第6話 うそつきのホンネ〔7〕
走り続けて息が上がって、呼吸が少し苦しくなる。
お兄ちゃんを探し、ドームの外に出た瞬間からずっと、むっとした空気の中必死で息を吸っていて。
強い日差しに肌を射されて。やっとのことで遠目に見つけたお兄ちゃんは、さっき私がいた場所にいた。
建物の影のベンチ。暑いのにわざわざこんな場所に居るなんて思わなくて、見つけ出すのが少し遅れてしまった。
結構近づいたところで、私の走ってくる足音が耳に入ったのか、お兄ちゃんがこっちを向いた。
やがてお兄ちゃんの前に立つことができて、私はやっと立ち止まり膝に手をついて息を整える。
休まず走り続けるなんて、やり過ぎだったかもしれない。
お兄ちゃんは座ったまま、そんな私を黙って見上げていた。私の言葉を待ってるみたいに。
さっき、私が逃げ出してここに座ってた時とは、立場が逆転してるみたいだ。
「貝殻……いつも持っててくれたの?」
一度息をついてから、私はお兄ちゃんに唐突に問いかけた。
それだけで全部伝わると思ったのだ。真央ちゃんと話したこと。ちゃんと仲直りできたこと。
案の定、お兄ちゃんが少し表情を和らげてから、少し冗談ぽく言った。
「うん。……って言えばカッコいいけど、実はサイフの中に偶然入ってただけ」
お兄ちゃんの言葉に、一瞬ぽかんとする。だってあんなに感動したのに、それがただの偶然で持ってただけなんて。
だけどその方がいいと思った。完璧じゃないからこそ、親近感って言うか……あったかい気がする。
「もう! お兄ちゃんは……」
私もそんなことを言って、冗談まじりに怒ったふりをしてみる。するとお兄ちゃんが、あはは、とおかしそうに笑った。
和やかな雰囲気。夏の暑さが、そこまで気にならなくなっていた。
すると、お兄ちゃんがふと私の手を取り、握りしめている私の手のひらをそっと開く。
そこには、お兄ちゃんの白い貝殻。そこに目を落としながら、お兄ちゃんがやさしい声で言った。
「でもさ、本当に大切なのは、美沙がくれた言葉の方だよね。貝殻そのものじゃなくて。だから……少しでも、伝わったらいいと思ったんだ。見失うのは簡単だけど、見つけ出すのはすごく、難しいから」
お兄ちゃんの言ってることは、なんだか難しいと思った。だけどなんとなくわかるような気もする。
お兄ちゃんはそんな私の手のひらからそっと、貝殻を取った。
「ちゃんと持ってるね。美沙が僕に、初めてくれたものだから」
そう言って、にこりと笑ってくれるお兄ちゃん。
お兄ちゃんが言ったように、たとえば『見つけ出す』のが難しいことだとしても。
お兄ちゃんのことなら見つけ出せると思った。だって私、一番星を見つけられなかった夜なんてないんだ。
「仲直りできたみたいで、安心したよ」
ふと、お兄ちゃんの声がまた飛んできて、知らず知らずのうちに考え込んでいたらしい私は我に帰った。
そういえば真央ちゃんも言ってた。お兄ちゃんは、心配してくれてたって。
なんだかくすぐったいような気持ちで、私はまたさっきまでのノリで、冗談ぽく笑いながら言った。
「お兄ちゃん、私って強い子だよ。そんなに心配しなくても、大丈夫だよ」
「本当に?」
間髪入れず、お兄ちゃんがやわらかい口調で、鋭い言葉を投げかけてきた。
同じように、冗談で流してくれると思ったのに。あっけなく、心の奥の方で、長年封じ込めてきた気持ちが揺れる。
どんなに辛い時も、決して心の外に出てしまわないように。必死で保って保って、取り繕って。
だけどお兄ちゃんの前じゃ、簡単に暴かれてしまうんだ。
「……うそ。私、ほんとは……ただ強がってるだけ」
驚くほど素直に、私の口からそんな言葉が出ていった。
お兄ちゃんは、よくできましたって言うみたいに、座ったまま手をのばして、立っている私の頭をくしゃとなでてくれる。
「強いのと、強がりは違うからね。大丈夫。美沙なら強くなれるよ」
お兄ちゃんの言ったことに、妙に納得した。だってずっと強くなりたいと思ってた。
お兄ちゃんがいつか言ってくれたように、隣で見ててくれるなら、私はきっといくらでも強くなれる。
お兄ちゃんへの思いを自覚すると同時に、確かに気づいたこと。
真央ちゃんのお兄ちゃんへの気持ちと、私の気持ちが違うように思えたのは、きっとこういうこと。
きっと私は、真央ちゃんみたいに、あっさり気持ちを捨てることなんてできないんだ。
お兄ちゃんへの私の気持ちは、きっと簡単じゃなくて。
「大好きだよ。お兄ちゃん」
口をついて、自然と出ていくそんな気持ち。
大好き。何度も使ったこの言葉。でも、その意味はだんだん変わってきてて。
不思議な気持ち。嬉しいような、泣きたいような。今ではもう、私の胸を切なくする言葉になっちゃったから。
でも、どうか気付かないで。一番星を見つけて、私はそれだけで幸せだから。
あったかい気持ちを、たくさんもらってるから。いずれ消えてしまう星の光に、これ以上何も望めないんだ。
穏やかに微笑んでくれるお兄ちゃん。初めての“恋”という私の感情は、あっけなく私を支配した。




