。
家の中に戻ってきた私は、とりあえずコップにジュースを注いで飲んだ。とにかく気持ちを落ち着けたかった。
「楽しめてる?」
飲み干したところで、ふと、背後から聞き慣れたような声が飛んできた。
振り向くと、声の主はお兄ちゃんだった。さっき挙動不審なところを見せちゃったから、気にして来てくれたのかもしれない。
「うん。すごく楽しいよ。花火できて、よかった」
私は笑顔でそう言った。うそのない私の本心だ。また思い出が増えたことを嬉しいって思ってる。
だけどお兄ちゃんはさっきの私の様子から不安を見抜いてしまっていたのか。
「……美沙。何か悩んでる? ためこまないで、話してほしい。それが家族ってことだよね?」
ためらいがちな言い方に、気遣ってくれてるのを感じた。優しいお兄ちゃん。一瞬、何もかも話して楽になりたいと思った。
だけどそうじゃない。そんなことしても何の解決にもならない。私の心の問題なんだ。
何も言えない私に、お兄ちゃんは心配そうなまなざしのまま、でもにこりと笑ってくれた。
「来年もまた、しようか。花火」
私は笑顔を作ることもできず、そんな言葉をくれたお兄ちゃんを呆然と見つめる。
お兄ちゃんはきっと、私を安心させようとして言ってくれたんだ。だけど約束は、“未来を望むこと”だ。
お兄ちゃんとのこれからが、続くことを望む。それだけはだめだと思った。
脳裏に浮かぶ、過去の家族との記憶。あったかい今日の思い出。どちらの中でも変わらず、きれいな光を放つ花火たち。
花火は永遠なわけじゃない。でもきっと一瞬だからきれいなんだ。ずっと残っていくんだ。だから私はやっぱり、花火が好き。
――“幸せは失うものじゃないと思うんだ。たとえばそれが永遠じゃなくても、一瞬でも、幸せな気持ちはずっと蓄積していって。それがまた、美沙ちゃんを幸せにしてくれる”
今を見つめること。私を支えている、いつかもらった大切な言葉。この幸せが本物だと実感するほどに。
すごく幸せだよ。嬉しいよ。この気持ちは、ずっと消えないよ。ううん、消さないから。
だけどどうして願ってしまうの。もっと増えて欲しい。永遠になってほしい。お兄ちゃんとの時間が、ずっと続いて欲しい。
永遠に消えない花火なんてないのに。いつか消えてしまうことを嘆くよりも、綺麗な一瞬を大切にしたいのに。
私……よくばりになったの。たくさんの幸せをもらったのに、まだ足りないって。
「美沙? どうしたの?」
お兄ちゃんがまた心配そうに私を見ながら言った。心配させちゃだめだ。元気に振る舞わなきゃいけないのに。
もうそんな余裕も失ってしまった私は、心を隠すこともできず、思わず呟いていた。
「先の、見えない約束は、怖い……」
結局、何も変わってない。納得したふりをして。わかりきったふりをして。でもそんなの、ただの強がりに過ぎなくて。
だから亜子さんのことなんて簡単なきっかけで、すぐにはがれ落ちる。
信じる気持ち。不安な気持ち。ずっと矛盾してるの。どっちも大きくなっていくの、止められなくて。それが、苦しい。
その時突然、私の視界が反転した。何が起こったのかわからなくて、私は瞬きを繰り返す。
手に持っていたプラスチック製のコップが、音をたてて床に落ち、転がって止まったのが見えた。
一瞬、お兄ちゃんの悲しそうな瞳を見た気がする。でも今は私の視界の中にはコップしかなくて、お兄ちゃんの顔は見えない。
すぐ近くに、お兄ちゃんの鼓動を感じて。ふんわりとした例えようもない安心感に包まれる。
抱きしめられている、ということに気づいたのは、それから少し後のことだった。




