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第5話 ちくりと、胸の痛み〔3〕



 僕の手をはねのけた美沙は、すぐに手をはねのけられた僕よりも傷付いた顔をした。


 義理の兄妹になったときから、何の違和感もなく僕になついていた美沙。

 手をはねのけられた一瞬、僕の方も、傷付かなかったと言ったら嘘になる。


 けれど、今目の前にいる美沙の、今にも泣き出しそうな顔は、僕のそんな気持ちを簡単に吹き飛ばした。

 まだ中学生になったばかり。難しい年頃なのだ。


「ごめんね」


 美沙の表情を明るく変えてやろうと、僕は笑みを浮かべながらそう言ってやった。

 けれどそれは逆効果だったようで。とうとう、涙をこらえていた様子の美沙が泣き出してしまった。

 美沙が手のひらでその頬に流れる涙を拭うたび、結い上げた猫っ毛が揺れる。


 僕自身、あまり表情に感情を出さないタイプの人間だけれど、こんな場面になってしまって内心焦りを感じていた。


「どうして? なんでお兄ちゃんが謝るの?」


 美沙の涙声が、夏祭りでにぎわっている空気を小さく揺らす。

 少し薄暗くなってきた景色の中、美沙の黄色い浴衣が、ぽつんと目だっているように見えた。


「……わかんないよ。なんか苦しい。私……」


 呟くように言って、美沙が俯きそのまま黙る。気づけば、僕は美沙に向って手を差し伸べていた。

 頭をなでてやるのか、手をつないでやるのか。とにかく安心させてやりたかった。

 けれど、僕の手が伸びていることを気配で察したらしい美沙の肩が、びくりと震えて。


 僕は行き場をなくした手を引っ込め、なすすべなく立ち尽くすしかできなくなった。

 ――その時。


「あれ、拓斗?」


 背後から聞き慣れたようなそうでないような、あまり好きじゃない声が聞こえて。

 振り返ると、そこには赤い浴衣を着たサークルの先輩、そして元カノの友達でもある伊藤亜子先輩がいた。

 まさかこんな地元の祭りで会うとは思っていなかった。……そう言えば地元が一緒だったか。


「何女の子泣かしてんの? あー、こんな小さい子……」


 大丈夫? なんて言いながら、先輩が無神経に美沙に手を伸ばすと。

 美沙は涙目もそのままに、突然僕と先輩に勢いよく背を向けて、逃げるように走り出した。

 声をかける暇もなく、次第に小さくなっていく美沙の後ろ姿。


 もう暗くなりかけている。それに夏祭りなんてイベントの最中には、あまり良くない類の人間も大勢来ているはずだ。

 外見がどんなに大人びていようと、美沙はまだ中学生なのだ。


 結構な広さのこの公園ではぐれるのはまずい。そう判断して、美沙の後を追おうとする僕。

 けれど先輩に腕を掴まれ、阻止されてしまった。


「何? あの子が妹ってやつ?」


 僕が振り向くと、おもしろくなさそうな顔をした先輩が、巻き髪をいじりながら言った。

 先輩も妹とは言ってみたものの、まだ、ただの言い訳だと思っているんだろう。


「義理ですけど、大事な家族なんで。悪いですけど、探しに行かせてもらえますか?」


 僕が渋い顔で訴えてみても、先輩の大きな態度は変わらない。

 あー、と思いだしたような声をあげて、先輩がまた、そのグロスをたっぷり塗った唇をひらく。


「そう言えば再婚したんだっけ? じゃあさ、尚更ほっときなよ。逃げたってことは、拓斗から離れたかったわけでしょ。小さな子供じゃないんだから」


 他人だからかもしれないが、先輩の美沙に対する物言いは冷たい。

 これ以上話しても無駄だと思った僕は、僕の腕をつかむ先輩の手をやんわりと外してから、先輩に背を向ける。


「どうしたの? そんなに誰かに入れ込んでるなんて。昔から、温厚だけど淡白で冷めてる、拓斗らしくないよね」


 すぐに後ろから、先輩のそんな鋭い声が飛んできた。

 淡白で冷めている。僕にはそんなつもりはなかったが、僕は昔からそう言われることが多かった。


 それは、付き合ってきたのが年上が多かったからだろうと思う。相手が大人だと、あっさりした付き合い方ができた。

 だから自然と、僕の異性に対する付き合い方自体も、あっさりしたものになって行って。


 ――だけど、美沙は違う。


「時々、どう扱っていいのかわからなくなる。多分……大切にしようとすればするほど、戸惑いも大きくなってる」


 僕の呟くような声が聞こえなかったのか、先輩が背後で「え?」と聞き返してきた。

 先輩にはっきり伝える気もなかった僕は、そのまま先輩を置いて走り出す。


 随分暗くなってしまった夜空に、まばゆい光。――打ち上げ花火の、始まりだった。



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