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第8話 ためらい、予感〔11〕



 しばらく泣いた後、落ち着いてきたころっていうのは、変に気恥かしかったりする。


「……もう、大丈夫。ありがとう」


 そう言って、私はお兄ちゃんから目を逸らす。思いっきり泣きすぎてしまった自分が照れくさいって言うか、なんて言うか。

 そんな私の内心なんてお見通しなのか、お兄ちゃんがくすっと笑って。


 なんだかいたたまれなくなった私は、慌ててその場を離れる言い訳をひねりだした。


「か、帰るって決めたし。私、おばさん達にあいさつしてくるね」


 早口で言ってから、私は急いで部屋の扉に駆け寄って、それを押し開いた。と、同時に。

 扉の向こう側からもそれを開けようとする人がいて。私はその人に、あやうくぶつかりかけた。

 見上げてみると、そこに立っていたのは、仏頂面をしたマキちゃんで。


「話、終わったの?」


 マキちゃんは短くそれだけ聞いてきた。マキちゃんにもたくさん迷惑をかけてしまった。

 マキちゃんは話をつけろとは言ったけど、帰れとは言ってなかった。少し気まずく思いながらも、私は頷いた。


「うん。……帰るって、決めたよ。ごめんね」

「ふーん」


 そう呟いたマキちゃんは、喜ぶでも怒るでもなく、ただ私の出した結論に納得したみたいだった。

 それになんだか安心して、私はマキちゃんに笑顔を向けた。


「私、おばさんに挨拶してくるから。マキちゃん、ありがと」

「……いーよ。別に」


 照れたのか、マキちゃんがぷいっと横を向いた。こういうとこあるから、女の子に人気あるんだよね。

 本人は全く自覚してないみたいだけど。マキちゃんってそういうとこ鈍いんだ。


 そうこうして部屋を後にした私は、台所に居るおばさんのところへ向かった。

 気配で気付いたのか、声をかける前におばさんが私を見つけた。


「お話、終わったの?」


 おばさんが優しい目をして微笑みながら尋ねてきた。なんだか、その笑い方がママに少し似てる気がした。

 私がはい、と頷くと、おばさんはますます笑みを深くしながら言った。


「大切に思われてるんだね。あんなに心配してくれる家族、ほかにいないよ」

「……お兄ちゃん、何か言ってました?」

「うん。しばらく面倒みてやってほしいって、何度も申し訳ないって頭下げるから、こっちが困っちゃって。でも、その必要もなくなったかな?」


 おばさんがまた、笑いながら言った。見えないところでも、お兄ちゃんは私を思ってくれてるんだって実感して。

 じんわりと感じる幸せは、また膨らんで。でもそれは、ただ幸せなだけじゃなくて。


「幸せは幸せなだけじゃなくて、同じくらい怖いんだって。最近そう気づいたんです」


 伏し目がちな私の言葉を聞いて、おばさんが少し面食らったような顔をした。

 それを見て我にかえる。突然こんなこと言われたって、誰でも困っちゃうだけだよね。


「あ……ごめんなさい。意味分かんないこと」


 私が慌てて話題を戻そうとしたけど、おばさんは首を横に振った。

 唐突な私の話を、真剣に受け止めてくれてるみたいだった。おばさんは静かに話しだしてくれた。


「私はね、幸せは失うものじゃないと思うんだ。たとえばそれが永遠じゃなくても、一瞬でも、幸せな気持ちはずっと蓄積していって。それがまた、美沙ちゃんを幸せにしてくれる。大切にしてあげて? 今この瞬間は、美沙ちゃんだけのものだよ」


 おばさんの言葉は少し難しくて、でもなんだか私の心の奥まで響いてくるみたいだった。


 やっぱりまだ、迷いは捨て切れてなくて。不安な気持ちが減ったわけじゃない。怖い気持ち、消えたわけじゃない。

 でも、もしまた壊れたとしても、本物じゃなかったなんて、きっとそんなこと思わない。


 迷って、たどり着いた答え。それははじめのころに思っていたのと変わらないものだった。

 笑顔でたくさん思い出を作って、笑顔でさよならする。だけど全然違うんだ。そこにある意味が。

 全然違う。私のお兄ちゃんへの気持ちも。


 おばさんにお礼を言って、部屋に戻ったら、お兄ちゃんが笑顔で迎えてくれた。


 見えなくなってた今。今――お兄ちゃんの隣で、たくさんの幸せをもらってるってこと。

 未来のことはわからなくても。今目の前にあるお兄ちゃんの笑顔が、教えてくれてるじゃない。


 だからいつかその時が来ても、心からの笑顔で、さよなら……できるよね?


 あたり前のように、迎えに来てくれる人。私を待っててくれる人。例え時間は限られてても。

 お兄ちゃんはずっと、私にとって大切な家族。だから私の精一杯で、大切にしたいと思った。



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