第2話 とまどいの気持ち〔4〕
お兄ちゃんの少し茶色い髪の毛が、目の前でふわふわ、ふわふわ優しく揺れて。ゆっくりとした歩幅が、心地いい。
身体の調子は悪くなってしまったけど、なんだかとても幸せ気分だった。
お兄ちゃんは私をおぶって歩いてるんだから、きっと重いだろうし、楽じゃないはずなのに。
なのに、このままずっと続いて欲しいなんて、私は自分勝手なことを考えてしまっていた。
「もっと頼ってくれていいよ。兄妹なんだから……」
ぽつりと漏らされた、お兄ちゃんの言葉。優しさがにじみ出てるその声。
ああ、家族になろうとしてくれてるんだって。お兄ちゃんは優しいだけじゃなくて、あったかい人だ。
ねぇ、お兄ちゃんは、ずっと私のお兄ちゃんだよね……?
◇ ◇ ◇
「37,4℃、か」
私から体温計を受け取ったお兄ちゃんは、その数値を読み上げてから少し難しい顔をした。
家にたどり着いてすぐ、私はお兄ちゃんに促されるまま、寝支度を整えてしまった。
風邪薬も飲んだ。お風呂で適度にあったまって、お兄ちゃんが作ってくれたおかゆも食べた。
やっと落ち着いた居間に、お兄ちゃんと私二人。薬が効いてきたのか、今は海にいた時よりもずいぶん楽になっていた。
でもまだ心配な様子のお兄ちゃんは、とりあえずと私に体温計を渡してくれたのだ。
お兄ちゃんは私を誘ったことを悪かったと思ってるみたいだった。
でも私は心配させたくなかったし、なにより誘ってくれたことを後悔してほしくなかった。
あんなに素敵な思い出ができたんだから。
「たいしたことなかったね。よかった」
残った元気をふりしぼって、いつもの私らしく笑顔を見せながら、そう言ってみる。
だけどお兄ちゃんはすこし困ったように笑ってから、言い聞かせるような声を出した。
「風邪はひき始めが大事なんだよ。病人は無理しないで、大人しく寝てること」
私の下手なカラ元気は、すっかりばれていたみたいだ。
だけど私は部屋に戻りたくなかった。ひとりの部屋。真新しいベットで眠るのには、まだ慣れない。
数日前まで、私はこの家に入ったこともなかったのだ。ここにいるはずのなかった私とママ。
再婚っていうたった二文字の形式だけで、あっけなく簡単に、他人から家族になった私たち。
ひとりであの部屋にいるとき、寝付けないとき、それを実感してしまう。
それに、夜は寝る時間まで、お兄ちゃんと二人、居間でテレビを見るのが習慣になりつつあった。
でも、まだ数日間。定着しきってないその習慣を、今、一日でもやめてしまうのは不安だった。
私はお兄ちゃんとテレビを見ている時間がとても好きなのだ。
「今日は、ここで寝ようかな」
今日もテレビを見始めたお兄ちゃんの横で、ぽつりと独り言のように呟いてみた。
お兄ちゃんの注意が、すぐにテレビから私に移る。
お兄ちゃんは不思議そうな顔をしていた。私がすぐに部屋に戻ると思ってたみたいだ。
「部屋で寝た方がいいんじゃないかな。ここじゃ、落ち着かないと思うよ?」
「ううん、ここの方が落ち着くから。私、この部屋が好きなの」
かなり無理のある言い訳で、お兄ちゃんの言うことを頑なに否定する。
でも、無理はあっても嘘は言ってない。正しく言えば、お兄ちゃんとテレビを見るこの部屋が、ってことだけど。
当然、お兄ちゃんはそんな言い訳じゃ納得してくれない様子だ。
何か言われる前に、私は隣の部屋になおしてあった予備の布団と、まくら代わりのクッションを持ってきた。
お兄ちゃんの隣にクッションを置いて、ころんと横になり布団をかぶる。
すると、お兄ちゃんがテレビを消した。予想外の行動。テレビを見るお兄ちゃんの横で、眠ろうと思っていたのに。
もしかしたら私にあきれて、私を置いて居間を出て行ってしまうつもりなのかもしれない。
不安になった私は、咄嗟にお兄ちゃんの服の裾をつかんだ。
お兄ちゃんは意外な顔をして私を見たけど、それをすぐに微笑みに変えて、私の髪をくしゃくしゃになでる。
なんだか甘やかされているみたいで、慣れない感覚に戸惑う。
「安心していいよ。ここにいるから」
お兄ちゃんのその言葉は、私の心の奥まで、優しい音色のまま落ちていった。




