第6話 うそつきのホンネ〔6〕
少しだけ緊張しながら、お兄ちゃんと一緒にドームの中に戻っていく。
プラネタリウムは、やっぱりもう、終わっていたみたいだった。
上映会場から出てすぐの廊下にある長椅子に、真央ちゃんが座っているのが目に入り、遠目ながらにどきりとする。
真央ちゃんは、きっと怒ってるってことはないと思う。でも、どう言い訳していいのか。
今日、私の態度はすごく悪かったんだから、むっとさせてしまったことは間違いないんだ。
高まっていく緊張に、私の足が一瞬止まる。すると絶妙なタイミングで、お兄ちゃんが私を振り返った。
逃げちゃだめなんだよって、瞳だけで私に伝えて。
ママといる短い時間はいつも、甘やかされて育ってきた。
苛々したママに怒鳴られるのはよくあったけど、私のしたことに対して、“怒られる”なんてことは数えるほどだった。
だけどお兄ちゃんは甘いだけじゃなく、ちゃんと教えてくれる。それが対等に見てくれてるみたいで、うれしい。
再び足を進めた私がお兄ちゃんに追いつくと、お兄ちゃんは一言、「僕はあっちに行ってるね」とだけ言って。
私の肩にぽんと手を置いて、そのままもと来た道を戻っていく。ここで頼っちゃだめなんだ。
呼びとめたい気持ちをぐっとこらえて。私はお兄ちゃんを振り返らないまま、真央ちゃんの前まで歩いた。
俯きがちに長椅子に座ってた真央ちゃんが、気配を察知して顔を上げた。
一瞬、言葉に詰まる私。でも何か言わなきゃと必死に考えながら、私はとりあえず口をひらいてみた。
「真央ちゃん、あの……」
「私、やめることにしたから」
唐突に真央ちゃんがよくわからない言葉を返してきたので、私の目が点になる。
すると微妙な笑顔の真央ちゃんが、補足するように付け加えた。
「拓斗さん好きなの、やめるって決めたの」
「え……?」
私はそう呟き返すことしかできなかった。さっきまで、あんなにお兄ちゃんに夢中だったのに。
どうして突然そんなことになってしまったのか理解できず、私の心にたくさんの疑問符と動揺が走る。
「もしかして……私の、せい……?」
なんとか声を絞り出し、私は真央ちゃんにおそるおそる問いかけた。
私が真央ちゃんを素直に応援してあげなかったから。だから真央ちゃんはやめるなんて言ってるのかもしれない。
心臓がずきりと痛む。もしそうなら、私って本当に最低だと思った。
だけど私のそんな嫌な考えは外れてたみたいで、真央ちゃんはにこりと笑って首を横に振った。
「違うよ。そんなんじゃないけど……。でも、そうでもあるかな」
すっきりしたような笑顔で、言葉をそこで切って。
それから少し首をすくめるようにしながら、真央ちゃんが続ける。
「だってね、拓斗さんってば美沙ちゃんのことばっかり! 妹には勝てないや」
今度こそ本当に頭の中が疑問符で埋め尽くされてしまった私は、数回まばたきを繰り返した。
私のことばっかりなんて、そんなわけない。
だってお兄ちゃんはずっと真央ちゃんとばっかり話して、私はひとりぽつんとしてたんだから。
「なんで? だってお兄ちゃん、真央ちゃんにすごく優しくて……」
今度は腑に落ちない顔で、私はまた真央ちゃんに問いかける。
それは私にとって、当然の疑問だった。もし私が真央ちゃんなら、間違いなく好きなのをやめるなんてことはしない。
だけど真央ちゃんは私の言葉を聞いて、あはは、とおかしそうに笑って言った。
「美佐ちゃんって鈍感だね! 気づかないの? 私にはあくまで、他人の対応。だけど美沙ちゃんには身内の対応。格が違うの」
「他人? 身内……?」
他人と身内とか、対応とか格の違い、とか。なんだか大人が使ってそうな、難しい言葉。
そんなのが真央ちゃんの口から次々出てくるものだから、私は飲み込もうとして言葉を反芻する。
そんな私に、真央ちゃんが頷いた。
「そう。美沙ちゃんに仲のいい友達が出来て、すごくうれしいって言ってたよ。心配だったんだって。転校したばっかりでしょ?」
「うそ……だって……」
言葉にならないながらも、私の戸惑いが、呟きになって自然と口から出ていった。
驚いた。そんな風に思ってくれてたなんて知らない。だってお兄ちゃん、そんなこと一言だって言ってなかったのに。
「私に優しかったのも、プラネタリウムに連れてってくれたのも、ぜーんぶ、美沙ちゃんのため! なんか馬鹿らしくなっちゃって。私の気持ちなんて、そのくらい。薄っぺらだったのかもね」
苦笑いを浮かべながら、真央ちゃんが不意にポケットをごそごそと探り始めた。
そして取り出した何かを、私の手を取り手のひらの上に乗せた。
「仲直りしたら、これ、美沙ちゃんに渡してほしいって、拓斗さんが」
それには、見覚えがあった。いつか海に行った時、お兄ちゃんにあげた、半分ずつの小さな白い貝殻。
何も言えないまま、私は急いで手のひらから顔をあげて、真央ちゃんを見た。
「言葉にしなくても、心の中にある大切な気持ちがあるでしょ? きっと拓斗さんにとって、美沙ちゃんはかけがえのない人なんだね」
切羽詰まったような私に、真央ちゃんがそんな言葉をくれた。
それは私の心の中、とてもやさしい波紋を残して吸い込まれていく。
真央ちゃんばっかりとか、3人の中で孤独だとか。私は何を言ってたんだろう。大切なことを見失ってた。
――だって、私が言ったんだ。他のを合わせようとしてもだめなんだって。
他の誰かじゃ代わりはできない。私の家族が、お兄ちゃん以外ではあり得ないのと同じに。
お兄ちゃんにとっての家族も、今、私以外じゃだめなのかもしれないって。
実際お兄ちゃんは私に、家族だって何度かそう言ってくれた。なのに私は、どうでもいいことばかり気にして。
信じられてなかったんだ。家族なんて、所詮うわべだけの言葉だと疑ってたから。
素直になってやっと自覚した想いと、もうひとつ、あったかい家族の気持ち。
込み上げるふたつの気持ちが、今、私を急きたてて。
「真央ちゃん。私っ……、お兄ちゃんの所に、行って来てもいい?」
思わず、私はそんなことを口走っていた。どうしても今、お兄ちゃんと話がしたかった。
だけど真央ちゃんはそんな私に、相変わらず笑ったまま頷いてから、言った。
「いいよ。私も美沙ちゃんのこと仲間はずれにしちゃったし。ここで待ってるから、ちゃんと迎えに来てね」
「……ありがと。私、真央ちゃんと友達になれてよかった!」
私はそう言って、真央ちゃんに笑いかけた。今日はたくさん、大切なことに気づけたんだ。
大切な友達。大切な気持ち。大切な家族。お兄ちゃんは、私の大切な人。
自然と走り出しながら、お兄ちゃんを探して、私もまた元来た道を戻った。




