第5話 ちくりと、胸の痛み〔2〕
夏祭りとか、花火大会とか。そういうのは、いつも家の窓から遠目で見ることが多かった。
家族で行ってる友達を、羨ましく思ったり。
でも結局、いつもごたごたした家族の中にいた私は、そういうイベントに行ったりする機会があまりなくて。
だから、今日は本当にうれしかった。車で五分くらいの、結構大きな公園に、人がだんだん集まってきている。
視界いっぱいに広がる、たくさんのちょうちん。たくさんの出店。
まだ薄暗いくらいだけど、夜になって暗くなったら、きっとすごくきれいだ。
小規模だってお兄ちゃんは言ったけど、私にとっては十分大きなお祭りだった。
「美沙、走ると転ぶよ」
後ろを歩くお兄ちゃんが、私の背中に、そんな声をかけてきた。
下駄をカタカタ鳴らしながら走るのは、慣れなくてちょっと大変だけど。今の楽しい気分には、そんなの全然関係なかった。
お兄ちゃんと一緒に、浴衣で歩けるのが嬉しい。ママに着付けを習っておいてよかった。
「あ、ねぇお兄ちゃん。あれやりたい!」
出店の中で一つ、目につくものを見つけて、私はお兄ちゃんを振り向きながらそこを指差した。
ふくらました小さなプールに、水風船がいくつか浮かんでいる。
私の言葉を受けたお兄ちゃんは、少し不思議そうに首をかしげた。
「やりたいの? 欲しいんじゃなくて?」
「うん!」
釣る気満々の私は笑顔で頷き、そして一目散に出店に向かって駆けていく。
何も言わなくても、お兄ちゃんは私の後をついてきてくれる。
釣ってもらうのもいいけど、楽しそうに釣ってる人たちの様子を見てると、なんだかどうしても自分でやりたくなってしまって。
紙の糸の先に、引っ掛けるところがついてて、それで水風船のゴムを取る。
それだけの動作で、簡単だって思ってた。
だけど予想以上に難しくて、私は仕方なく一番欲しかった水色の水風船をあきらめた。
そしてオレンジ色の水風船を狙うんだけど、それもなかなか取れなくて。
気づけば、水に濡れて切れかかっている紙の糸。
失敗しちゃったみたいだ。欲しかったのに。なんて思って動作を止めていたら。
「美沙、ちょっと貸してね」
ふと、後ろで見守ってたお兄ちゃんがそんなことを言って、肩越しにひょいと私の切れかかった糸を取った。
そしてお兄ちゃんは水風船を一発で釣った。
あまりに簡単に取るから、私の苦労はなんだったんだろう、とか思ったりして。
「はい。美沙はね、どっちかって言うとこの色のイメージかな」
言いながら、お兄ちゃんは笑顔で私の掌に釣った水風船を乗せた。私が欲しかった、水色の風船。
私、あの色がいいなんて一言も言ってないのに。言葉じゃなくても伝わったみたいで、すごく嬉しかった。
「ありがとう。お兄ちゃん、すごくかっこよかった!」
「水風船釣ったくらいでそんな風に言ってもらえるなら、釣ったかいもあったよ」
私の言葉に、お兄ちゃんが困ったように笑う。お兄ちゃんが良く見せる、この笑い方が好き。
でもたまに見せる、女の子みたいに可愛くて、屈託のない笑顔はもっと好き。
お兄ちゃんが、大好き。
また二人で並んで歩きながら、水風船を片手に下げて。余った方の腕で、私はお兄ちゃんと腕を組んでみる。
お兄ちゃんは私を見たけど、特に何も言わなかった。
それが許されたみたいで、私はうれしさに胸を弾ませる。
芸能人みたいにかっこいい、自慢のお兄ちゃん。
すれ違う女の子たちが、さりげなくお兄ちゃんを見てるのがわかる。
私たちふたり、兄妹に見えるのかな? それとも恋人同士なんかに見えちゃったりして。
そんなことを考えて、ふと我に帰る。
……恋人同士? 私、何考えてるんだろう。だってお兄ちゃんだよ。ずっと欲しかった家族だよ。
なのに私、恋人同士に見えたらいいな、なんて思ってなかった?
『――それってさ。恋してるみたいじゃない?』
こんな時にこのタイミングで、真央ちゃんの言葉をリアルに思い出してしまって。
恋なんて未知の言葉が、私をまどわせて。一気にかっと、顔に血が上った。
「美沙?」
「あっ……え!?」
急にお兄ちゃんに声をかけられて、私は裏返った声をあげてしまった。
いつの間にか私は立ち止まっていたらしい。私の腕に引っ張られたお兄ちゃんも、一緒に歩くのをやめていたみたいだった。
その時私の目に、お兄ちゃんと組んだ腕が入ってきて。
お兄ちゃんに触れていることが急に恥ずかしくなって、私はぱっとお兄ちゃんの腕を離した。
痛いほどに高鳴る、胸の鼓動。なにこれ。私が私じゃないみたい。
「顔が赤いよ。また熱があるんじゃ……」
お兄ちゃんの低い、男の人の声。お兄ちゃんが私の額に向けて差し伸べた手のひら。
ただでさえパニック状態だった私は、思わずそれをぱしっと思いっきりはねのけてしまった。




