第9話 彼女の仮面の、その下に〔2〕
想いを自覚しても、別に、劇的に何かが変わったわけじゃない。
僕の中にある美沙へのあたたかな気持ちは、以前と変わらずそこにあって。
だけど初めてとも言えるようなその気持ちが、自分をどう動かしていくのか、僕はまだ気づいていなかったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
「花火?」
僕はクッションを抱きしめるようにしながらソファーに座っている美沙に、そう聞き返した。
今日もいつも通りに美沙の手料理を食べ、美沙が皿洗いを引き受けると言って。
皿を洗い終わったらしい美沙は、居間に来たかと思うと唐突に花火をするなんて言い出した。
それも今日の話らしい。こういうことはせめて前日から計画することだと思うが、急に思いついたのだろうか。
「うん。さっき電話があったでしょ? 真央ちゃんが誘ってくれて。真央ちゃんと、……亜子さんも来るって」
美沙が頷きつつそう返してきた。なるほど。さっき美沙のケータイが鳴っていたから持っていってやったが、そのことだったのか。
美沙が花火がしたいと言うのなら構わない話だが、花火云々よりも美沙の様子が気になった。
いつもならば、花火なんてことになったら美沙ははしゃいでいるだろうに、今日はどこか元気がない。
「どうしたの?」
耐えかねた僕はそう訊ねてみたのだが、美沙はときたら演技が上手い訳でもない癖に、わざとらしく不思議そうな顔をした。
そしてまたわざとらしくも作り笑った美沙が、言葉を返してきた。
「何が?」
とぼける美沙。これ以上聞かないでと言わんばかりの態度だ。今日、帰ってきた時も美沙の様子はおかしかった。
複雑な心境だった。もどかしいとはこういうことを言うのだろうか。何か悩んでいるなら相談してほしいのに。
だけど美沙が必要としていないのなら、不必要に立ち入ることができない。例え家族であっても。
美沙の様子が気になってはいても、なにも声をかけることができないまま外は暗くなり、やがて玄関のチャイムが鳴った。
美沙と2人で玄関に出てみると、まず真央ちゃんが入ってきた。その手には巨大な花火セット。
今晩あれをすべて燃やしつくすのだろうか。片付けのことを思い、僕はうんざりしてしまった。
けれどそんな僕とは対照的な反応をするのは、考えるまでもなく。予想通り、美沙が声を出した。
「わぁ、すごい! 真央ちゃんそれどうしたの? 買ってきたの!?」
さっきまでしゅんとしていた美沙だったが、さすがにあんな巨大な花火セットを見せられてはたまらなかったのか。
態度が一変。はしゃぎ始めた美沙は真央ちゃんと連れ立って庭に向かっていく。花火の準備をするつもりなのだろう。
そんな元気な2人を見送った後、残された大人2人。
伊藤先輩は耳もとのピアスをきらきらと揺らしながら、いつも通りに余裕な笑い方で微笑んだ。
「拓斗、久しぶり」
先輩がそう言ったが、僕はその言葉に違和感を覚える。
いつも会った時にはこう挨拶しあっていたが、久しぶりという言葉がしっくりこないのだ。
いつも通りに行けば、久しぶりと返すところだが、今日は別の言葉を選んだ。
「最近、よく会いますね」
僕が言うと、先輩は「そうかもね」、と少し困ったように笑った。最近、なぜか顔を合わせることが多い。
単なる偶然だとは思うが。それはそれとして、僕はさっきから気になっていたことを先輩に訊ねた。
「花火、わざわざ買ってきたんですか? 払いますよ」
花火は結構高いのだ。あれほど大きなものともなると相当したはずだ。
美沙もさせてもらうのだから、こっちも払うのは当然のことだ。けれど伊藤先輩は首を横に振って言った。
「あれ、もらいものなの。真央が、美沙ちゃんとしたいって言うから」
そうこうして先輩を連れて庭に向かってみると、すでに花火の準備は整っていた。
美沙が「遅いよ!」と口を尖らせる。先輩と話していた時間なんて数分に過ぎなかったと思うのだが。
待ちきれないと言わんばかりに、美沙が花火に火をつけた。しゅうしゅうと音をたてて、美沙の花火が七色に光る。
真央ちゃんもそれに続き、夜の暗闇がにわかにかき消された。
はしゃぐ美沙たちを眺めながら、僕は適当に小さな花火を手にとって、庭の隅の方に並べてある石の上に座った。
そこには伊藤先輩も座っていた。花火とは言っても火を使っているのだから一応見守りは必要だ。
何かあった時に対応できるように。それには、この場所が一番適切だ。
僕も先輩もしばらく無言で花火を続けた。その時、一瞬美沙と目があったように思った。
笑顔を消した美沙が、何とも言いがたい表情でこっちを見ている。けれどすぐにふたつの視線は離れた。
何事もなかったかのように、美沙は真央ちゃんと笑いあっている。泣きそうな顔をしていると思ったが、勘違いだったのだろうか。
そんなことを思っていると、やがて先に火をつけていた先輩の花火が消えた。
新しいのを取りに行くのかと思ったが、先輩は消えた花火を握ったままそこを動こうとしなかった。
面倒なのだろうか。僕の花火もだんだんと明るさを失いつつあった。そろそろ火が消えるだろうか。
「……自分の意思で言ったこと、もう後悔してるの。後悔することなんてわかってたのに」
唐突に、先輩が言った。僕が隣の先輩を振り向くのと同時に、僕の花火も光を失った。
何の話だかよくわからなかった。少し離れたところに居る美沙たちの花火のわずかな光と、家の中からの電気の光と。
薄暗い中、先輩の表情はあまり見えなかった。何と言葉を返していいのかわからない僕を置いて、先輩が立ち上がった。
「年上って、損だと思わない?」
そんな一言を残して、先輩はすぐに歩きはじめてしまった。花火を取りに向かったようだった。
そして花火を置いているところに居る真央ちゃん達に声をかけたりしている。いつも通りの余裕な先輩だ。
わけがわからないまま、僕も消えた花火をバケツに突っ込んでから、花火を取りに向かう。
さっきは小さいのにしたが、なるべく長めの花火の方が取りに来る手間が減る。
なんとなく花火を物色していると、ふいに背後から誰かに服の裾をつかまれた。
振り向くと、そこには美沙が。さっき目が合った時と同じような、何とも言い難い表情をしていた。
美沙の唇が、何か言いたげに動いて。でも美沙は結局何も言わずに真央ちゃんの元に駆けて行った。
美沙も先輩も、どこか様子がおかしい。不可解な気持ちのまま、残った花火の本数だけが少しづつ減って行っていた。




