第4話 コドモと大人の境界線〔5〕
甘やかすだけが優しさじゃない、と思った。だから厳しいことを言った。
けれど心は痛むもので。結局気になって仕方がなかった僕は、勉強どころの話じゃなくなってしまった。
戸惑い。どう接すれば、美沙のためなのか。どう接すれば、美沙を悲しませずに済むのか。
それは、一人っ子で、年下との接点がまるでなかった僕にとって、かなりの難題だった。
しばらくそっとしておくつもりが、結局は30分も待たず、僕は居間に向かった。
すると、驚きの光景が目に入ってきて、僕は一瞬、唖然とする。
美沙が、冷蔵庫にあったはずのビールを飲んでいるではないか。
少し様子をうかがった後、背後から声をかけてみると、振り向いた美沙は泣きながら笑いだした。
ずきりと心が痛む。また、この顔をさせてしまった。涙をさんざん我慢した後の、笑い泣きの顔。
僕は、美沙のこの表情を見るのが嫌いになりつつあった。痛々しくて見ていられなくなる。
床に座り込んでいる美沙の前まで行き、同じように座って目線の位置を合わせてみた。
床に転がったビールの缶が、2本。美沙の手にも1本。
結構な量を飲んでいる。やっと笑うのを止めた美沙は、規則正しいリズムでしゃっくりを繰り返していた。
まるい頬を真っ赤に染めた、幼い酔っ払い。酔いが回ってきたのか、さっきよりもぼんやりとしている。
美沙には悪いけれどおかしくなって、僕は少し笑ってしまった。
対して美沙は、僕に笑われていることなど自覚していない様子で。ぽすん、と僕に抱きついてきた。
「お兄ちゃ、んー」
甘えた声で、美沙が僕を呼ぶ。僕の胸のあたりに顔を押し付けてきたので、んー、というところがこもった声になった。
猫のように、美沙は僕にじゃれついてくる。可愛らしいというか、微笑ましいというか。
どんなに振り回されようとも、結局は僕は、この無邪気な妹に弱くなりつつあるのかもしれない。
そんな和やかな気分になっていると、ふと脇腹のあたりに違和感を感じた。
見てみると、そこには美沙の手が。何やら僕の脇腹のあたりで必死に手を動かしている。
……これはもしかして、くすぐっているつもりだろうか。
僕を笑わせようと一生懸命な美沙には悪いが、僕は昔から、くすぐられても効き目がまるでない。
冷静なまま美沙を見ると、きょとんとして僕を見上げる美沙の瞳と目が合った。
一瞬の間をおいて、美沙の表情が、笑みの形にふにゃりと緩む。
「効かないの? なんで効かないの、お兄ちゃんっておかしい! おかしいよ!」
声のトーンを大きくしながら言って、美沙は突然、きゃははは、とそれはおかしそうに笑いだす。
さっき、やっと笑い終えたばかりだったのに。美沙の笑いのツボがまったく理解できず、僕は対応に困る。
箸が転がっても面白がる年代、ということはわかるけれど、これは酒が入ったせいでもあるんだろう。
美沙は笑い上戸になるタイプらしい。いや、酔っていなくても、もともとその素質はあるが。
「……あー、はいはい。よしよし」
僕はくすりと笑いながら、僕に抱きついてはしゃぐ美沙の頭をなでて、なだめてやる。
すると、はじかれたように笑うのをやめて、美沙が顔を上げた。変化が突然すぎて、僕はまた驚かされる。
「お兄ちゃんは、私よりずっと大人なんだよね……?」
「……さぁ。どうかな……」
唐突な美沙の質問に、僕は答えを濁した。美沙はよく難しいことを聞いてくる。
はっきりと自分が大人だ、と言い張れるようになる瞬間というのは、いったいいつのことを指すのだろう。
20歳になったからと言って、別に何かが変わったわけじゃない。
大人、というのは、そういう形式的なものじゃなく、きっと精神的な面が大きく影響しているからだ。
「私、子供じゃない、よ……」
美沙が、舌足らずになりながらも、ぽつんと呟いた。
きっと美沙も、自分ではわかっている。この一週間で感じたことだが、美沙は僕が思っていたほど幼くない。
子供じゃないと言い張るのは、自分が子供なのかもしれないと、感じているからなんだろう。
優しさを見せるのもいいかもしれない。
「……うん。わかったよ」
僕が微笑みながらそう言ったら、僕を映した美沙の大きな瞳が、頼りなげに揺らめいた。




