第3話 晴れのち妹、時々雨〔6〕
布団の向こう側から聞こえた声は、とても優しい響きだった。
お兄ちゃんは、ずるい。ずるい。ずるい。
大事な妹、なんて。そんなこと言われたらもう、怒ることなんてできるわけないじゃない。
布団の中からこっそり顔を出したら、穏やかな瞳のお兄ちゃんと目があった。瞬間、堪えていた涙があふれ出す。
情けない顔をしてるのは、自分でもわかった。私、今すごくかっこ悪いのかもしれない。
どうしてだろう。私は強かったはずなのに。簡単に涙なんて見せなかったのに。
家族を失った日も、ママがデートで帰ってこなくて、ひとりで、星のない夜も。私は絶対泣かなかった。
弱い自分に、負けたことなんてなかった。それなのに。
間の抜けた泣き声をもらしながら、私はとにかく泣いた。
――わかってるの。ただ、くやしかっただけ。
私が一番にお祝いしたかった。喜ばせたかった。でもそれができなくて、悔しくて、お兄ちゃんにやつあたり。
一番安らげるあったかい場所。大切な日を過ごす場所。一番居心地のいい場所。
きっとそれが、家族ってことなんだって。
そんな夢見た家族が、もしかしたら現実のものになれるのかもって、思い始めてるのはお兄ちゃんのおかげ。
だから私もあったかい気持ち、あげたかった。お兄ちゃんの心をあったかくしたかった。
ほかの女の人に、その役目を取られたくなかったんだ。
「……うそ。うそだよ。……きらいな、わけ、ないでしょぉ……」
嗚咽まじりに、私は呟いた。情けない声、とぎれとぎれの言葉。だけどお兄ちゃんは笑みを深め、私の頭をなでた。
小さい子にするみたいに、とても優しく。お兄ちゃんのこげ茶色の瞳に私が映っている。
それがなんだかすごく、安心した。
「ケーキ、おいしかったよ」
私がやっと落ち着いてきた頃、ふと、お兄ちゃんがそんなことを言ったので、私は少し慌ててしまった。
私の手につぶされてしまった、あんな不格好なケーキ。見られただけでなく、お兄ちゃんが食べたなんて。
こんなことなら、捨てておけばよかった。
「カッコ悪かったでしょ。あんなになっちゃって……」
失敗作を見られたのが恥ずかしくなって、私は少し沈んだ声を出してしまった。
するとお兄ちゃんは、言い聞かせる時のような顔で、首を横に振った。
「僕はね。大事なのは、そういうことじゃないと思うんだ。……ちゃんと伝わったよ。美沙の優しい気持ち。ごめんね、ほんとに」
そう言って、お兄ちゃんはまた微笑んでくれる。なんだか胸がキュッとなった。
「お誕生日、おめでとう、お兄ちゃん」
自然と出た言葉。どんなにすねてみても、泣いてみても。ひとりで空回りしても、ケーキを失敗しても。
私は結局、この言葉を一番届けたかったんだ。大好きな、私のお兄ちゃんに。
「ありがとう」
そう言って、お兄ちゃんが笑った。私がはじめて見た、お兄ちゃんの屈託ない笑顔。
ハタチになったお兄ちゃん。私よりずっと大人なんだけど、きれいな顔立ちだからなんだか可愛くて。
――海で見つけた、お兄ちゃんと半分ずつの貝殻。風邪をひいた日、お兄ちゃんの大きな背中。
お兄ちゃんの横で眠った、星のない夜。
そして今日、思い出はまた増えて。お兄ちゃんに向かう大好きの気持ちもまた、ひとつ増えていった。
そんな幸せな気持ちの中、わずかなひっかかり。結局、ママからのメールの返信はなかった。
でもそれ以上考えないように。不安な気持ちを忘れるように。私は、お兄ちゃんに精一杯の笑顔を向けた。




