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第8話 ためらい、予感〔12〕



 美沙が出て行って、美沙の幼馴染だと言う少年と2人、部屋に残されることになった。

 なんだかんだと言って、この少年も美沙のことを大切に思ってくれているんだろう。その意味はどうだとしても。


「君にも、迷惑掛けたみたいだね」


 僕がそう声をかけると、少年は少し不機嫌そうに目を細めて言った。


「きみ、じゃなくて、タマキ。……くんとかつけんなよ。呼び捨てでいいから。オレ、あんたとは対等でいたいんだ」


 そういえば、そんな風に自己紹介されていた。初対面のときから、このタマキという少年はどこか態度にとげがあった。

 けれど美沙と話す時には、そんなもの全く感じさせないくらいの優しげな眼差しをしていて。

 対等でいたいと言うのも、美沙のことがあるから。あからさまなくらいにまっすぐな所が、美沙と重なる。


「怒んないの? 美沙のこと勝手に連れ出したの、オレだよ?」


 タマキ、がぽつりと言った。自分の感情面だけ重視すれば、あまり思わしくなく思っているのは確かだ。

 けど、自分の立場を考えてみればすぐに冷静になれる。つまりは、簡単なことだ。


「それが美沙の意思なら、僕に怒る資格なんてないから」


 言いながら、自分でも自分の声音がやけに冷静なことを感じた。適切な答え。何も間違ってなんかいない。

 いつもそうだ。僕は自分の感情を優先して行動したり、話したりすることはない。


 だけど今はなぜか、必死に自分の気持ちをコントロールしようと意識している自分がいて。

 表面には出したりしないけれど、それにひどくとまどっていた。自分の気持ちを探ろうとしては、やめるのを繰り返し。


「あんた、何か勘違いしてんじゃないの?」


 ふと、少年がそんなことを言ったので、物想いにふけっていた僕ははっとして顔を上げた。

 少し表情に陰りを見せながら、タマキは話し出した。


「あんたが思ってるような関係じゃないよ、オレと美沙は。……オレ、美沙に言っちゃいけないこと言ったんだ。あいつは信じてた。何回家族が変わっても、あいつの中じゃ本物だったんだ」


 その話し方を見て、苦々しい思いが、初対面に近い僕にも伝わってきた。

 後悔しているんだろう。2人の間にあった違和感。過去に何かあっただろうと感じさせる空気。

 少年が美沙に何を言ったのかはわからないが、その理由は、きっとこのことだったんだろう。


「ぎくしゃくして、そのまま話さなくなってた。あいつがオレから離れていった。……いつもそうだった。オレ、上手くやれなくて。あいつを傷つけることしか、できなくて。でも、気持ちだけは、誰にも負けないって思う」


 そう言ったあと、少年は――タマキは、まっすぐに僕の目を見てきた。

 射抜くような、といったら表現できるだろうか。やや気おくれしてしまうような、そんな感じだった。

 ――特に、今の僕にとっては。そんな僕の内心を見抜いているのか、タマキは挑戦的な物言いで訴えてきた。


「あんたは美沙を守ってやれるくらい大人で、オレみたいに失敗することもなくて……、あんたといて、美沙は幸せそうに笑ってて。でも、あんたは大人だからこそ、見えてないこともあるんじゃないの?」


 その一言は、確実に衝撃となって僕の心に残ることになった。

 美沙を探していた時に、先輩に言われた言葉と重なって。多分もう、わかりきっていたことなのだ。


 美沙を迎えに来て、必死で伝えた言葉達。どれも僕の心からの言葉で、望みで。

 これから先もずっと、美沙と家族をやっていたい。戻ってきてほしい。例え美沙が帰らなくても、僕は待っていようと思えた。


 だけど、その根底にあるのは本当に、純粋に家族としてだけの感情なのか?


 そんな気持ちのまま、美沙と2人で家にたどりついた。今ここに暮らしている、ほぼ2人だけの家族。

 美沙がこの家に帰ってきた。それだけのことのはずが、本当にうれしかった。


 嬉しいと言う感情自体、久しぶりに感じたかもしれない。

 少し気まずいのか、一緒に玄関に入った美沙はおずおずと靴を脱いで、でも家の中に上がることを躊躇している。


「おかえり」


 僕がそう言って微笑みかけてやると、やっと安心したのか、美沙がいつものような無邪気な笑顔を見せた。


「ただいま」


 美沙が弾んだ声で答えてくれる。僕にいろんなものをもらってばかりだと美沙は言ったけれど、そんなはずがない。

 何も手につかないほど心配したり、戸惑う感情に振り回されたり。

 そして何より、僕をこんなにあたたかな気持ちにさせるのは、ほかの誰でもありえない。


 その夜は、美沙は終始僕から離れなかった。家出したことの罪悪感もあってのことだろう。


 居間で一緒にテレビを見ていた時、眠たそうに目をこすっていたくせに、美沙は自分の部屋にも戻らず。

 そしてそのまま絨毯に横になったかと思うと、数分もたたずに聞こえてくる小さな寝息。

 

 それでも美沙の両腕はしっかり僕を捕まえていて、まるで身動きも取れない状態に苦笑する。


「お兄ちゃ……ん」


 うわごとのように呟いて、僕の腰のあたりに腕を巻きつけ、すやすやと眠る美沙。

 こんな場面は以前にもあった。そう、初めて会った日。


 めちゃくちゃなインパクトで、美沙は僕の静かな日常に乱入してきた。

 あの日から、そんなに時間がたったわけじゃない。けれど目まぐるしく、美沙は僕の中で存在を大きくして。


 他人から妹へ。妹から家族へ。そして家族から――……


「……まいったな。まさかこんなに……」


 思わず、ひとり呟いていた。自分の気持ちがわからないほど子供じゃないのだ。

 だからこそ、今まで気付かないふりをしてきたのかもしれない。


 けれど自分の中であきらかになってしまった今となってはもう、目を逸らすのもなんだか馬鹿らしい話で。

 あどけない寝顔の美沙の髪をなでてやると、猫っ毛は思った以上にふわふわとしていた。


「おやすみ。いい夢見てね」


 呟いた言葉に、我知らず想いがこもっていた。とても穏やかな気分で、僕はその寝顔を眺めてみる。

 ――今はまだ、夢の中に居る僕の大切な妹に。



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