第8話 ためらい、予感〔6〕
僕はあの少年のことから考えを戻して、再び頭を働かせた。
どう考えても、こっちに越してきたばかりの美沙に、ここ以外行くところがあるとは考えにくい。
あの少年と一緒に居るとも考えられるけど、ケータイが通じない理由が見つからない。
さっきも、車で信号待ちの間、美沙に電話をかけてみたが、さっぱり反応はなかった。
深刻になっていく僕をよそに、目の前の先輩は呑気に笑って言葉を続ける。
「でもさー、わざわざ家まで来なくても、メールでも電話でもして、確かめればよかったじゃない?」
「すいません、思いつかなくて……。とにかく、他を探してみます」
先輩に適当に答えてから、僕が引き返そうとすると、先輩が後ろから僕の腕を掴んだ。
急いでいたから正直迷惑だったが、手を振りほどくこともできないので、僕は先輩を振り向いた。
先輩は困ったような、大人びた顔をして僕を見ながら、説得するかのようにゆっくりと言った。
「落ち着きなって。美沙ちゃんも小さな子供じゃないんだから、ちょっと出かけることくらいあるでしょ」
「でも、美沙は……」
探すあても何もないくせに、僕は先輩に反論する。先輩が小さく笑って僕の腕を離した。
先輩の落ち着いた表情に、僕は冷静さに欠けている自分に気がついた。
自分を自覚し我に帰った僕の様子を見て、やっと安心したのか、先輩は少し笑みを深くして言った。
「必死なんだね。拓斗が困ってるなら助けてあげたいけど。拓斗を困らせてる原因が、あの子なら……」
先輩はそこで言葉を切って、伏し目がちになりながら、自分の耳もとのピアスに指先で触れた。
たまに、先輩のこんな仕草を見る。困ったときとか、気まずい時とかによく見る気がする。
声をかけづらい雰囲気の中、僕は先輩にためらいがちに声をかける。
「先輩……?」
「今日は、手伝ってあげられないの。……なんてね。言ったら、拓斗はもっと困るかなぁ?」
意味深に言って、先輩はやっといつものように軽い調子で微笑んだ。さっきの儚げな表情が嘘のように。
そしてそれ以上僕が何か言う前に、先輩は家の中を振り向いて、少し大きな声で呼びかけた。
「真央ー?」
先輩の声に反応して、すぐに2階の方から真央ちゃんの返事が返ってきた。
真央ちゃんも美沙がするように2階から駆け降りてきて、そして僕を見て目を丸くして言った。
「あれ? 拓斗さん……?」
「真央、ちょっと、美沙ちゃんに連絡してみて。今どこに居るのかって」
先輩は特に説明も何もなく、真央ちゃんに向かってそれだけ言った。
真央ちゃんは戸惑いがちになりながらも、雰囲気でただ事じゃないと察したのか、大人しく従った。
2階で電話をかけてくる、と真央ちゃんはまた2階に戻って行った。
たぶん、電話には出ないだろう。僕が何回もかけてもつながらなかったのだ。
そう思っていたけれど。電話を終えて戻ってきた真央ちゃんの口からは、予想外の結果が告げられた。
「美沙ちゃん、電話に出ましたよ」
それを聞いて、僕の中で張り詰めていた緊張の糸が少しゆるんだ。
よかった。何かの事件なんて、そんなことじゃなかったみたいだ。電話も気がつかなかっただけかもしれない。
ほっとしたと同時に、僕は自然に微笑みながら真央ちゃんに問いかける。
「そうか。よかった……それで、なんて?」
「どこにいるかは、教えてくれませんでした。幼馴染の子と一緒に居るから心配しないでって。それと……」
真央ちゃんはそこまで言ってから、なぜか気まずそうな顔で口ごもってしまった。
幼馴染の子……やっぱり、美沙はあの少年と居たみたいだ。無事だったならそれでいいけれど。
あの少年はあきらかに美沙に好意を持っていたし、美沙もそうなのかもしれない。
久しぶりの再会だったようだし、美沙もたまには僕に黙って、誰かと一緒に居たくなることもあるんだろう。
美沙だってもう中学生なのだ。別に不自然なことじゃないし、僕がどうこう言うべき問題じゃない。
だけど……わずかに、心に引っかかるものがあった。自分でもよくわからない何か。
とりあえず、僕は真央ちゃんの次の言葉を待った。
でも真央ちゃんは一向に口を開こうとしない。僕と先輩はそんな真央ちゃんの様子に首をかしげる。
「真央? それと……何?」
ややあって、先輩が真央ちゃんに続きを催促した。真央ちゃんはまだ黙っていたそうな顔をしていた。
仕方なくと言った様子に、でも言いづらそうに、真央ちゃんが言葉の続きを口にした。
「美沙ちゃん、“お兄ちゃんには何も言わないで”って……そう言ったんです」




